超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

4章:新人類 - 8 -

 レオは谷山に銃を向けた。
「どけ」
 谷山は降参というように両手をあげたが、その表情は不自然なほどリラックスしている。
「落ち着けよ、俺は敵じゃない。一緒に連れていってほしいんだ」
「断る。そこをどけ」
「なぁ、判ってるだろ? 銃なんかじゃ、俺を殺せないって」
 谷山は肩を揺りあげた。
 次の瞬間、躊躇なくレオが引き金を引いたので、広海は息を飲んだ。
 硝煙と共に火花が散る。
 しかし谷山は無傷だった。決して威嚇射撃ではなかった。レオは急所を狙ったが、谷山は弾丸よりも高速で動いて、避けたのだ。
「せっかちだなぁ、人の話は最後まで聞けよ」
 拳銃をしまうレオを見て、谷山は歩み寄ろうとした。
 だがレオは、一瞬で距離を詰めると、容赦なく谷山の首を片手で掴んだ。サブマシンガンが床に落ちる。
「っ、だから、敵じゃねーつってんだろ! 二人の、方が、広海クン、守りやすいだろうが」
「いらねぇよ、お前の手助けなんか」
 ぐぐっと谷山の躰が浮きあがる。苦しげに息を喘がせながら、谷山は首を掴む手をどうにかはずそうと藻掻く。
「ぐっ、てめ……ッ」
 次の瞬間、巨岩が砕けるような音と共に、眩い閃光が走った。
 咄嗟に顔を背けた広海は、谷山の笑い声を聞いて、恐る恐る目を開けた。一体何が起きたのか、コンクリートの柱に罅が入り、地面はえぐれている。
「ハハ、俺すげぇー」
 拘束を逃れた谷山は、自分の両掌を見て、興奮した様子ではしゃいでいる。
 ひたとレオを見据えた時、琥珀のひとみには好戦的な光が灯っていた。
「……ロミ、離れてろ」
 レオは谷山を見据えたままいった。広海は二人を振り返りながら距離をとり、航空機の影に隠れた。
 その様子を見て、谷山はまた笑った。
「飼い主と番犬だな。なんでお前みたいな奴が、あんなの庇うんだろってずっと不思議だったけど、今なら判るよ。俺も広海クンの傍にいたいわ」
 レオは目を細めると、高速で右の拳を放った。
「っ!」
 顔面にもらい受けた谷山は、鼻血を押さえながら後ずさりをする。顔からにやけた笑みを消すと、次の瞬間、レオに襲いかかった。両腕ごと封じるように胴をホールドし、そのままコンクリートの柱に打ちつける。
「ぐっ」
 レオは呻いたが、頭突きを喰らわせ、片腕の自由を取り戻すと同時に、強烈な肘鉄を肩に打ちこんだ。
 重たい衝撃に、谷山は平衡を崩しながら距離をとる。
「てめぇ……」
 肩を撫でて動くことを確かめると、谷山は再び間合いを詰めた。
 顔を狙った必殺の一撃を、レオはステップで躱す。続いて左から飛来する拳を掌底で受け流し、脚頸を狙った蹴りは、跳躍により躱した。
 ゴッ、ゴッ!
 一つ一つの攻撃が鋭くて重たく、肉弾戦とは思えない音が鳴る。鉄が凝縮されて生じるような音だ。
 超人同士の熾烈な攻防を、広海は固唾を呑んで見守っていた。動きが速すぎて、もはや肉眼では追いきれない。自分が戦っているわけではないのに、心臓がばくばくして、呼吸が苦しい。
「ははっ」
 だが、谷山は愉しんでいた。好戦的な笑みを浮かべながら、嬉々としてレオに襲いかかる。今までの谷山とは明らかに違う。レオと対等に渡りあえるなんて、ありえなかったことだ。
 鋼よりも重たい高速の猛攻を、レオは巧みに躱し、一瞬の隙を突いて、谷山の腕をねじりあげた。そのまま垂直に圧力を加える。
 ぼきっ。
 恐ろしい音がした。腕の皮膚を骨が突き破っている。
「ぐあ、ぁ゛」
 谷山は咄嗟に距離を取り、腕を押さえた。
 決着はついたかと思われたが、驚いたことに、ほんの数秒で折れた骨が元に戻っていく。
 唖然茫然。広海は言葉がでてこなかった。もはや人間の戦いではない。
「はは……すげぇ」
 完治した腕を見て、谷山は満足げに笑った。その場で二回、軽く跳躍すると、ぴたりと動きを止める。
 次の瞬間、谷山は、レオの眼前に迫った。
