FAの世界

4章:百花繚乱 - 3 -

 鎖のような執着に雁字搦めにされて、虹は疲弊していた。錬金術師の執着は冷めることなく、むしろ肌を重ねるごとに情熱を燃え滾らせているように思う。淫らに責めさいなまれ、最後はいつも気を失うように意識を飛ばしてしまう。
 後孔に性器の挿入こそされないものの、指と舌に暴かれ、全身を黄金の精液に濡らされる。乳首や性器から蜜を噴きあげるたびに舐めすすられ、肌のあちこちに愛撫の痕がのこされた。
「いや、ぁ……」
 弱弱しく蠢く虹を褥に押さえつけて、シュヴァリーは黄金色の指で慎重に秘孔を抜き差しする。
「ふ……ほころんでおる。余も蟲毒こどくにだいぶ馴染んできた……そなたのここを、突きあげる日は近いぞ」
「やめてください」
 弱弱しく顔をそむける虹の耳に、シュヴァリーは顔を寄せた。
「案ずるな、優しく突いてやる……そなたのなかをかきまぜて……たっぷり注ぎこんだやろう」
 息を吹きこむように囁かれて、虹はくちびるを噛み締める。
 冷笑主義的シニカルな為政者でありながら、時間と労力をかけたシュヴァリーの愛撫は丁寧かつ淫らで、必ず交接するという意思が感じられた。
 ――なぜここまで執着するのだろう?
 虹自身にも判らない。ひとつ確かなことは、シュヴァリーは虹を孕ませようとしていることだ。彼の望む完璧な黄金オリハルコンを虹が産めるとはとても思えないのだが、何度訴えても聞いてくれない。このままでは……
 いつものように貪られ尽くした後、暗黒と眠りの重い深いうねりのなか、虹の意識は彷徨っていた。
 覚醒の岸辺はうっする見えるが、永遠にたどりつきたくない。救いようのない現実よりも、夢魔に囚われていたい……
 瞼が震えたとき、恐怖が喉奥からせりだし、頭のなかの群れ飛ぶ鳥がかしましく泣き叫んだ。
 とうとう瞼がもちあがり、金襴づくしの天井を視界に認めると、ぐったりと落胆した。
 内臓は冷たく、心臓は鉛のようで、猛烈に打っている。意識が明瞭になるにつれ、心は重石を積まれたみたいに闇よりなお昏い晦冥かいめいに沈んでいく。
 ――解放してほしい。
 どこにいても、世界の奥底から苦しみが押し寄せてくる。手の打ちようがない。それでもまだ生きているのは、今度こそ諦めないでといった、キャメロンの言葉が頭に残っているからだろうか……
 のろのろと身を起こすと、複雑な菱形をした窓格子から黄昏が射していた。異界の黄金郷は、昼と夜の区別もなく常に黄昏ている。
(……シャワー浴びたい……)
 早くしないと錬金術師がきてしまう。どうせまた黄金に穢されるのだが、熱い湯を浴びたかった。
 化粧机の前に立つと、アンティークな楕円形の鏡に映る顔は、三十二歳よりずっと老けて見えた。目の下に隈が生じていて腫れぼったく、頬は少しこけている。
 黄金に塗れた躰も、室内も、すべてが朽ちかけた淡い黄の薔薇の色に染まっている。かすかに漂う林檎の匂いとあいまって、頽廃の雰囲気を醸していた。
「……アーシェル……ッ」
 助けてほしい、なんて……都合がよすぎて笑いがこみあげてくる。愚かにも、牢獄のかんぬきを自らおろしてしまったのだから。
 目を閉じると、炎上する楽園が浮かびあがってくる。熱い。痛い。熱い。痛い……樹々の、鳥獣の、水晶族の悲鳴が聞こえてくるようだった。
 良心の呵責かしゃくとあいまって、アーシェルから示された、ありとあらゆる愛情のしるしがいまになって心臓を鉄輪で締めつける。焼け火箸ひばしを突き立てられたように、じくじくと痛んだ。
「っ、ぐ……」
 食いしばった歯の隙間から、堪えようもない嗚咽がこみあげた。
