HALEGAIA

5章:魔王サタン万歳! - 2 -

 結局、ミラは校内にある購買で弁当を買った。見たことのないロゴが刻印されたブラックカードを渡していたが、決済は通った。
 陽一が部室の屋上で食べようと提案すると、ミラは校舎屋上がいいというので、少し迷った。
「屋上はやめた方がいいかも。怖い先輩たちがたむろしてるから」
「怖い先輩?」
「ほら、今朝もいたじゃん……なんでもない」
 不思議そうに小首を傾げるミラを見て、陽一は頸を振った。魔王より恐怖して然るべきものなど此の世にない――と思ったが、屋上の扉をあけて、ガラの悪い男子生徒から一斉に睨まれると、思わず身がすくんだ。
 不良の見本市みたいだ。ネクタイもせず、踵を履きつぶして、ブリーチで傷んだ髪に、くちびるや耳にピアスをつけている。喧嘩や喝上げなど、問題ばかり起こしている虞犯ぐはん少年たち。なかには髭面の強面もいて、少年というよりヤクザである。
 しかし、さすがは魔王。ミラは悠然とした足取りで近づいていき、薄笑いで命じた。
「ねぇ、でていってくれる?」
 決して威圧的な物言いではないのに、ガンを飛ばしていた不良たちは、ミラを畏れるように身じろいだ。
「ンだ、てめぇ」
 かろうじて悪態をついているが、その声には怯えがいりまじり、腰は少し引けている。
「まぁまぁ、現金で支払いますよ。いくらほしいですか?」
 ミラは魔性の笑みを浮かべた。
 不良たちは互いの顔を見あわせ、表情から怯えを消し去るかわりに、放埓なかげりを漂わせた。
「今度GGGってハコで俺らの先輩、ライブやんだよ。ノルマ協力してくんない? チケット一枚五千円、十枚買ってくれるなら、こっからでてくよ」
 ミラは微笑で応じた。陽一がハラハラしながら見守るなか、掌を閃かせ、器用に万札を扇状に広げてみせた。
「どうぞ」
 金を受け取った上級生は、狡猾な笑みを浮かべた。チケットを取りだしながら、
「ハハッ、気前いいね~。あと五十枚買ってほしー」
「構いませんが、対価が少し足りませんね。今後二度と屋上に立ち入らないと誓うなら、五十枚買いますよ」
「オッケー、誓うから買ってよ」
「交渉成立ですね」
 おもむろに万札をとりだすミラを見て、陽一は勇をして、彼らの間に割って入った。学生らしからぬ、きつい香水の匂いが鼻をつく。
「ミラ、さすがにまずいっていうか……だから、ほら」
 お得意の悪魔パワーで追い払えよ。視線で訴えるが、ミラは愉しげにくちびるの端を歪めた。
「陽一。これは取引・・ですよ」
 悪魔の微笑だ。その言葉には奇妙な説得力があり、ミラの腕を掴んでいた陽一の手から、力が抜け落ちる。
「そーそ、取引な」
 満足げな不良に、ミラは現金とチケットを交換した。
 去っていく怠惰な後ろ姿を、陽一は複雑な気持ちで見送ることしかできない。彼らが扉の向こうに消えたことを確認してから、ミラに詰め寄った。
「あんな大金、渡して良かったの?」
 ミラは、手のなかのチケット束を一瞬で灰に変えながら、微笑を浮かべていった。
「金と麻薬は交渉の基本ですから。これで屋上を貸し切りですよ」
「けど、あんなことしなくたって、ミラなら解決できたろ?」
「できましたけど、せっかくなら人間を堕落させたいじゃないですか」
 陽一は思わず、ミラの横腹にひじ鉄を喰らわせた。痛っ、とお愛想のようにミラが笑う。
「今は人間界を滅ぼすつもりはないんだろ? だったら人間に手をだすなよ」
「え――……」
「お返事!」
「はぁーい」
「第一、あんな口約束したところで、どうせあいつらまた屋上にくるよ」
「それはありません。悪魔と契約したのですから、彼らは二度と屋上に近づけませんよ」
 どういうことだ?
