DAWN FANTASY

1章:心臓に茨、手に角燈 - 9 -

 食事を終えた後、ランティスはおびただしい数の黄金を七海に見せた。
 彼は七海の掌に、一枚の黄金を乗せた。昨日、火焔狼コゥダリを倒して手にいれたものだ。
「*******、**************。****************************」
 詳しい説明を聞かせてくれたようだが、残念ながら全く判らない。
 ただ、素人目の七海でも高価ということだけは判る。高貴で上品な煌めき、重さを備えている。大きさはどれも同じで、ちょうど掌に収まる円型だ。
「すごい、一枚一枚違うんだ……」
 きらめく黄金は、それぞれ異なる聖刻文字ヒエログリフが意匠されている。
 裏側の精緻な象嵌装飾は同じだが、表側の象形文字ヒエログリフは、一つとして同じものはなさそうだった。
「************ウテ・カ・エリキサ」
 聞き覚えのある言葉に、七海は顔をあげた。
「ウテ・カ・エリキサ……?」
 七海が真似をすると、ランティスは真剣な表情で頷いた。
「ウテ・カ・エリキサ」
 彼は繰り返し、七海を指差した。
「私?」
「ィオ」
 一体、どういう意味なのだろう。七海と関係のある言葉なのだろうか?
 答えを求めて碧い瞳を見つめると、彼もまた真理を探すように見つめ返してきた。
 二人はしばらく無言でいたが、ランティスは何か思いついたように杖を取ると、黄金を消し去り、不思議な韻律を紬ぎ始めた。
「***************……」
 その響きは、暗黒階段で耳にした韻律と同じだった。頭に響く不協和音に、七海は両耳を手で塞いだ。
「やめてください、ランティスさん。その呪文、怖い」
 やめるどころか、彼は幾重にも魔法円を重ねて、重圧をかけてきた。
 無理矢理に浸透させようとする、上位次元の力を感じて七海は呻いた。心と躰がバラバラになってしまいそうだった。
「やめて! ……“ヤ・メ・ロッ”」
 呪文がやんだ。
 七海はばいふくんで目を大きく見開いた。自分の唇から、別の人格のような、百もニ百も生きた老婆のような声が飛びだした気がした。
「*****……ナナミ」
 ランティスは済まなそうにいうと、震えている七海の背を撫でた。
(今の呪文はなんだったんだろう。前にもあった……? どうしてこんなにも不安になるのだろう?)
 彼の魔法は便利で素晴らしく、心地が良いのに、時々こうして酷く不安にさせられる。その度に安心させてくれるのもまた、彼なのだけれど。
「……ごめんなさい、もう大丈夫です。落ち着きました」
 震えが治まってきたのを感じて、七海はランティスに目をあわせた。ランティスは七海の目を覗きこんで、恐怖がないことを確認してから身を引いた。
「*****、*****……**********」
 彼は独り言のようにいうと、金色の魔法円から飴色の書物を出現させた。分厚い革本は、宙に浮いたままぱらぱらとひとりでにページが捲られていき、やがて白紙でとまった。
 すると彼はペンを持つでもなく、神秘の力で文字を綴り始めた。
「わぁ……どんどん文字が埋まっていく……すごい」
 子供みたいに吃驚びっくりしている七海を、ランティスは一瞥したが、すぐに手元に夢中になった。なにか重大な真理に触れたかのように、真剣な表情で縷々るるとして綴っている。
 こうして眺めていると、彼はまるで好奇心旺盛な学者か研究僧みたいだ。
 ひとしきり文字を綴り終えると、ランティスは満足したように書を閉じた。つぎに、光沢のある筒を出現させ、蓋を開けた。
 なかからでてきたのは、幅三メートルはあろうかという、なめらかな生成り色の大きな地図だった。
「もしかして、ここの地図ですか?」
 七海は視線が釘付けになった。
 地図は羊皮紙のような滑らかさで、折り目もなく、状態はとても良い。
 と、ランティスが二枚目の地図を広げたので、七海はぎょっとした。
「まだあるの?」
 ランティスは、一枚、また一枚と地図を取りだし、魔法で宙にピン留めしながら、最終的に十数枚もの地図を浮かべてみせた。
「嘘でしょ……」
 どの地図も緻密に書きこまれており、文字は読めなくとも、途方もない塔の全容は覗い知れた。
(どれだけ広いの……)
 地図の一つ一つに、四角い部屋が無数に描かれ、扉らしき図形も描かれているが、部屋と部屋が殆ど繋がっていない。階段もない。空間を隔てて隣あっている、奇妙な図だ。
 この塔を地図に写すのなら、あの長い長い階段を描かずしてどうする?
 そう疑問に思うが、この地図には階段が一切描かれていない。
 出口と入口も見当たらない。
 階ごとに描かれているわけでもなく、ただ、無数の四角い部屋で埋め尽くされている。
 四角の大きさはまちまちで、細かい記号や文字で埋め尽くされている。
 四隅に描かれている矢印の図形は、羅針図に違いない。だが、どの部屋にも羅針図が描かれており、方角がまちまちなのも気になる。
「******」
 ランティスは杖の先端から細い光を伸ばし、地図の一点、部屋の一つを差した。
「もしかして、私達は今ここにいるんですか?」
 七海が訊ねると、ランティスは質問を理解しているかのように首肯した。
「****、ティ・ティ・パプラス」
「……パプラス?」
 この場所を表す言葉だろうか?
