メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

15章:アプリティカ - 1 -

 翌朝。ティカが目を醒ますと、陽光がベッドの向かい側の壁に影を落とし、外の木々が揺れるのにあわせて踊る斑模様を織りなしていた。
(わ、綺麗……)
 ティカはベッドの上で体を起こし、しばし光模様に見入った。海上にいた時は、朝陽が窓から射しこみ海の煌めきを天井に映していたが、ここでは木漏れ日が踊っている。
 隣を見れば、ヴィヴィアンはまだ眠っている。再び窓を眺めやると、早朝の光のなかで、小鳥が囀りながら餌を探していた。
(庭にいってみたいな……ちょっと早いけど、起きちゃおうかな)
 ティカは静かにベッドを降りると、音をたてぬよう不断着に着替えて、そっと部屋をでた。
 うきうきと階段を下りて、厨房を覗くと、女中頭のホリーと、数人の召使たちが椅子に座ってお茶を飲んでいた。さんと陽の射しこむ部屋は明るく、蜜蝋の塗られた寄せ木細工の床がぴかぴかと輝いている。
「お早うございます!」
 ティカは元気よく挨拶をした。
「まぁ、ティカ様!」
 ホリーは驚いた顔で席を立つと、えくぼを浮かべてにっこりほほえんだ。
「お早うございます、ティカ様。お早いお目覚めですね」
「きゃぷ……ヴィーはまだ寝てます。僕だけ先に起きちゃいました。お水を一杯もらえますか?」
「ええ、もちろん! お腹は空いていませんか? ホットチョコレートをお淹れしましょうか?」
 ティカの瞳が、朝陽のように煌めいた。
「お願いします!」
「さぁここに座って、すぐにできますからね」
「アイ」
 ティカは手をすりあわせながら、ホリーの示した椅子に座った。若い使用人が、檸檬水をコップに注いでティカに差しだし、ホリーは琺瑯引ほうろうびきの調理台の前に立って、昔ながらの炊事ストーヴに火を点けた。
「わぁ、果物がいっぱい」
 ティカはテーブルの上を眺めて、弾んだ声でいった。ラタンの籠のなかに、王都でも馴染み深い多種多様な果物がぎっしり詰まっている。
 ぷっくりした茶色の棗椰子なつめやしの実、真っ赤な柘榴、茎のついた無花果いちじく、それから麻袋に入ったピスタチオ。ティカの好物ばかりだ。海上生活が長かったので、もう何か月もこれほど多様な果物は目にしていない。
「ホリーさん、棗椰子を食べてもいい?」
 ティカは籠を見つめたまま訊ねた。
「ええ、もちろんですよ」
「ありがとう!」
 いうが早いか手を伸ばし、棗椰子をかじりながら、テーブルの上に置かれた小瓶を、興味深そうに一つ一つ開けていった。スパイシーなサフラン、様々な香辛料、色鮮やかな手作りのジャム等が入っている。
「これ全部、料理に使うんですか?」
 ホリーは、マグカップに注いだチョコレートと牛乳をスプーンでゆっくり掻き混ぜながら、振り向いた。
「そうですよ。林檎のジャムは昨日作ったばかりです。スコーンにあわせて食べると、とても美味しいですよ。焼いてさしあげましょうか?」
「ぜひお願いします!」
 ティカは挙手と共に返事をした。すると、別の使用人がほほえみながら席をたち、スコーンの準備を始めた。
「はい、ホットチョコレートができましたよ」
 ホリーは、ティカの正面にカップを置いた。
「熱いから、気をつけてくださいね」
「ありがとうございます! いい匂い……」
 目を閉じて、うっとりと匂いを吸いこむティカを、使用人たちは優しい表情で見つめている。
 ティカが熱いホットチョコレートに夢中になっている間に、ホリーはトーストとスコーンの準備に取り掛かった。バターの美味しそうな匂いが漂い、ティカの食欲を刺激する。