 陽一は追及しようとしたが、ミラはぱちんと指を鳴らし、
「ランチにしましょう」
 お得意の魔法で、白い錬鉄製のティーテーブルに椅子、青いパラソル、観葉植物まで出現させた。
「ミラさー、すぐ魔法使うのやめろよ。人に見られたらどうするんだよ。っていうか、どうせ使うなら、さっき使えば良かったのに」
 苦言を呈しつつ、着席する陽一。
「人間に見られたら、何?」
 対面に着席したミラが訊ねた。
「写真や動画を撮られるかもしれないじゃん。SNSで炎上したら厄介だぞ。ネット社会は怖いんだから」
「どうでもいいですよ。人間が何をしようと、痛くも痒くもないし」
「そりゃまぁ……そういえば、ミラってスマホ持ってるの?」
 陽一がスマホを見せると、ミラは手品みたいに掌に黒いスマホを出現させた。
「これでいいですか?」
「お、持ってるんだ。連絡先教えて」
「はい」
 ミラが返事したとたん、連絡先に魔王ミラの情報が勝手に追加された。名前はそのまま“魔王ミラ”で、アイコンはミラの顔である。
「アイコンって自撮り? ……お?」
 通話画面に切り替わり、顔をあげると、ミラが悪戯っぽい目でスマホを操作している。
「なんで本人を前にして、スマホで会話するんだよ」
 笑いながら、通話ボタンをタップする。
「ふふ、人間の通信機器もなかなか面白いですね」
「カメラ通話かよ」
「人間の恋人たちは、こうして端末越しに話すのでしょう?」
 ミラは楽しげにいった。
「恋人じゃなくても話すよ。家族とか友達とか。あー、クラスのグループラインに入っとく? たぶん皆から話しかけられると思うけど」
「陽一がいるなら、誘ってください」
 にこっと笑みかけられ、思わず陽一はドキっとした。美貌の無駄遣いだなと思いながら、グループラインに招待した。
「誘ったよ。ほぼ雑談だけど、たまに連絡事項もあるから」
 早速グループラインがピロンピロンと反応しているが、無視して弁当を食べ始めた。するとミラも食べ始めた。箸など持ったことなさそうなのに、美しい所作だ。
「授業はどうだった?」
「教室の雰囲気は好きですよ。陽一と学生ごっこをしているみたいで」
「ごっこじゃなくて、本物の学生なんですけど」
 陽一はいったん言葉を切ると、少し躊躇ってから、つけくわえた。
「……もう会いにこないかと思った」
 ミラは目を瞬いた。
「すぐに会いにいこうとしたのですが、神に邪魔されてしまって」
「なんで?」
「人間界の常識を身につけろとあまりに煩いので、頭にきて、天界パルティーン魔界ヘイルガイアで全面戦争していました」
「は?」
「不毛ですよねぇ、勝負がつくはずもないのに。いい加減に飽きたところで、僕が“天使の輪”をつけることで合意しました。あまりにも時間が経ちすぎたせいで、時間遡行そこうするにしても、一か月の差が生じてしまいましたよ」
「へぇ……よく判らないけど、大変だったんだな」
「大変でした」
 神は創造において偉大だが、無私無欲で美徳のかがみかと訊かれたら、鼻で嗤ってしまう。神ときたら、全てを圧倒する力をもってして、礼儀正しく自己中心的に振る舞うのだから、悪魔よりも性質たちが悪い――とミラは思う。
 色々と準備は大変だったが、陽一に会う為と思えば我慢できた。自分でも不思議なほど、ミラは陽一に会えて嬉しかった。
 嬉しく思っているのは、陽一も同じだった。なかなか素直に口にできないが、今朝からずっと気分が高揚している。
 見つめあっていることに気がついて、陽一は照れたように視線を逸らした。
「そろそろチャイムが鳴るよ」
 弁当箱をしまって、立ちあがろうとする陽一の腕をミラは掴んだ。顔を近づけてくるので、陽一は慌てて顔を背けた。
「何すんだよ」
「キス」
 陽一は、ボッと耳まで赤くなった。
「アホか! するわけないだろ」
「キス友に昇格したのに?」
「してねぇよ」
 ミラは腰にまわした手を離さず、抱き寄せて顔を近づけてくる。
「やめろ、学校ですんな」
 遠慮なく顔面を掌で押さえると、指の隙間から菫色の瞳が不満げに見つめ返してきた。
「真面目に授業を受けたご褒美をください。そうしたら、この後の授業もおとなしくしていますから」
 陽一はちょっと考えてから、手を伸ばし、ミラの頭を撫でた。
「……よく頑張りました」
 少し照れくさいが、さらさらの黒髪が気持ちいい。ミラは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
 突然、暖かい春風が頬を撫で、青空の彼方に大きな虹がかかった。空気がキラキラと煌めいている。
「えっ?」
 驚いて手を離すと、ミラはものいいたげな瞳で陽一を見つめた。“もっと”とねだるように、陽一の肩に頭を乗せてくる。いい匂いがして、黒髪が頬に触れてくすぐったい。
 そういえば、魔界ヘイルガイアにいたときも、事あるごとにミラの心情を反映して、空模様が急変したことを思いだした。
(俺が髪を撫でたから? 喜んでるってこと?)
