HALEGAIA

5章:魔王サタン万歳! - 9 -

 週明けの月曜日、学校の掲示板に学年毎の成績上位三十名の名前が張りだされていた。そのなかに見知った名前が幾つかあり、圭祐は二十五位、委員長の宇佐美は九位、そしてミラは一位だった。しかも二百五十点満点フルスコア
 掲示板を眺めていた陽一は、弾かれたように隣に立つミラを振り向いていった。
「すげー! 満点とったの!?」
 陽一が驚きと尊敬の眼差しでミラを見ると、ミラはにこっとほほえんだ。
「ありがとうございます」
 悪魔なら当然なのかもしれないが、すごすぎる。昨日の今日で、少しばかりミラに対して緊張していた陽一だが、今の驚きで緊張は一遍に吹き飛んでしまった。
 周囲の生徒も、そわそわしながら声をかけてきた。
「魔王様、頭いいんだね! すごいねー!」
 朝の恒例となった、魔王様ファンサうちわがあちこちで揺れているが、ミラは相変わらずの塩対応だ。ファンの声を総スルーして陽一と一緒に教室に入った。
 SHRでテスト結果が返却された。陽一は理数が良くて、ほかは平均点だった。概ね想像通りだ。ミラの答案用紙を返却する際、担任の山中先生は笑顔でいった。
「なんと魔王君は学年で唯一の満点だ。おめでとう!」
 次の瞬間、教室は興奮の坩堝と化した。悲鳴に近い歓声があがる。
「「「魔王サタン万歳!!!」」」
 異口同音に唱和。誰も彼もが憧憬しょうけいと、喜ばしい瞬間に立ち会えたという満足感とをともに湛えた目を、ミラに注いでいる。
「すごいじゃん」
 陽一も親指を立てて祝福すると、ミラはいつもの飄々とした微笑で、
「悪魔ですから」
 確かに、悪魔の叡智にかかれば、テストなど楽勝なのだろう。余裕綽久しゃくしゃくといった態度だが、すごすぎて腹も立たたない。ミラなら全国模試で満点を取ることだって不可能ではないのだろう。
「静かにしろー。今日は教育委員会の方が授業を見にくるから、皆お行儀よくするんだぞ」
 先生の言葉に、はーい、とクラスメイトは異口同音に唱和。“東京都教育の日”推進期間として一年と二年は公開授業があるのだ。
 さて、一年五組は四限目の授業、担任の山中先生の地学の授業中に、教育委員会の人が教室に静かに入ってきた。
 見学者がいるので、クラスメイトはいつになく真面目に授業を受けている。しかし人目がなくても、山中先生は授業中のコミュニケーションが頻繁なので、居眠りするような生徒はいない。
「これまで地球史について学んできたけど、現在の地球環境について話す前に、宇宙の形成と広がりについて、もう一度考えてみようか」
 と、早速教科書を机に置いた山中先生は、クラスメイトの顔を見回して訊ねた。
「地層は僕たちに生物進化や気候変動といった地球の歴史を教えてくれるけれど、さかのぼれる年代には限界があって、それは三七億年前といわれています。その頃はじめて岩ができたから、それより前のことは判らないんだ。じゃあ、宇宙が誕生したのはいつだったかな?」
 教室に一段覚醒したような空気が漂う。ぱらぱらと手があがって、指名された宇佐美は、着席したまま答えた。
「一三八億年前です」
「そうだね。宇宙の年齢は、僕たちに観測可能な宇宙の範囲を教えてくれる。銀河の光は、数百万年、数十億年もかけて地球に届くんだ。観測史上最も遠くの銀河、GN-z11は地球から約一三四億光年彼方にあるのだけれど、最新の観測結果では、地球から三二〇億年光年離れていると判っている。おかしいよね? 光の速度は有限で、宇宙の年齢を考えれば、そんな遠くの光は届かないはずなのに。どうしてだと思う?」
「宇宙が膨張しているから?」