 人間離れした速度だが、レオも素早く躱し、死角から鋭い一撃を放つ。仰け反る谷山を逃さず、高く跳躍すると、脚を谷山の首に絡めて、地面に押し倒した。
「ぐっ」
 今度こそ死んだんじゃないかという鈍い音が鳴ったが、谷山は威勢よく藻掻いている。レオは大腿に力を加えて、
 ぼきり。
 容赦なく頸をへし折った。
 レオは、ゆっくり立ちあがると、動かなくなった谷山を見下ろした。
 成り行きを見守っていた広海は、全身の血液が凍りついたように感じられた。
 今度こそ終わりだ。
 そう思われたが、谷山は、躰に電流を流されたみたいに、ぴくりと動いた。ねじ曲がった頸が、元に戻っていく。
「て、め、えぇ゛ッ」
 ついに両手で頭を支えながら、幽鬼のように起きあがった。
「……へぇ、生き返るんだ」
 これにはレオも驚いたようで、半ば感心したように呟いた。
 谷山は少しふらついているが、へし折られた頸の骨は、完全に元通りだ。彼は、射殺さんばかりにレオを睨みつけたあと、おもむろに広海を見た。
「っ」
 ひゅっと息を飲んだ次の瞬間、谷山は腕を伸ばし、指を曲げて、ピストルの形を真似た。
 ただの指鉄砲だ。弾丸が発射されるわけがない。
 けれども、広海は死の予感に襲われ、時が止まったように感じられた。
「BAN!」
 谷山が口ずさんだ一刹那いちせつな、レオは空間を湾曲させ、広海を包みこむ不可視の――可視光線の域外、いわば電磁波による防壁を張った。
 その一瞬の隙を逃さず、谷山はレオの頸を掴み、地面に引き倒した。
 恐ろしい音がして、レオが苦しげに呻く。彼が血を吐く瞬間を、広海は初めて目の当たりにした。
「レオッ」
 駆け寄ろうとしたが、不可思議な感触に跳ね返された。どうしたことか、向こう側へいけない。広海は、見えない膜に拳を叩きつけた。
「レオッ!!」
 戦局が変わった。
 これまで谷山を圧倒していたレオは、攻撃を受け流し、防御に徹し始めた。
(そんな、無敵のレオが――)
 攻守交代とばかりに、谷山は嬉々として力をふるっている。数台のジープを宙に浮かべ、弾丸のようにレオにぶつけるという離れわざまでやってのけた。
「やめろッ」
 広海は悲鳴をあげたが、レオは無傷だった。数トンの鉄塊は、未知のエネルギーの前に素粒子分解されて溶け消えていく。
 消失の燐光のなかからレオが無傷で現われると、谷山は恍惚となった。
「すげぇ! マジで無敵マンじゃん!」
 セックスやドラッグなんかでは到底比較にならないほどハイで、宇宙のてまでイッたみたいな絶頂クライマックスに貫かれた。
 力を使うたびに、より速く、鋭く、強くなっていく。鉄よりも、金剛よりもつよく。
 ぴりっ……頬に裂傷が走るが、蚊に刺された程度にしか感じなかった。無敵になった自分に、もはや痛みなどない。
 谷山は、与えられた力に酔いしれ、夢中になるあまり、神経細胞が悲鳴をあげていることに気がつかなかった。
 ぴりっぴりり……額と首にも裂傷が走り、血肉がのぞく。それでも、物狂ものぐるいじみた笑いは収まらない。
「は、ははは……ははは……っ!」
 無尽蔵にほとばしる力を、レオにぶつける。どうだ、見たか! 初めて口をきいた時から、人を見下した態度が気に入らなかった。鼻っ柱をへし折ってやりたいとずっと思っていた。
 今がその時だ。あの糞生意気な神楽レオが、谷山を前に防御の一手だ。手も脚もだせずにいる。
「はははははははは………ん?」
 とどめを刺してやろうと両腕を振りあげ……違和感を覚えた。ふと下を見ると、右腕がなかった。
「え?」
 谷山は、ようやく異変に気がついた。右腕がない。切り落とされたのではなく、溶けている・・・・・
「なんだ、これ……」
 右腕がない――細胞が破壊され、ぽたぽたと血肉が溶けて、コンクリートに血溜まりを作っている。
「半覚醒がイキるからだ。無敵マンになれても、不死身じゃねーんだよ」
 冷静にいい放つレオを、谷山は蒼白な顔で見つめた。
(まさか――それ・・が狙いだったのか?)
