アッサラーム夜想曲

花冠の競竜杯 - 21 -

 遊戯卓の正式な受注が決まり、早速、光希は装飾の下描きに取りかかった。
 イメージはできている。
 競竜杯を記念した特別な遊戯卓だから、色とりどりの宝石を使い、飛竜の彫刻を施すつもりだ。
 遊戯卓は八角形で、優美に湾曲した八つの脚に支えられている。競竜杯で競う竜もちょうど八頭……天板を目指して、竜が脚を翔け昇りながら、競争しているような構図にする。雄々しくも、ポルカ・ラセに相応しい格調高い豪奢な装飾でなくてはならない。
 およその構成を決めると、竜の絵を描く為に厩舎へ向かった。工房を出ると、青空を翔けていく飛竜の姿が視界に飛びこんできた。
 アルスランと彼の相棒、ブランカだ。銀と青い鱗のいり混じった美しい飛竜である。
 ここのところ、毎日のように宮殿の外周を翔けている。競竜杯が近づいているので、騎竜の調教を優先する為に、彼は哨戒しょうかい任務を免除されているらしい。
 彼等が空を翔ける姿には目を奪われる。優雅で美しく、閃くように翔けていく。高いところを飛んでいると、雲の尾を引くこともある。
 光希は石床に座りこむと、荷をほどいで、下描きに使っている固い麻布と炭を取り出した。
(八つのうちの一つは、ブランカをモデルにしよう)
 輪郭をデッサンしながら、想像してみる。
 遊戯卓の真上から、尖塔を模した多面体に整形した水晶を吊るせないだろうか?
 脚にも水晶を埋めこみ、その土台に逆さまのアッサラームの街並み、尖塔を描く。遊戯卓の脚を翔け昇っていく八頭の飛竜は、空へ、光を放つ水晶に向かっていく。四方から光を当てて、七色の光を部屋中に弾くのだ。砂漠で見る蜃気楼のように……
(……うん! いいかも!)
 夢中でデッサンしていると、アルスランは速度を落として厩舎の方へ降りてきた。光希は急いで道具を片づけると、厩舎に向かって駈け出した。
「アルスラン!」
 部下に飛竜を預けようとしていたアルスランは、光希を見て足を止めた。
「こんにちは、殿下。厩舎にいらっしゃるとは珍しいですね」
「こんにちは。実は、デッサンさせてもらっていました」
 描いた絵を見せると、アルスランは感心したように目を瞠った。
「殿下が描かれたのですか?」
「はい」
「上手ですね。私には絵心が全くないので、本当に尊敬します」
 光希は照れくさそうに頭をなでた。
「いやぁ……ありがとうございます。アルスランとブランカの悠々と空を飛ぶ姿を見たら、描かずにはいられませんでした」
「殿下に描いていただけると知っていたら、もっと上手に飛びましたよ」
 おどけたようにいうアルスランを見て、光希は笑った。
「とても上手でしたよ。遊戯卓に八体の飛竜を意匠しようと思っているのですが、そのうちの一つはブランカにしようと思って……いいでしょうか?」
「もちろんですよ」
「良かった。ありがとうございます」
「お礼をいうのは私の方ですよ。どんな風に仕上がるのか、今から完成が楽しみですね」
 光希は拳をつくった。
「頑張ります! もしよければ、近くでデッサンさせてもらっても良いですか?」
「ブランカを?」
「はい。できれば、騎乗したアルスランも」
「私も?」
「で、できれば」
「構いませんよ」
 快く応じるアルスランに、光希は明るい笑顔を向けた。
「ありがとうございます!」
「お安い御用ですよ。では、早速?」
「はい、アルスランさえ良ければ……」
 アルスランは笑って頷いた。開けた滑走路の方にブランカを誘導し、光希が望むように騎乗してみせる。
「ありがとうございます! すぐにデッサンします!」
「ゆっくりでいいですよ」
 と、アルスランはいったが、光希は集中して手を動かした。多忙な彼が時間を割いてくれているのだ。こんな機会は滅多にない。
「翼を動かしましょうか?」
 騎乗したままアルスランがいう。光希は目を丸くした。
「そんなことできるんですか?」
「お安い御用ですよ」
 アルスランが声をかけると、ギャ、とブランカは小さく啼いて大きな翼を動かした。
「ありがとうございます!!」
