FAの世界

4章:百花繚乱 - 6 -

 多元宇宙にみちをつなぐ――
 大水晶環壁かんぺきの展望座に立ち、アーシェルは、円環体トーラス――掌におさまる時空往還機を起動した。
 その小さな演算機は回転木馬のように弧を描き、極めて高密度の重力と共に、中心に沈みこむ重い元素を生じさせる。極超高速で分裂と融合を繰り返し、惑星爆発に匹敵する熱量に達したとき、星間に梯子をかける重力回路がつながった。
 敵に探知されたのだ。
 高密度重力を利用して、敵の時空往還機が転送されてくる。憎き、忌まわしき装置だが、いまこのときは壊すことなく距離をおいて見守った。
 いわくいいがたい激越なる邪悪の空気が天地を覆い、時間と空間を捻じ曲げて、黄昏の空に宇宙の深淵がのぞいた。
 驚異と恐怖と黄金世界への戸口から、おびただしい数の朱金の旗が翩翻へんぽんひるがえり、敵軍勢が顕れた。
 目的は水晶王の心臓だ。先日の襲撃でも、虹をさらった後は速やかに撤収している。
 ふいに、苦い想いがアーシェルの喉をしめつけた。
 冷酷無慈悲な錬金術師は、千載一遇の好機を手にしながら、王の水晶核を奪わなかった。
 奪えなかったのだ。油断もあったのだろうが、虹という存在に魅了され、蜂蜜色の甘い肉体を抱きしめ、黄金にこごる魂を愛撫されたか……殺すには惜しいと特別の執着を抱いたに違いない。
 ――ちぎらせるものか。この命にかえても、悪縁を断ち切ってみせる。
 貴金族の群れは水晶族に少し似ている。どちらも非常に古い種族で、唯一無二の指導者と、そのほかすべての哨兵で構成される。謀反など起こりえない、王に対する絶対忠誠、誠心誠意の奉公。
 指導者を失ったとき、水晶族がそうであるように、貴金族もまた次の指導者を選出するまでに時間がかかる。
 頂点を討ち取れば、敵は退く。恐らく、感情的な弔い合戦にも発展しないはずだ。
 総数で劣る水晶族が勝つためのたったひとつの方法は、主級を素早く確実に殺すことだ。
 乾坤一擲けんこんいってき、先鋒隊が水晶砲を照準した。敵を生みだす異次元の扉に向けて、苛烈な光が放たれた!
 敵もすぐさま反撃を開始し、陰々囂々いんいんごうごうたる火焔の唸り声と共に、直径三〇フィートはある焔の玉が次々と顕れた。血紅色の球体はさらに有害な光彩を増し、耐えがたい灼熱となって燃えあがる。
 凄まじい熱波に、大地が、樹々が悲鳴をあげた。深紅の熱せられた吐息に吹かれて、自然発火が生じる。
“怯むな! 撃て!”
 統一された仲間の強い意思が、精神感応で伝わってくる。
 水晶砲がまっ赤な球体を打ち砕くと、残った球体は、怒り狂った魔物さながら、赤身を増して熱放射も一段と強さを増した。有害な赤い炎をあげて、隕石のごとく地面めがけて落ちてくる。
 破壊! 破壊! 破壊!!
 大地が穿たれ、悪魔のようにかくたる火柱があがる。灼熱の溶岩は冷酷無慙な牙のごとく、大地をかみ殺し、草木を殺し、鳥獣を殺した。
 凄まじい火焔球と水晶砲の応酬により、互いの前衛は溶け消えていく。
 蛇のようにとぐろを巻く紅蓮大紅蓮の焔は、すすけた煙道から叉状をなして飛びだし、世界を滅ぼす勢いで、高い大水晶環壁かんぺきすらのみこもうとしていた。
 いよいよ世界の終わりか、狂瀾怒濤きょうらんどとうのさかまく火炎地獄を、黄金に煌めく種族は怯むことなく悠々渡ってくる。
 しかし、死を恐れないのは水晶族も同じであった。
 否応なしの白兵戦はくへいせんに突入したとき、彼らは密集陣形をとり、その躰を水晶硬化させて、金剛に匹敵するつよさをまとった。
「進め! 王をお守りせよ!」
 かけ声と吶喊とっかんの声が、水晶塵と朱金の火花、煙とがもうもうと渦巻くなかでまざりあう。
 敵味方の戦線がうねりながらぶつかりあい、前進も後退もできない、地獄さながらの修羅場。混沌化した死の戦線で、同じ地面のうえ押しつ押されつし、灰色の雲間に、言語に絶した殺戮の騒擾そうじょうを投げかける。
 敵味方の別もなく死骸が累々。塵芥の漂うなか、両者は激突し、どちらも退こうとしない。水晶族は黄金の滴る剣を振るい、敵は水晶粉に煌めく剣を振るった。
 このときを待っていたアーシェルは、麾下きか精鋭を率いて、敵の楔形陣に側面から食いこんだ。敵は柔軟に陣を動かし、左右から挟撃を試みる。
 凄まじい最後の抵抗のなか、味方は次々と消えていく。いたるところで、キィン、冷たい結晶化の音が聴こえた。継いで、絶叫めいた水晶核の砕け散る音。煙のなかで夥しい水晶塵がきらめいている。
 絶望的な状況であっても、味方の闘魂は失われていなかった。己のためだと思えば既に気力も尽きているが、王のためだと思うと力が湧いてくる。もとより死ぬ覚悟。目的は錬金術師ただひとり。はなから退路など念頭になかった。
「コウはどこだ!」
 ついに鋭い怒声が聴こえた。
 見えた。錬金術師だ。
「貴様かッ!」
 残忍な怒りに燃える赤い眸は、新たにかきまぜられたおきのように輝き、凶々まがまがしい邪さがぞっとするほどきつく漂う。
「おのれ、よくも虹様を――」
 アーシェルも吐きすてるようにいった。あれは虹を穢した宿敵ぞ!
