HALEGAIA

5章:魔王サタン万歳! - 0 -




 とある年の十一月一日。東京都江戸川区。晴天。
 都立菖蒲しょうぶ高等学校にとって、否、日本にとって、否、全人類にとって、魔王ミラの登場は驚嘆すべき出来事だった。
 彼はブグローの絵画から飛びだしてきたような絶世の美少年で、暖かな真珠を思わせる白磁の肌、天使の輪の浮かぶ艶やかな黒髪、澄み透った菫色の瞳、どんな女性でもうらやましがるほどの長く黒いまつげの持ち主だった。
 ありふれた灰と紺の制服も、ミラが着るとりゅうとして見栄えがする。長身で完璧な均整の肢体。腰の位置は驚くほど高く、果たして何頭身あるのだろう?
 ありとあらゆる所作、立ち姿すら美しく、いはく、常人には絶対にかもせない高貴さと憂愁の昏さがあった。
 そんな彼の正体は、宇宙開闢かいびゃくから在る、至高にして放埓ほうらつなる悪魔軍団の長、三千世界を掌握する魔王なのである。
 この荒唐無稽な真実を知っているのは、現在この地球上で遠藤陽一ただひとりである。
 この日ミラは、都立菖蒲しょうぶ高等学校一年五組、つまり陽一と同じクラスに転入した。しかも陽一の隣の席である。
 自由奔放な魔王が、一生徒として真面目に授業を受けられるのかはなはだ疑問であったが、今のところは静かに着席している。
 しかし、やはりというか周囲への影響は甚大だった。
 ミラは悪魔の魅了を抑えるために幻惑を纏っているのだが、それでもなお此の世ならぬ美しさ、まばゆさに、生徒も教師も、男も女も一瞬でとりこになってしまうのだ。
 もしミラが幻惑を解いてしまったら、瘋癲ふうてんの極み、人々はたちまち灼熱した欲望の矢に貫かれて、その場で服を脱ぎ捨てかねない。
 かくいう陽一も、魔界ヘイルガイアの鳥籠に囚われていた時は、ミラを見るたびに誘惑に駆られていた。神の加護をたまわった今なら耐えられる……と、信じたいが、彼が本気をだしたら、やっぱりひとたまりもないかもしれない。
 どうしたって人間は悪魔に抗えないのだ。それは理解しているが、休み時間のたびに教室を覗く生徒が増えていくのは勘弁してほしかった。
 よそのクラスの生徒はおろか、上級生も、女子に限らず男子までもが、ミラを一目見ようとやってくるのだ。そのミラが、陽一にばかり構うものだから、陽一は堪ったものじゃない。ミラは陽一への好意を一切隠そうとせず、皆が見ている前で平気で距離を詰めてくる。陽一が止めなければ、人前でキスされているところだ。まだ半日も経っていないのに、羞恥による満身創痍である。
 無論、ミラの傀儡をもってすればいかようにも人を操れるが、人心を歪めるのは忍びなくて、陽一が止めた。できれば自然な流れで、皆のミラへの関心が薄れてほしいところだ。
 四限目が終わる間近、クラス担任でもある山中先生が何やら事務員に呼ばれて教室をでていった。途端に、教室は少し騒がしくなる。陽一は、隣の席のミラの方に躰を寄せて囁いた。
「もうすぐ昼休みだけど、ミラ、ちゃんと抑えろよ?」
「何をですか?」
 ミラは不思議そうに訊き返した。
「ダダ漏れの悪魔パワーだよ。この調子だと昼休みになったら、雪崩みたいに人が押し寄せてくるぞ」
 いまもクラスメイトたちが、ミラに話しかける機会をそわつきながら窺っている。なのにミラは周囲をちらっとも見ない。普通はまず確かめるところだろう。
「僕は何もしていませんよ。人間が勝手に寄ってくるのです」
 顔を寄せて、ミラも小声で返してきた。
 陽一はイラっとしたが、否定はできなかった。なにせミラが言葉を発するたびに、彼の躰のうちから明るい光が放たれ、濃厚な薔薇の香り、うっとりするような温かさが漂ってくるのだ。これでは誰もがミラを見た瞬間、飛んで火にいる夏の虫になってしまう。
「ハァ……明日にはミラのファンクラブとかできてそう」
「人間が悪魔に惹かれてしまうのは、仕方がありません。目障りなら少し減らしましょうか?」
 開いたたなごころに、ボッ……赤い焔が閃く。瞬間、陽一は勢いよく席を立った。
「やめろッ!」
 クラス中の視線が集中した。
「どしたー、遠藤?」
 教室に戻ってきた山中先生の言葉に、陽一は紅くなる。ミラを見れば、もう焔は消していた。クラスメイトたちの忍び笑いを聞きながら、陽一はすごすごと着席した。