HALEGAIA

5章:魔王サタン万歳! - 1 -

 昼休みを告げるチャイムが鳴ると、たちまちミラの席に人が群がり集まった。
 予感的中の千客万来である。人の圧迫感に耐えきれず、陽一が教室の隅に避難すると、友人の緒方おがた圭祐けいすけに肩を叩かれた。背は陽一と同じくらい、ぽっちゃり眼鏡のたぬき顔が、いつになく興奮で輝いている。
「魔王君、すごい人気だね」
 圭祐の言葉に、だな、と陽一は疲れた声で相槌を打った。
「よっちゃん、友達なんだよね? どうやって仲良くなったの?」
「あ~……説明が難しいんだわ……ハハハ……」
 陽一はひきつった笑みを浮かべた。
「そうなんだ? 魔王君、超イケメン……っていうか人間離れした美形だよね。なんかいい匂いするし」
「鋭いな、ケイちゃん」
「え?」
「あいつ、魔王なんだよ」
「アハ、魔王様だね」
 冗談めかして圭祐は笑うが、陽一は事実を述べたまでだ。圭祐とは小学校からのつきあいで気心も知れているが、いきなり魔界に魔王だのといわれたって信じられないだろう。
(ケイちゃんなら、説明すれば判ってくれる気もするけど……うーん……)
 圭祐は、アニメとゲーム好きの明るいオタクで、オカルトにも理解がある。穏やかな性格で、ひとの話を無為に批判したりしない、柔軟な思考の持ち主である。
 しかし、クリスチャンなのだ。彼自身は信心深いタイプではないが、叔父が神父で、圭祐の父親も洗礼を受けている。ミラの正体がバレたら、やっかいなことになるかもしれない。
「誰と話しているの?」
 と、顔に影が射して振り向くと、ミラがいた。
「あ、初めまして! 緒方圭祐ですっ」
 圭祐ときたら頬を上気させて、まるで恋する乙女である。
「ふぅん。陽一と仲がいいの?」
 ミラは心底しんていを読ませぬ微笑で、値踏みでもするように圭祐を眺めているが、圭祐はにっこにこだ。こんな素晴らしいものは見たことがない、と顔に書いてある。
「うん、よっちゃんとは小学校から一緒なんだよ」
 圭祐は陽一の肩に腕を回すと、浮かれ気味なテンションで続けた。
「魔王君、紫のカラコンかっこいいね!」
「自前です」
 ミラは、白磁の美貌にはめこまれた菫色の瞳をわずかに弛めると、うっとりするような微笑を閃かせた。
 ズキューンッ☆
 あちこちから、ときめきに心臓ハートを撃ち抜かれる音が聴こえた。
「ぐはっ!」「ふぐぅ!」「ふつぐしぃ……っ」
 流れ弾を喰らった人々が、致命傷といわんばかりに胸を押さえている。圭祐も真っ赤な顔で、恋する乙女よろしく胸のあたりのシャツを掴んでいる。
「おい、ミラ。自重しろよ」
 陽一はヒソヒソ声で文句をいった。
「何をです?」
「片っ端から魅了するんじゃない。皆目の色が変わっちゃってるぞ」
 全く、何度も忠告しているのに犠牲者は増える一方だ。
「嫉妬ですか?」
 悪戯っぽく笑うミラを見て、陽一は、衝動的に殴りたくなったが、気持ちを鎮めて菫色の瞳を見つめ返した。
「俺は平和に学校生活を送りたいんだよ、判るだろ?」
 ミラは瞬きをすると、周囲に目をやった。
「皆、僕に見惚れるのは仕方がないけど、群がるのはやめてくれる? 邪魔だから」
 静かな声なのに、教室はしん……となった。
 塩対応を通り越して無礼だ。しかし微笑のひとつもないのに、雪花石膏アラバスタのような白皙の美貌に、女子も男子もかれてしまっている。
「うるさくしてごめんね!」
「ごめんなさい! 嫌いにならないでっ」
「「「魔王サタン万歳!!」」」
 口々にいいながら、強い麻薬に陶然となった者のように瞳を輝かせて、敏捷な動きで散っていく。というか、悪魔崇拝が爆誕してしまった。
 教室に平穏が戻ると、ミラは頬にこぼれた黒髪を耳にかけながら、陽一に笑みかけた。小首を傾げた拍子に艶やかな黒髪が揺れる様は、まさに地上に堕ちた天使だ。
「これでいい?」
 ――ちっともよくない。その無駄にふりまかれるフェロモンをなんとかしてほしい。
 胡乱げにしている陽一の隣で、圭祐はふと、ミラの手首に目を留めた。
「魔王君、綺麗なブレスレットだね」
「そうですか? 神に授かった“天使の輪”ですよ」
 ミラは、シンプルな金の腕輪に目をやりながら答えた。
「もしかしてクリスチャン?」
 圭祐が訊ねた。
 事情を知っている陽一は、ミラの腕輪が真実、神からの贈り物だと知っているが、圭祐は信仰の顕れと受け取ったようだ。
「違いますが、神の存在なら信じていますよ」
 ミラは真面目な顔で答えた。
