FAの世界

4章:百花繚乱 - 1 -

 光速を超えて時空を超えて、不気味に煌々とした空から、虹はキャメロンに抱えられたまま降下した。
 眼下には、輝かしい黄金郷が拡がっている。
 支柱や屋根の瓦はすべて黄金で、窓のひさしからは金細工や宝石が垂れさがる。どこを見てもまばゆいばかりだ。
 広く均質な黄金きん色のせいか、距離感が掴めない。ただ、風のそよぎと共に、複雑にいりまじった匂いが漂ってきた。かすかな硫黄と火焔、鉄、堅い星の匂い、そして林檎の匂い。
「ここが貴金族の国ですか?」
 虹は、顔に戸惑いを浮かべながら訊ねた。
「ええ」
「こんなに豊かなのに……」
 巨大な黄金を積みあげられ築かれた絢爛豪華な都市。こんなにも栄え、富を謳歌しているのに、水晶の領土まで欲しいのだろうか?
「錬金術師というのは、満ち足りることのない、飽くなき探求者であり侵略者なのです」
 地面に着地しても、キャメロンは虹をおろそうとしなかった。
「歩けますから、おろしてください」
 身じろぐ虹を、キャメロンはしっかりと腕に抱き直した。
「素足でしょう」
「そうですが……」
 ふと、初めてアーシェルに出会ったときのことを思いだした。彼も素足の虹を、優しく抱きあげてくれた。
 不意打ちの優しい記憶が、胸を締めつける。心臓は胸郭のなかで叫んだ。ああ、アーシェル。アーシェル! 大声で叫んだ。骨の髄までを震わせた。
 身を縮め、奥歯を噛み締めて、とり返し難い後悔の念に耐えるしかない。苦痛から意識をそらそうと顔をあげると、開け放たれている柱廊玄関の巨大な扉から、重厚な黄金の甲冑をまとった哨兵がふたりやってきた。
 正面に立つ哨兵のひとりが腕を伸ばし、キャメロンは虹を差しだそうとした。
「ちょっと、待ってください」
 虹は慌てるが、哨兵は難なく虹を抱きかかえて、踵を返した。
「キャメロンさん!」
 虹は甲冑越しに叫んだが、彼は役目を終えたといわんばかりに、霧のように姿をかき消してしまった。その瞬間、取り残されることへの恐れがこみあげたが、どうにか堪えて、自分を抱えている男を仰ぎ見た。
「僕をどこへ連れていくんですか?」
 すると黄金の兜のなかから、
「先ずは湯浴みを。それから我らの長にお会いいただきます」
 と、振動するように声が答えた。
(湯浴み……)
 確かに、聖餐の途中だったので、躰は色々な体液に塗れている。風呂に入れるのはありがたいが、とてつもなく厭な予感がする。
「あとでキャメロンさんに会えますか?」
 甲冑のふたりは答えなかった。虹は何度か質問を繰り返したが、彼らがくちを開くことは二度となかった。全身鎧をまとっているので、表情も体温も判らず、はたして生きているのか疑問に思う。
 扉をくぐり抜けると、室内は異様な光に満ちていた。妖術の金火鉢から極彩色の火とで、部屋全体を不気味に照らしているのだ。
(まるで魔王の城だな)
 巨大建造物の大理石の床に、靴音が響いて聴こえる。支柱のところどころ、甲冑をきた歩哨が立ち、虹を油断なく観察している。
 荘厳で、よそよそしい雰囲気ではあるものの、今のところ虹を害そうという意図は感じられない。湯浴みをさせるくらいだから、少なくとも罪人扱いではない。重要な捕虜か戦利品か……彼らの長にあえば判明するのだろう。
 城の最奥にある、泉のように広い浴槽に案内された後は、四つ腕の召使にかしずかれながら躰を清めた。召使も全身黄金色の肌をしており、その特異な容姿をついまじまじと眺めてしまうが、彼らは粛々と四つの手を器用に動かしていた。
 用意された衣装は、鮮やかな橙色と緋色に染められた、古風な感覚と異国風のち方で作られたもので、虹に似合うとは思えなかったが、おとなしく身に纏った。
 廊下にでると、ふたたび歩哨に左右を挟まれながら、豪奢な応接間に通された。
 はるか上方の垂木の向こうに金箔で覆われた天井が拡がっている。まばゆい円環照明から銀の香炉が垂れさがり、麝香じゃこうと血をまぜたがごときかすかな匂いが漂っていた。
 窓辺の湾曲した長椅子から立ちあがるキャメロンを見て、虹は不安が和らぐのを感じた。彼の方に歩み寄ると、背後で氷つくような音がした。驚いて振り向くと、扉が透明水晶で覆われようとしていた。キャメロンの魔法だろうか?