 どうやらこの部屋は、他と比べて小さいようだ。地図に描かれた四角のなかには、この部屋より何十倍も広いものもある。
「******、ナナミ******」
「はい?」
 七海は地図とランティスを交互に見比べた。
 彼は、口を開いて何かをいおうとしたが……やめた。説明しても、通じないと思ったのだろう。
(ああ、気になる。なんていおうとしたんだろう? 言葉が判らないって辛いなぁ~~)
 落ちこむ七海の肩に、大きな掌が乗せられた。慰めるように、ぽんぽんと叩かれる。
 彼は魔法で地図をくるくると丸めて、筒にしまった。蓋をした一刹那いちせつな、筒は跡形もなく消えた。
「*****」
 つぎに彼は、直径四、五センチの硝子の小箱を七海に渡した。
「綺麗……これは?」
「********、****、******」
「えーっと……?」
 ランティスは手振りで伝えようとするが、まるで判らない。
 小さな硝子の箱に、真珠のような宝石が入っている。蓋は見当たらず、開けられなさそうだ。
「****」
「?」
 正方形の箱を傾けて、なかに入っている真珠を眺める七海を見て、ランティスは心なしがっかりしたように視線を伏せた。
「*****……」
 七海の手から箱を取りあげると、どこかへ消し去った。
 期待に応えられなかったことが七海の胸をにわかに締めつけたが、ランティスはすぐに意志の光を目に灯した。
「プリシパ」
 そういってランティスは、七海の手を引いて数歩を歩き、
「ディノ」
 と、短い言葉を発音し、七海の肩をぐっと引き寄せ、歩きを止めた。
「え? ディノ?」
 七海がオウム返しに尋ねると、ランティスは同じことを繰り返した。プリシパといって手を引いて歩き、ディノといって歩きを止める。
 何度か繰り返した後で、ランティスは七海から手を離し、こういった。
「プリシパ」
 七海は、直感的に歩きだした。
「ディノ」
 その言葉を聞いて、ぴたりと脚を止める。
 素晴らしい、というようにランティスは手を鳴らした。
「ラーチェ、ナナミ」
 なんだか褒められた気がして、七海は笑顔になった。
(なるほど。歩く=プリシパ、止まる=ディノ、ね)
 芸を覚える動物になった気もするが、意思疎通の重要さが厭というほど身にしみている七海は、集中して覚えようとした。
 ランティスは七海の手を掴み、
「パッセ」
 そういって走りだした。七海も手を引かれて一緒に走る。
「パッセ、パッセ、パッセ」
 彼は繰り返すごとに脚を早めた。
「パッセ、は、走る、ですね!」
「ディノ」
 その言葉と共にランティスは脚を止めた。
 ここまでくると、七海にも彼の考えが読めた。恐らく、一緒に行動するうえで必要と思われる、極めて短い単語を教えようとしているのだ。
 それは思った通りで、短い時間で、七海はこれだけの言葉を理解した。
 歩く=プリパ
 走る=パッセ
 止まる=ディノ
 飛ぶ=オッノ
 しゃがむ=ジョセ
 七海は身振り手振りをまじえながら、精いっぱい覚えようと努めたが、隠れる、という単語がでてきた時には不安に駆られた。
「リセトバ、隠れるってこと?」
 火焔狼コゥダリと対峙した時に、彼が繰り返していた言葉だ。あの時、隠れろといわれていたのだと、今になって理解した。
「……ねぇ、待って。私は何からリセトバする必要があるの……?」
「****、*******」
 彼がまた冷静に真剣な表情でリセトバについて説明を続けるので、さらに不安になる。
 あんなに怖い思いはもう二度とごめんだが、またあのような場面に遭遇する可能性があるのだろうか?
 泣きたくなってくるが、とにかく必死に覚えた。今ここできちんと覚えておかないと、命に関わる。
 彼は辛抱強く、落ち着いた様子で、基本を丁寧に教えてくれた。彼のこうした面には、つくづく感服させられる。
 おっとり見えて短気な七海は、ちょっとしたことでいらいらしてしまう癖がある。七海が彼の立場なら、恐らく面倒臭さが顔にでてしまっていただろう。
 覚えたての言葉をぶつぶつとそらんじていると、ランティスは紙と硝子ペンを取りだし、何かを書き始めた。墨が入っているようには見えないが、ペンの動きにあわせて、濃い紫色の図形や文字が顕れた。
 見守っていた七海は、ランティスに生成り紙と硝子ペンを渡されて、おずおずと受け取った。
「ありがとうございます」
 文字は読めないが、図がついているから意味は推測できる。覚えたばかりの言葉を記してくれたのだ。彼の文字のしたに、日本語を書き加えた。
 するとランティスは、興味深そうに覗きこんできた。
 七海は、自分とランティスの名前を、それぞれ漢字とカタカナで書いて見せた。
「七海、ランティス……」
 文字を指さしながら発音すると、彼も、彼のる文字で、七海とランティスの名前を紙に記してくれた。
「七海、ランティス」
 同じように、文字を指さして発音してくれる。異国の美しい文字を眺めて、七海はほほえんだ。
「綺麗な文字ですね……」
 ペンを受け取った七海は、しばらく紫色の文字を眺めていた。
「――七海?」
 我に返った七海は、焦点を手元に定めて、思わずペンを離した。
「やだっ」
 紙を塗りつぶす勢いで、黒洞々こくとうとうとした螺旋をひたすらに描いていたのだ。
「あ、ごめんなさい……」
 落ちたペンを、ランティスは静かに拾いあげた。七海がもう一度謝ると、彼は謝罪を受け入れたように頷いた。
(何これ……どうしちゃったの、私?)
 ランティスの視線を感じたが、表情を繕う余裕はなかった。ただ茫然と不気味な落書きを見つめることしかできない。
 先ほどといい、時々自分が自分じゃないように感じる。頭のなかに魔のかたち垣間かいま見えるのは、正気を失いつつある証拠なのだろうか?