アッサラーム夜想曲

花冠の競竜杯 - 22 -

 早朝の工房。
 光希は重厚なかしの作業机に手描きの図案を広げた。アルシャッドは興味深そうに眺めて、表情を明るくした。
「これは素晴らしい。一枚の絵画のようですね」
「そう思いますか?」
「意匠を施された遊戯卓が、瞼の奥に浮かびあがってくるようですよ」
 アルシャッドの賛辞に、光希は照れ笑いを浮かべた。
 図案には、競竜杯の記念作品らしく、空を流れる竜達が描かれている。
 八つの脚は、下の方にアッサラームの街並みを意匠して、空に向かって飛竜が翔け昇っていく。流れゆく雲と、空を舞う無数の花弁。宝石をあしらった豪華なものだが、伝統的なも取り入れ、創業二百年の歴史を持つポルカ・ラセに相応しい仕上がりにするつもりだ。
「色は決めていますか?」
「鮮やかな彩色にしたいんです。紅玉と蒼玉、緑柱石は絶対に使いたい」
 美しさはることことながら、天然の鉱石は力をもつ。この世界では特にそうだ。内なる炎を受けて光り輝き、目には見えぬ超常の波形を生み出すのだ。
「豪華な卓になりそうですね。いいと思いますよ」
「先輩にそういってもらえると心強いです」
「いい図案ですよ。作り甲斐がありますね」
「はい! 実際に取りかかる前に、アーナトラさんにも見てもらおうと思います」
「そうですね。もうすぐ遊戯卓が届きますよね? その時に見てもらうと良いですね」
 あと数日もすれば、アーナトラは遊戯卓の天板と八脚を工房へ届けにやってくることになっている。
「その時は、先輩も立ち会っていただけますか?」
 上目遣いに恐る恐る訊ねる光希を見て、アルシャッドはふっと和んだ。笑顔で頷く。
「もちろんですよ。どんな遊戯卓か楽しみですね」
「ありがとうございます!」
 光希はほっとして笑顔で礼をいった。

 数日後。アーナトラは助手を連れてクロガネ隊の工房を訪れた。
 運びこまれた遊戯卓の天板や脚は、一つ一つ丁寧に更紗に包まれていた。それらが姿を現すと、集まった隊員達の間から感嘆の声があがった。中には賞賛の口笛を吹く者もいる。
 光希も、最高級の暗紅色に輝く天板を見て、ため息をついた。
「綺麗だなぁ……」
 天然素材を活かした天板の飴色は、自然美の極致だ。磨きあげられ、鏡のように工房を映し出している。この美しい天板に装飾を施すのだと思うと、興奮もするが緊張もする。
「八組の脚は、ご依頼通り、削って磨いただけにしてあります」
 アーナトラは、魅せられたように天板を見つめている光希を見て、満足そうにいった。
「ありがとうございます。細工させていただきます」
 脚の中央に水晶を埋めこんで、銀装飾の竜が昇っていくように仕上げるのだ。
「短い期間で、これほど素晴らしい遊戯卓に仕上げてくださって、本当にありがとうございます」
 光希は心からの感謝をこめていった。アーナトラは、光希が十分な作業時間を確保できるように、丁寧且つ迅速に遊戯卓を届けてくれたのだ。
「感謝するのはこちらですよ。どんな風に仕上がるのか、完成が楽しみで仕方ありません」
 アーナトラは笑顔でいった。彼は工房の幾人かと面識があるようで、打ち合わせを終えたあとも、遊戯卓を囲んでしばし会話に花を咲かせた。
 神殿騎士で光希の護衛であるルスタムも、クロッカス邸の建造でアーナトラと浅からぬ面識があり、二人は昔ながらの知己のように言葉を交わしたりもした。
 彼の来訪は、クロガネ隊の若い隊員にはもちろん、工房全体にとって良い刺激となった。
 光希も創造意欲を掻き立てられ、その日のうちに完成図面をヘイヴンに送った。
 返事はすぐにきた。そこには、遊戯卓にかかる費用は惜しまないと記されてあった。
 翌日には、彼の名義で溢れんばかりの宝石がクロガネ隊に届けられた。早速作業にとりかかったものの、宝石のあまりの眩さに、光希は頭がくらくらした。
 手をぷるぷるさせて、純白の天鵞絨びろうどに並べる姿を見かねて、しまいには弟子のノーアが手際よく並べ始めた。
「ふぅ~、総額幾らになるのやら」
 紅玉、翡翠、琥珀、黒玉、月長石、瑠璃……多彩な煌きを放つ貴重な宝石の数々。広大な砂漠世界のすいをすぐったものばかりだ。
「並べてみると壮観ですね」
 頬にかかる髪を指で払いながら、ノーアがいった。
 遊戯卓に使われる宝石は、なんと小片を含めて二万個にも及ぶ。宝石の仕分けに、ほぼまる一日を要した。
 光希が竜の形を整えている間に、アルシャッドは八脚の土台造りを進めている。光希は四苦八苦しているが、アルシャッドの方はどんどん作業を進め、数日のうちに天板の意匠にまで作業は移行した。
「あ!」
 珍しくアルシャッドは慌てた声を上げた。摘まんでいた宝石が、天鵞絨びろうど敷の真鍮盆の上を転がったのだ。落下せずに縁で止まったのを見て、ふぅ、とアルシャッドは安堵の息を吐いている。
「大丈夫ですか?」
「ええ、すみません。手が滑る度に、ひやっとしますよ」
「うっかり失くさないよう、気をつけないといけませんね」
 光希はおどけるように相槌を打ちながら、天板に象嵌を施す、アルシャッドの指の動きに目が釘づけだった。
 彼は今、アッサラームを代表する文の一つ、精緻な淡紅の千花模様せんかもように金箔を刷いて、宝石の小片を埋めこんでいるところだ。
 アッサラームでは、効率的な大量生産技術があらゆる分野で普及し始めているが、装剣金工や金銀細工、宝飾は今でも一つ一つを手作業で行う。
 そこには、機械的な量産では決して表現できない、手仕事の美しさがある。時間はかかるが、魂が宿る。
(それにしても、先輩はすごいなァ……)
 アルシャッドの手元を覗きこみ、光希は心中で唸った。彼はまれなる職人だ。装剣金工と金銀細工において、彼の腕前は神の域に在るといっても過言ではない。追いつける日は永遠にやってこない気がする。圧倒的な実力を目の当たりにするたびに、少しの悔しさと、だがそれ以上に大きな、大きな感動を覚える。
「……そんなに熱心に見られると、照れますねぇ」
 アルシャッドがはにかんでみせると、光希ははっとして瞬きをした。
「すいません、つい魅入ってしまって。いつ見ても先輩の仕事には感服します」
「はは、照れますね。殿下の方も良い仕上がりですね」
 脚の台座に、蓮華を意匠したくろがねを覆っている光希を見て、アルシャッドは感心したようにいった。
「ありがとうございます。先輩のおかげで、前よりうまくできるようになりましたよ」
 たがねの持ち方には、クロガネ隊が口伝で継承している秘訣があり、習得するのに早くても二年はかかる。光希も最近になって、ようやく様になってきたところだ。
「殿下も成長されましたね。教わるのは、俺の方かもしれません」
 師がその弟子を見る眼差しでアルシャッドはいった。彼に認めてもらえたことが嬉しくて、光希は笑顔になった。高揚した気持ちのまま作業に没頭し、あっという間に日は暮れていった。