 ふたたび前を向いたとき、彼はもう正面に立っていた。
「良かった、キャメロンさんがいてくれて」
 ぎこちなく笑みかける虹に、キャメロンは淡々とした眼差しをよこした。
「私がいて良いことなどありませんよ。しかし今は、コウと剥離はくりが進んだ作用に感謝すべきでしょう。時空往還術を少しの間ですが、保つことが可能です。ごく細いみちですから、貴金族に気づかれることはありません。アーシェルならきっと、気づいてくれます」
「いや、僕はもう、アーシェルとは……」
 口ごもる虹に、キャメロンは冷静に続けた。
「ここにいてはいけません。錬金術師は、残忍で貪欲です。ほんのひとときコウに寵愛を授けても、いずれはコウの水晶核を奪い、錬金術に利用するでしょう」
「僕なら、喜んで水晶核をさしあげますが」
 キャメロンは眉をひそめた。
「愚かなことを。自ら命をてるつもりですか?」
「そういうわけではありませんが……」
「水晶核は心臓です。ここにいては、遅かれ早かれほふられます。一刻も早く逃げるのです」
 今度は虹が眉をひそめた。
 いささかの不快を覚えた。この美貌の青年は、いつだって一方的で、理不尽だ。
「……連れてきたのは、キャメロンさんでしょう」
 虹は憮然としていった。
「仕方がありません、私の魂は囚われているのです。いいとして連れてきましたが、機略が途絶えたわけではありません」
 虹は気まずい思いで視線を逸らした。
「だけど、アーシェルさんを裏切ってまで逃げてきたのに……助けてもらったところで、僕はもう……」
 大きな手に両肩を掴まれて、虹は目を丸くした。
「アーシェルと共に、同胞を集めて楽園創造の儀式を行うのです。助かるみちはそれしかありません」
「儀式?」
「宇宙のよみし給う生命神秘の秘術です」
 不安げに眉をひそめる虹の目を、緑柱石エメラルドの瞳がじっと見つめる。
 太古の森を思わせる緑の眸のなかに、往時の交歓の儀式が視えた。
 生殖器官をもたない彼は殆ど無性で、交接の際は水晶と一体となり、そこから生じる光エネルギーで数千、万もの同胞を貫き、悦楽を共有していた。緑の炎めいた光は螺旋を描き、交接する同胞たちを包みこみ、官能の声は折り重なり……
「嘘……こんな、同時に?」
 虹は動揺して何度も目を瞬いた。
 己も大慶たいけいの祝宴では複数人と交わったが、キャメロンのそれは規模が違う。数千、万もの交接だなんて信じられない。
「私と同じやり方・・・でなくても構いません。肝心なのは、一族全員で交わることです」
「えぇ? 待ってください、無理ですよ。キャメロンさんは、なんか光みたいに(?)なれるからいいけど、僕は生身でセックスしないといけないんですよ」
 無理だ。一族全員とやれるわけがない。よろめく虹の手を、キャメロンはとった。
聖寵せいちょうの泉での交歓と同じです。全員で・・・まじわるのです。コウを貫く者もまた別の者に貫かれて、その者もまた別の者に……交歓を交わすのです。悦楽を連ねて螺旋を描きなさい」
「えぇ? いや、そんな……っ」
 キャメロンは虹の頬を両手で包みこみ、わななくくちびるに、そっと、くちびるを重ねた。優しく触れるだけの、親愛のくちづけ。
「恐れないで、コウ。貴方はもう、水晶の心臓をもっている。受け入れさえすれば、何度でも楽園を蘇らせることができるのです」
 呆気にとられる虹の肩を、キャメロンは掴んだ。
「コウ、助けは必ずきます。貴方のしもべを信じなさい。水晶の国はあなたの第二の故郷、終の棲家なのですから」
 揺るぎない言葉は、不思議と虹の心の琴線に触れた。
 ――このひとは、死活に関する重苦しい使命を、どうして受けとめられたのだろう。数えきれないほど儀式を重ねながら、どうして高潔さを損なわずにいられるのだろう?
「……手遅れです。僕は皆を裏切ってしまった」
 力なく垂れた虹の両手を、キャメロンはすくいあげた。優しく包みこむ。
「やり直せばいい。何度でも」
「僕は……」
「どうか今度こそ、諦めないで」
 想いのこもった視線がゆき交う。未来と過去、王としての、親愛、覚悟、悲哀、希望――万感が束の間、互いの手を通して流れた。
「キャメロンさん、」
 虹が呼びかけたとき、キャメロンは、幻のように消え去ってしまった。
 扉を覆っていた水晶の壁が、流砂のように崩れ落ちる。この部屋に誰も入れまいとした、キャメロンの魔法が解けたのだ。
 死霊が通りすぎる類のながい一瞬の沈黙が流れた。息の一継ぎの間。きらきらと水晶の塵埃が舞うなか、ゆっくりと扉が開いた。
 悲鳴をあげたくても、声さえも凍りついている。血潮がつま先まで急激に引いてゆく。
 黄金の錬金術師と目が遭った。