 なんて賢い飛竜だろう。光希は瞳を輝かせて、夢中でデッサンを続けた。ブランカはお行儀よくポーズを取っているが、しばらくするとアルスランの方を振り向いた。もういい? といいたげに首を傾げた。
「あ、もう翼を閉じてもらって大丈夫です。ブランカもアルスランもご協力ありがとうございました!」
「もういいんですか?」
「はい、大分描けましたから」
 飛竜を降りて近づいてきたアルスランにできあがった絵を見せると、へぇ、と彼は感嘆の声を漏らした。
「短時間でよくここまで描けますね」
「アルスランのおかげです。お忙しいのに、無理をいってすみませんでした」
 光希は深々と頭をさげた。
「平気ですよ。今日は軍務もないし、このあと装蹄所に寄って帰るだけでしたから」
「装蹄所に?」
「はい。ブランカの前脚の鉤爪を診てもらおうと思って。飛翔する時に重心が少し気になったんです」
 軍部には騎獣施設が充実している。蹄を扱う専門の装蹄所もその一つである。
 装蹄所の役目は重大だ。騎獣の蹄を管理することで、骨や関節、筋肉やけん、あるいは靱帯じんたいなどの影響を調整し、彼等の力を最大限に引き出すことができるのだ。
「へぇ、竜の背にいて、そんなことまで判るんですか?」
 感心したように光希がいうと、アルスランは何気ない口調で応じた。
「少し気になった程度です。ただ、競竜杯はもうすぐですからね。万全を期しておかないと」
「そうですよね。応援しています!」
 拳を握りしめる光希を見て、アルスランはほほえんだ。右手に視線を落として、しみじみと呟く。
「私が競竜杯の騎手に選ばれたのは、殿下とクロガネ隊のおかげです。心骨を注いで鋼腕を授けてくださったこと、本当に感謝しています」
「僕達はお手伝いをしただけです。選抜の結果は、アルスランの忍耐と努力の賜物ですよ」
 はにかむ光希をアルスランは目を細めて見つめた。
「優勝してみせます」
「さすが! アルスランの雄姿を楽しみにしています」
 己の勝利を確信し、不敵に笑うアルスランを見て、光希は笑った。
「ええ、頑張ります。そうしたら、少しは恩を返せるかもしれません」
「その気持ちだけで十分です。鋼腕で困ったことがあれば、いつでも声をかけてくださいね」
 アルスランは頷いた。しばし穏やかな表情でいたが、ふと緊張したように表情をひきしめた。
「殿下、一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「競竜杯の勝者には、望んだ相手から花冠かかんが贈られます。もし私が勝ったら、その役目を殿下にお願いしてもよろしいでしょうか?」
「え、僕でいいんですか?」
「はい。お嫌でなければ」
「僕でよければ、構いませんが……」
 戸惑った様子の光希を、アルスランは気遣わしげに見やった。
「シャイターンに叱られるでしょうか?」
「いえ、そうじゃなくて、僕なんかでいいのかと心配になって」
「忠誠を捧げている殿下に賜りたいのです」
 光希は照れくさそうに笑った。
「花かぁ……緊張しますね」
「俺も柄じゃないんで、少し恥ずかしいです。殿下を巻きこんですみません」
 無意識に、自分を俺といったアルスランを見て、光希はくすぐったそうに笑った。
「あはは、判りました。巻きこまれます」
「助かります」
「任せてください。大きな花で作りますね!」
 光希がふざけて、花冠をアルスランの頭に乗せる素振りをすると、彼は笑いながら身を屈めた。
「ありがとうございます、殿下」
「予行練習ですね」
 目と目があう。その瞬間、彼の勝利する姿が視えた。光希の願望が視せたのか、或いは超常の幻視かは判らないが、幸運のきざしであることに変わりはない。
「きっと、勝利の女神がほほえんでくれますよ」
 確信めいた口調で光希が告げると、アルスランは瞬きをして、はにかんだ笑みを浮かべた。
「そうですね、きっと」
 ほほえみを交わし合う。束の間、二人は同じ未来を見た。
 それから別れの挨拶をして、アルスランは今度こそブランカを厩舎へ連れていき、光希も上出来のスケッチを胸に、笑顔で工房へ引き返した。