 まもなくテーブルに置かれた皿には、きつね色の焦げ目のついた三角形に切り分けたトーストが二つ、ふかふかのスコーンが二つ盛られていた。トーストにはハムとチーズの薄切りが挟まれており、ひとかじりすると、とろけるような美味しさだった。
「う~ん、美味しい……」
 朝の和やかな空気のなか、ティカが至福をかみしめていると、不意にヴィヴィアンが厨房に現れた。
「ティカ、ここにいたの」
 使用人たちは一様にはっとした顔になった。一瞬の間があり、続いて全員がいっせいにカップを置く音や椅子を引く音と共に立ちあがって、主人に頭をさげた。
「これは旦那様、お会いできて光栄です。このような処に、どのようなご用でしょう?」
 ホリーは緊張気味にいった。
「やぁ、邪魔して悪いね。ティカを探していたんだ」
 自分たちの仕える主人が厨房に現れるということは、極めて稀なのだろう。誰もが仰天した顔をしているが、ティカだけはにっこりした。
「お早うございます、キャプテン」
 嬉しそうにほほえむティカを見て、ヴィヴィアンは目を細めた。
「お早う、ティカ。休暇中なんだから、キャプテンじゃなくて、ヴィーでいいよ」
「アイ。ヴィーも一緒に、ホットチョコレートを飲みますか?」
「いいね。そうしようかな」
 ヴィヴィアンは厨房に足を踏み入れると、椅子を引いて、ティカの隣に座った。
 ホリーたちは驚いた表情を浮かべたが、すぐにホットチョコレートの準備に取り掛かった。
「美味しかった?」
 ヴィヴィアンはティカを見て訊ねた。
「うん。ハムとチーズのトーストはとろけそうなほど美味しくて、果物もたくさんあるし、手作りのジャムは最高に美味しくて……」
 ヴィヴィアンは夢見るように語るティカの頬を両手で挟み、突然、顎にキスをした。
「んっ」
「ジャムがついているよ」
 そう呟いてジャムを舐めとると、同じ場所に唇を寄せる。
「うん、美味しい」
 ティカは赤くなって体を引きはがし、口を拭うナプキンを探した。周囲の視線が気になったが、彼女たちは慎ましく、手元に集中してくれていたのでほっとした。
「ホリー、俺にもトーストを焼いてくれる?」
 ヴィヴィアンの言葉に、彼女は笑顔になった。
「もちろんです、旦那様」
 彼女は弾んだ声でいった。主人を直々にもてなす機会など、そうそうないのだろう。調理をしている背中が、活き活きとして見える。
 間もなく、目の前に焼き立てのパンがさしだされると、ヴィヴィアンは手作りの林檎ジャムをたっぷりのせて、美味しそうに頬張った。
「これは美味しい。ホリーのジャムは最高だな」
「でしょう?」
 ティカは誇らしげにいった。ホリーは嬉しそうに笑っている。ヴィヴィンは目を細め、砂糖菓子の欠片を摘まんでティカの口元へ運んだ。
「これも美味しいよ。食べてごらん」
 ティカは照れつつ、口を開けた。
「うーん、本当だ……毎日食べたい」
「食べられるさ」
 嬉しいことである。彼女お手製の甘い砂糖菓子は絶品だ。
「ごちそうさま、美味しかったよ」
 ヴィヴィアンが席を立つと、使用人も席を立ち、頭をさげた。つられたようにティカもお辞儀をするのを見て、ヴィヴィアンは笑った。
「君はいいの。いこう」
 厨房をでると、ティカはヴィヴィアンを仰いだ。
「どこへいくんですか?」
「ティカはどうしたい?」
 どうしよう? ティカが考える素振りを見せると、ヴィヴィアンは悪戯めいた光を瞳に灯し、ティカの肩を抱き寄せた。
「良かったら、邸を案内しようか?」
 その素敵な提案に、ティカは瞳を輝かせた。
「ぜひお願いします!」