「そっか、俺はクリスチャンなんだ。叔父が神父でさ」
「今でも教会に通っているの?」
 陽一が訊ねると、うーん、と圭祐は曖昧に頷いた。
「時々ね。俺は適当だけど、父さんはマメに通っているよ」
 陽一は相槌を打った。週末の圭祐は、教会よりポケモンGOだ。ぽっちゃりしているが、レベルカンストするほど街を練り歩く、タフなオタクなのだ。
 圭祐は襟のなかから細い銀鎖を引っ張りだし、その先にある銀のロザリオを掌に乗せた。
「これ、お守りなんだけど……あれ?」
 変だな、と圭祐は頸を傾げて、めつすがめつ眺め始めた。
「どした?」
 気になって、陽一もロザリオを覗きこんだ。
「あれー、もっと艶のある銀色のはずなんだけど……」
「曇ってるね」
 全体的に艶がなく、端の方は黒ずんでいる。
「ウッ、なんか寒気が……?」
 陽一は、腕をさする圭祐を見、次に犯人を見る目でミラを見た。
「磨くといいですよ」
 謎めいた微笑で無責任なアドバイスをするミラに、圭祐は照れたように頷いた。
「へへ……そうするよ。えっと、じゃあ、俺はパソ部いってくるよ。後でね」
 鞄を肩にひっかけて圭祐がいった。
「いってらー」
 教室をでていく背中を見送ってから、陽一はミラを見あげた。
「ケイちゃん、パソコン部でさ。昼はパソコンルームでゲームしたり、作ったりしてるんだよ」
「ふぅん」
「ミラ、昼飯はどうする?」
 いつも陽一は部室の屋上で弁当を食べて、残り時間は昼寝にあてているが、今日はミラにあわせるつもりでいた。
「陽一は?」
「俺は弁当があるよ。ミラは?」
 ミラは、ぱちんと指を鳴らした。近くにいた女子が目をハートにして寄ってくる。
「ねぇ、弁当を買ってきて」
「はいっ♡」
 陽一は慌てて止めに入った。
「おい! 何パシらせようとしてんだ。自分で買いにいけよ」
 その様子を遠巻きに見守っていたクラスメイトはどよめいた。
「ちょっと遠藤君、魔王にその態度はないでしょ!?」
 学級委員長の宇佐美うさみなぎさがいった。すらりとした肢体の美人で、女子バスケ部のエースだ。勝気な姉御肌で、女子からも男子からも人気がある。男のことで騒ぐタイプではないのだが、ミラに限っては例外らしい。
「魔王?」
 胡乱げに呟く陽一に、今度は栗原くりはらひなのが、腰に手をあて、かたちのよい人差し指をぴんと立ててみせた。
「そう、魔王様だよ!」
 学校一の美少女に胸を指でつつかれて、う、と陽一は怯む。
「国宝級の美形とクラス一緒とか、現実が妄想を越えてるでしょ!? てか顔面強すぎ! 全力で推すよ、魔王サタン万歳!!」
 握りこぶしで熱弁する栗原。恋する乙女というより、熱狂的な悪魔崇拝者だ。
(あれー、栗原さんってこんなキャラだっけ……?)
 しかしキャラ崩壊を疑っているのは陽一だけで、クラスメイト(特に女子)が一丸となって参戦してきた。
「ずっと気になっていたんだけど、遠藤君と魔王様ってどういう関係?」
「それ!! 遠藤君を知るために魔界からきたってどういうこと? ふたりの関係って何!?」
「魔王様って、遠藤君に対してダダ漏れだよね!? ふたりは、つっ……つきあってるの!!??」
 皆の、特に女子の鼻息が荒い。嫉妬まじりの詰問口調に、若干の興奮が感じられてなんだか怖い。
「え、えっ? いや……」
 生まれて初めて女子に囲まれた陽一は、ちょっと嬉しいと思いつつ、謎の威圧を感じて本能的に後ずさりしてしまう。
 スッ、とミラが陽一の一歩前に進みでた。
 菫色の瞳が妖しく光る。幻惑を纏っていてなお覇気があふれだし、彼が強大な闇の権力者であることが一目瞭然になった。
 クラスの視線を一身に集めた状態で、やおら、ミラは原子爆弾を投下した。
「陽一は僕のソウルメイトです。手をだしたら殺すよ」
 チュド――ンッ!!!
 誰もがムンクの叫びのような表情で凍りついた。絶叫したいのに、絶対零度の冷笑と威圧に、粛清を余儀なくされたみたいに。
「はは……ミラってば、大げさだな~!」
 陽一は笑って誤魔化そうとしたが、誰も聞いていなかった。ミラが威圧を止めた途端、彼の信奉者たちはへなへなとくずおれながら、上気した顔でミラを見つめていた。
「魔王様、素敵ぃ!!」
「いいなぁ、遠藤君! 羨ましいっ……私も魔王様のソウルメイトになりたい……っ!」
「はぁはぁ、魔王様の下僕になりたい……っ」
「「「魔王サタン万歳!!」」」
 ……完全に目がイッちゃっている。瘋癲ふうてんのクラスメイトたちを見て、陽一は遠い目になった。