 間髪いれずに、最前列の星るなが答えた。物怖じしない彼女は、最前列の席もあいまって、授業で活発に発言するタイプだった。
「そう。宇宙は、遠くにいけばいくほど速い速度で遠ざかるという法則がある。なんていう法則だっけ?」
 山中先生は星るなを見たまま訊ねた。彼女はちょっと考える素振りを見せてから、
「……ハッブルの法則?」
 やや自信なさげに回答した。山中先生がにこっと笑う。
「正解。観測可能な宇宙は、いまやあらゆる方向に四六〇億光年まで広がって、その直径は九二〇億光年。そのなかに何兆個もの銀河があるのだから、想像を絶するスケールだよね。ちょっと話がそれるけど、僕は学生の頃、長野のスキー場でアルバイトをしていたんだけど、そこで満天の星空を見たことがある。驚いたよ、鳥肌がたつくらい凄まじい量の星でね、黒い部分より圧倒的に白い星が埋め尽くしていて、怖いほどだったなぁ」
 先生の話を聞きながら、クラスメイトたちは、満天の星空を脳裏に思い浮かべてみた。
「そのときは星のなかに溺れたような錯覚がしたけれど、実際にその星の輝きは遥か彼方にあるもので、時間をかけて届いているものなんだ。今は見えていても、いずれ見えなくなる。どんなに観測技術が進んでも、未来にいくほど宇宙は少ししか見えなくなる。一兆年も経てば全ての銀河は地平線を越えて、僕たちの見ている夜空から星は消えるかもしれない。満点の星空が視えなくなるのは、寂しいな」
 はい、と宇佐美が挙手した。山中先生が指名すると、宇佐美は着席したまま、
「だけど、膨張はやがて止まって、収縮するっていう説もありますよね?」
 鋭い質問に、山中先生はもっともらしく頷いてみせた。
「確かに、そういう説もあったね。無数の銀河の間には、重力が働いているから、いずれ膨張の勢いより重力が勝り、収縮すると思われていた・・・・・・。宇宙がビッグバンで始まって膨張しているのなら、一点に戻るはず。惑星や恒星はお互いに衝突し、銀河同士も衝突するビッグクランチが起こるかも……ってね。けれど、最新の観測によれば、どうやらビッグクランチは起こりそうにないんだ。膨張を加速させる、ダークエネルギーの存在が判ったからね」
 先生! と圭祐が挙手するなり、思ったことを口にした。
「宇宙が遠ざかっていくってことは、僕たちは永遠に宇宙侵略できないんですか?」
 アホな質問に、笑いが教室を満たす。
「そうだね、宇宙のどこかに地球と同じような星があるとしても、たどりつくのは至難の業だろうね。ブラックホールに飛びこめば、或いは可能かもしれないけれど」
「ブラックホールに飛びこんだら、死ぬんじゃないんですか?」
 圭祐が感想を口にすると、山中先生はにやっと笑った。
「どうかな? ひょっとしたら、別の宇宙にいけるかもしれないよ。遠藤はどう思う?」
 唐突に話を振られた陽一は、頬杖をほどいて、背を伸ばした。ちょっと考えてからくちを開いた。
「……強力な重力が働くんですよね? だから、ぺしゃんこになりそう?」
 ウンウン、と山中先生は相槌を打ちながら、
「確かに、光ですらそこから脱出できないといわれるからね。ブラックホールの“事象の地平面”を越えたら、それまでいた宇宙からは完全に切り離されてしまい、二度と戻れない。向こう側があるとしても、僕らの物理法則とは全く異なる物理法則かもしれないんだ。魔王君はどう思う?」
 面白がるような問いかけに対して、ミラもまた面白がるように、或いは危険な微笑を浮かべてみせた。
「そんなの、実際に“事象の地平面”を越えてみれば判ることですよ。特別に見せてあげましょう」
「ん?」
 先生は小首を傾げる。スッ……と席を立つミラを見て、あ、やばい。陽一は直感した。