 首級同士、互いの麾下きか精鋭が躍りかかってくるが、アーシェルは一顧だにしなかった。視線はただひとり、黄金の錬金術師に固定されている。
 ここで決めなければ次はない。
 なじんだ剣の柄がしっくりと手にはまるのを感じ、アーシェルは神経を研ぎ澄ませた。おりのように積み重なった疲労が消え失せ、重苦しい怨嗟すらどこかへ消えた。
 すべきことはただひとつ、黄金の心臓を打ち砕くこと。
 それ以外の余計な心配事、雑念は消え失せ、別のもの――王の藩屏はんぺい八職はちしきとしての純然たる魂――灼熱する自信が澎湃ほうはいとして胸に湧きあがり、鼻の奥に焔の匂いが充満し、目にはかすかに戦場の紅い霞がかかった。
「コウを渡せ!」
 錬金術師が黄金の錫杖を掲げる。天空は不気味に唸り声をあげて、焔の玉が顕れた。血紅色の球体はさらに有害な光彩を増し、耐えがたい灼熱となって燃えあがる。
 息もできぬ熱波のなか、アーシェルは水晶の鎧を全身に纏い、さらに距離をつめた。相手は近接を嫌って距離をとろうとする。そうはさせない――薄い光の刀身を大上段に構えると、恐ろしい俊足、光の延長線となり、ここぞ錬金術師の頭とおぼしき場所をねらって、渾身の一撃をふりおろした。
 スゥッ――剣が目標物にまともに食いこんだ感触があり、黄金の頭蓋骨から、長身の躰がまっぷたつに割れた。
 鈍い響きがあり、錬金術師は屠殺場とさつばの羊のようにくずれおちた。永遠の命が失われる。くぐもった声とともに、最後の呼吸が途絶えた。
 その瞬間、貴金族の哨兵は、ひとり残らずぴたりと動きを止めた。王の呼気が途絶えたことを感じとった一刹那いちせつな
 ――オォォォオォォッ!!
 意味をなさぬ怒号があがる。君主の亡骸なきがらを守ろうとする者、怒れる奔流となってアーシェルに襲いかかる者とに別れた。
 襲いかかる必殺の攻撃を躱しながら、アーシェルは急速に躰が蝕まれていくのを感じた。胸の奥で、水晶核が冷たくっている。
「アーシェル様!」
 味方が身を挺してアーシェルをかばった。水晶核の砕ける音を聴きながら、アーシェルは歯噛みする。
 ――遺骸を持ち帰りたい。錬金術に知悉ちしつする者だ。不滅の心臓を有していてもおかしくはない。死すら終焉ではなく、久遠くおんするうちに蘇らないともいいきれないのだ。永劫の檻に捕えなければ。
 気力を振り絞り、目の前に立ちふさがる黄金を破壊していく。敵も死にものぐるいで王の亡骸を固守する。命が、焔が、水晶の刃のうえできらきらと輝いている。
 ヒュッと風を切る音。避けようもない横凪ぎの一閃、味方が躰を滑りこませ、剣を弾いた。
「アーシェル様ッ!!」
 ソードだ。ユシュテルもいる。分厚い敵の陣を突破して、ふたりがきてくれたことに、アーシェルの細い緊張の糸は殆ど切れそうになった。
「――首を」
 貴金族が退いていく。今こそ追撃をかけて、錬金術師の首を持ち帰るべきだ。指示をだしたいが、もう躰が動かなかった。
 光が消えて、音が消えて、沈黙。徐々に失われていく感覚のなかで、アーシェルは虹を想った。苦痛も憎しみも怒りもなく、残されたのは、ただ虹への愛だけだった。
(……どうかご無事で……)
 優しい笑顔、柔らかな眼差し、アーシェルを呼ぶ甘い声……虹というひとは、やはりあらゆる意味で王なのだ。アーシェルが身も心も捧げる、ただひとりの愛しいひと。
 透視力が尽きても、眼裏まなうらには虹の姿が視えていた。