 ぶわっと体温があがった。
 心臓の鼓動が早鐘を打ち始めて、恥ずかしいような嬉しいような、いい表せない感情で胸がいっぱいになりながら、陽一は黒髪を撫でた。
「……午後も頑張ろうぜ」
 しばらくミラはじっとしていたが、やがてゆっくり顔をあげると、
「頑張る」
 ちょっと恥ずかしそうに、囁くように答えた。
 はにかんでいるミラを初めて見た。貴重な表情を凝視していたら、強烈な照れが陽一にも伝染して、ふたりして言葉少なく教室に戻った。
 そのあと午後の授業も無事終わり、ホームルームも終わると、陽一は鞄を肩にかけてミラを見た。
「俺、部活あるから」
「毎日よく走りますねぇ」
「まあね。ミラは部活どうするの?」
「どうするって?」
 ミラも鞄を肩にかけて席を立った。周囲の生徒は、ちらちらとミラを見ているが、遠慮しているのか近づいてこない。
「あれ、先生から聞いてない? 一年生は部活か委員会に参加しないといけないんだよ」
 二年生以降の進学特進クラスや受験を控える三年生は免除されるが、原則一年生は義務づけられている。
「ああ、それなら陸上部のマネージャーになると決めています」
 ミラは、ぴらっと入部届を見せた。流麗な文字で魔王ミラの名前が書かれている。
「マジ?」
「マジです」
「ミラ、マネージャーできんの?」
「もちろん。楽園コペリオンでも陽一のお世話をしていたでしょう?」
「笑えねぇよ」
 陽一が不快げに眉をしかめると、ミラはご機嫌をとるように、顔を覗きこんできた。距離が近すぎる。遠巻きにしているクラスメイトたちから悲鳴があがり、陽一は慌てて身を引いた。
「近ぇよ!」
 逃げるように教室を飛びだすと、ミラも長い脚ですぐに追いかけてきた。
「待ってください、陽一」
「あのな、マネージャーって俺の世話だけじゃなくて、部員の世話や事務仕事もするんだぞ。掃除とか雑用も任されるし、ミラにできんの?」
「もちろん」
 陽一は疑惑の眼差しを向けた。だがミラは本気なようで、部活にいく陽一の後ろをついてくる。仕方なく並んで歩き始めると、そこら中から視線を集めた。男子も女子も、教員までもがミラをうっとり見つめている。
 ところが、ひとりだけ冷ややかな目で見ている教員がいた。
 情報・プログラミングの担当教師、火神ひかみつかさ先生だ。狷介けんかいな目つきの、少し病的な顔色の長身痩躯そうくで、いつも仕立てのよいスーツを着こなしている。とっつきにくい雰囲気だが、圭祐の所属しているパソコン部の顧問で、圭祐は慕っていた。
(さすが火神先生、クールだぜ)
 尊敬の念を覚えながら陽一が会釈すると、火神先生もじっと見つめ返してきた。
「陽一」
 ミラに肩を抱き寄せられ、陽一は視線を戻した。火神先生の眼差しが意味深長に思えたのは、気のせいかしらと思いながら。