 返される眼差しに、確信を得る。レオは、防御一辺倒に見せかけて、谷山が底を尽くのを、覚醒の上限を超える瞬間を、狡猾こうかつに待っていたのだ。
「てめぇ……ッ」
 憎悪をたぎらせながら、肉体の修復を試みる。だが骨折や臓器損傷の治療とはわけが違う。素粒子レベルの破壊など、食い止めようがなかった。
 諦めるな。神経を繋げ――焦燥に駆られながら、冴えた頭脳は、自分が越えてはいけない一線を越えてしまったのだと、冷静に理解していた。
 物質崩壊を止められない。ずぶずぶ……肉塊となって血溜まりに沈みこんでいく。
「こん、なっ……ち・き・しょおぉぉぉおおぉぉぉぉ……ぉぉぉ……」
 最期の咆哮も、声帯が溶けたことで潰えた。
 破壊の伝播でんぱは肉体に留まらず、身に纏っていた衣類や貴金属にも及んだ。
 蛍火のような青い燐光を発しながら、全てが分解され、地面に染みこんだ血肉すら、さらに無に還ろうとしている。
 八十秒と経たずに、谷山は、文字通り跡形もなく、此の世から消え去った。
 ――後になって広海は、これが感染三日目に起きた人類消滅のプロセスに酷似していることに気づくのだが、この時は、そこまで頭が回らなかった。
 ただ、目の前にやってきたレオを、呆けたように見あげることしかできなかった。
「大丈夫? ……じゃねぇか。悪ィ、結構グロかったな」
 レオは気まずげにいったあと、手を差し伸べた。
「レオこそ、大丈夫ですか?」
 助け起こしてもらいながら、広海はレオの表情をつぶさに観察した。どんな異変も見逃さないように。
「全然ヘーキ」
 そう答えるレオは、確かに何の問題もなさそうに見える。
「本当に?」
 広海は真剣に訊ねた。レオは目を瞬くと、ふっと笑った。
「大丈夫だよ、さっさとズラかろうぜ」
 歩きだそうとするレオの腕を、広海は咄嗟に掴んだ。
「レオは溶けない・・・・?」
 不安に揺れる双眸を覗きこみ、レオはふっと微笑する。安心させるように、少し乱れている黒髪を撫でた。
「心配すんな、あんな風に見境なく消耗しねー限り、何の問題もねぇよ」
「本当に?」
「本当だよ。ほら、いくぞ」
 手を引っ張られると、広海も今度は素直に従った。
 数車がまばらにとまっており、そのうちの一台――黒いスーパーカー、アストンマーティン DB11にレオは真っすぐに向かっていく。
 ぎょっとする広海にかまわず、レオは、神妙にロックを解除した。
「マジ!? すげぇッ!!」
 珍しく興奮した様子の広海を見て、レオは片目を瞑ってウィンクする。広海はうっかり赤くなり、誤魔化すように助手席に滑りこんだ。
 扉がしまると同時に、エンジンがうなり、滑らかに走りだした。
 地上にでると、暴風雨のなかフェンス添いに並ぶ監視塔から火が吹きあがり、煌々こうこうと夜闇を照らしていた。トラックやジープの車列からは煙が立ちのぼり、ゴムの焼ける匂いが漂っている。
 兵士が慌てたように駆けてくるが、レオはアクセルを踏みこんで加速した。人が慌てて左右に避ける。だが、目の前には高さ数メートルの堅牢な鉄扉てっぴが待ち構えていた。
「どうするの!?」
 広海はシートベルトを握りしめて叫んだ。
「突破する」
 金緑の眸が輝きを増した。
 鉄扉てっぴにレーザーで焼かれたような四角い亀裂が走り、次の瞬間には、ぽっかりと穴が開いていた。まるでブラックホールだ。エンジンが唸る。吸いこまれるように飛びこんでいく。
「ああああ夢のスーパーカーがあぁぁ――ッ!!」
 広海が頓狂な声をあげる間にも、車は四角い穴をすり抜けて外へ飛びだした。広海は身体を捻って後ろを振り向き、背後の光景を凝視した。穴の開いた鉄扉てっぴは、ぐんぐん遠ざかっていく。車も無事らしい。
「……どうなってるの?」
「できる気はしたけど……我ながら、すげぇな」
 と、レオ自身も驚いたようにいった。
「あんまり無茶はしないで」
 広海は心配になったが、
「あとで補給させてくれ」
 流し目を送られて、赤くなって口を閉じた。
 ふとバックミラーを見ると、第ニ海ほたるから立ち昇る火柱が映りこんでいた。
 眩い強烈な赤。
 嵐の夜闇を照らす光焔万丈こうえんばんじょうは、悪夢のように禍々しく、美しかった。