 泣く資格などないのに、わが身が哀れで、惨めで、あまりにも無力で、取り返し難い悔悟かいごの念に、滾々と涙が溢れでる。
 あの美しく優雅な、荘厳な森を、虹が壊したのだ。
 様々な緑の織りなす美しい森。常緑の苔。翡翠の沼。鏡のような湖。白樺の谷間。初めて食べたベリーの味を忘れない。名もない小さな小川で釣りをしたこと。あたたかい焚火の焔。星の輝きわたる夜空。白樺を銀色に照らす月光。右へ左へ、いくつも飛来する彗星を数えて、小さな子供みたいに夜通し語り明かした。いつのまにか、巧みにカヌーを操れるようになり、魚もさばけるようになって……
 思いだせばきりがない。
 森が好きだった。愛していた。彼らが好きだった。アーシェルを愛していた。
 もう戻れないのに――虹のせいで燃えてしまったのに――あの森に帰りたくてたまらない。会いたい。アーシェルに会いたくてたまらない。
「ごめんなさい……アーシェル……ッ」
 拳に歯を立て、嗚咽を堪えようとする。けれども、次から次へと涙があふれでて、止め方が判らなかった。永劫の闇に迷いこみ、二度と陽のあたる明るい地を歩けない気がする……
 ふいに、足元が揺れた。
 壁ごと窓が割れて、水晶吹雪、さっと舞いこみ、無限の悲運のなか、かくも甘美な希望の天使が訪れてきた。
「虹様!」
 絶望を貫くしろがねのような声だった。
 月白げっぱくの髪をなびかせ、澄みきった、びっくりするほど碧い眼に強烈な意思を灯し、白装束の裾は戦闘で破れている。
 美しい戦神の顕現けんげんに、安堵と興奮が同時に押し寄せた。アドレナリンが瞬時に体中を駆けめぐる。
「アーシェル!」
 救世主の表情が心配から安堵に変わるのを、虹は見た。しかし、麗貌はすぐに悔しげに歪められた。長い睫毛が蒼い翳りを頬に落とした。
「おいたわしい……」
 声には、無念の響きがあった。
 虹は己を恥じた。湯浴みもしていない。この身は黄金に穢されてしまった。反射的に身を引こうとすると、腰に腕が回され、ぐっと引き寄せられた。我が身が黄金に穢れるのもいとわず、強い力で抱き締める。
「この報いは必ず。今はいきましょう」
 そのとき、貴金族の哨兵が部屋になだれこんできた。重々しく鋭い黄金の剣を抜いている。先頭の男がアーシェルに躍りかかった。
 アーシェルは虹の前に立ち、襲いかかる黄金の刃を剣で受け流した。虹が見たこともないような剣だった。
 黄昏の陽光をもらい受けて煌めく剣は、半透明で、薄い水晶の破片のようだ。仄青い微光がまとわりついて、刃が発光しているように見える。
 剃刀のように薄い光の剣は、しかし黄金の剣を続けて弾き返した。剣戟の音は、重たい鋼というより繊細なウインドチャイムみたいだ。
 武装した大勢の哨兵を目の当たりにして、虹は恐ろしさに総毛立つ思いがしたが、アーシェルは顔色一つ変えなかった。うちあいを二度、三度繰り返し、つぎの閃きで鎌鼬かまいたちのように薙ぎ払った。
「虹様!」
 目が遭い、虹は今度こそ、白く強靭な頸に両腕を巻きつけた。
 濃厚な甘い匂いが漂う。頭を力強い肩に押し当て、目を閉じて、その絶対的で甘美な安心感に身を任せた。
 追撃の魔の手がせまるなか、アーシェルは颯爽と水晶の翼を羽撃はばたかせた。
「――コウ!」
 シュヴァリーが部屋に駆けこんできたとき、既にアーシェルは往還魔法を展開していた。
 見あげる空は、時空を超えてきたときのように、丸く切り抜かれた宇宙が拡がっていた。仄蒼い細光が舞っている。
 彗星のように宇宙をよぎるとき、狂気を宿した紅い眸を見た気がした。