超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

3章:サヴァイヴァー - 7 -

 情事の後、レオは採取した物体Xを、研究室と化した同じ階にある別のスィートルームへ持っていった。
 彼がでていってしばらく経つが、広海はベッドに四肢を投げだし、茫然としていた。
 全身が気だるく、考えることも億劫で、今夜はもう眠ってしまおうか迷っていると、不意に窓の外から旋回音が聴こえてきた。
(まさか――)
 霞んだ思考が一瞬で冴えた。
 慌ててシャツを羽織りながらバルコニーにでると、東京の上空を、CH-47チヌーク輸送ヘリが飛んでいた。
(まだ軍隊は機能しているのか!)
 突然の希望の萌芽に、胸の奥が燃えるように熱くなる。
 もしかしたら、あのヘリは生存者を探しているのかもしれない。
 この部屋の灯に、気がついてくれないだろうか?
 一瞬のうちに、様々な考えが脳裡を流れ過ぎた。
 懐中電灯を点滅させたり、ロケット花火に火をつけたり、どうにかして注意を引けないだろうか。今すぐレオに声をかけて、この光景を見せなければならない。彼ならば、注意を引くうまい方法を見つけてくれるに違いない!
 ――そう考えた傍から、今さっきの屈辱的行為が閃いて、顔を歪めた。
(……知るかよ、レオなんか)
 衝動的な怒りに駆られて、広海は部屋を飛びだした。
 エレベーター前で少し冷静になり、迷ったが、十五階へ降りた。そこから先は階段でおりていき、自動機関銃を見て、また冷静になった。
 外へ飛びだしたところで、輸送ヘリはもう遠くへいってしまっただろう。
 無意味な行動を自覚する反面、捨て鉢な気持ちも沸いていた。
 部屋に戻れば、どうせまた勝手な行動をとったと叱られるのだ。腹いせまじりに、セックスを強要されるかもしれない。今度は、乳首だけじゃなくて、性器も尻も採取されるかもしれない。
 思わずこぼれたため息は、いかにも憂鬱げだった。
 今はレオの顔を見たくない……ちょっとでいいから、外の空気を吸いたい。
 避難する心地で、十階の踊り場まできた。誰かと遭遇する可能性も考えたが、さすがに深夜で誰もいない。
 さらに静かに階段を降りていこうとすると、五階の踊り場で、マリファナ入の煙草を吸っている春香と目が遭った。
 広海はぎょっとしたが、向こうも驚いた顔をしている。
 一瞬、踵を返そうか迷ったが、彼女の赤く腫れた頬を見て、眉を顰めた。
「どう、したんですか……」
「見て判らない? られて、殴られて、部屋にいたくないから、ここで一服しているの」
 甘ったるい煙を吐きだしながら、春香はいった。
「……」
 この時広海は、彼女に対して奇妙な共感を抱いてしまい、その場を冷静に離れることができなかった。
 黙りこむ広海を仰ぎ見て、春香は、小馬鹿にしたように嗤う。
「君さ、ああやっていつもレオ君の背中に隠れてるの?」
「え……」
「完全にお姫様ポジションだよね。私よりたらしこむのがうまいんじゃない?」
 さっと赤くなる広海を見て、唇を嘲弄ちょうろうに歪めた。
「ねぇ、判ってる? こんな状況で、あんな贅沢な生活、望めないんだよ? 暖かくて清潔な部屋に、安心して眠れるベッドと、まともな喰料・・・・・・があって、電気もお湯もガスも使えるなんて、信じられないほど恵まれた生活を送っているんだからね?」
「それは、まぁ……」
「私はね、君と違って労働しないと、喰べ物もらえないの。誰も同情なんてしてくれないの。レオ君におんぶに抱っこの君とは、全然違うんだよ」
 俺だって。俺だって――感情が激しかけたが、広海はぐっと抑えた。
「……喰料は、まだあるんですか?」
 春香は、意味深長な笑みを浮かべた。穏やかなのに、もの狂いじみた鬼気迫る表情で、広海は全身の肌が総毛立つのを感じた。
「あるよぉ、ひき肉・・・が~……うふふふ」
 春香は引きつった笑いを浮かべた。
 だってねぇ……と甘ったるい口調で続けよとする。その先は聞きたくなくて、広海は踵を返そうとした。
「……救急箱、」
 持ってきます。そういおうとして、腕を掴まれた。
「いらない。そんな安い同情じゃなくて、助けてよ。ここから連れだして」
 真剣な表情に、広海は息を飲んだ。非力な女性とは思えぬ、強い力が広海の手首を掴んでいる。
 しかし、春香はすぐに表情筋を緩めると、中毒者特有の、夢見るような表情に戻った。ふっと自嘲気味に笑うと、掴んでいた手を離した。
「なーんて、ね……無闇に同情すると、またレオ君に怒られるよ。あんたたち、セックスしてるんでしょ?」
 春香は、意地悪そうに笑った。広海は自分の着乱れた格好を見下ろして、赤くなった。慌てて、かけ違えたボタンをとめ直すが、その動作こそが、春香の言葉を肯定していた。
 あーあ、と春香は声をあげて立ちあがった。
「私より君の方がいいなんて、イカれてる。ま、好きにすればいいけどぉ……」
 不貞腐れたように言い捨てると、春香は背を向けた。ふらふらと廊下の奥へと歩いていった。
 彼女が去ったあとも、広海はすぐに動くことができなかった。
 やめておけと理性が囁くが、彼女の放った言葉を何度も反芻してしまう。
 ひき肉。ひき肉。ひき肉。ひき肉……
“あのおっさん、どの道殺されると思うぜ”
 レオの言葉が脳裡を過る。
 小平は無事なのだろうか?
 まさか。まさかとは思うが、飢餓のあまり……
 己の妄想に吐き気を覚え、広海は口元を手で覆った。
「……おぇっ」
 時に想像力は凶器だ。
 無理矢理に思考を遮断して、吐き気は鎮まったが、レオとの関係を指摘されたことに対する動揺は、なかなか鎮まらなかった。
 こんなことでショックを受けて、独りになろうとしている自分を滑稽に感じる。ヘリを見た時の衝動は失せていたが、部屋に戻ることは躊躇われて、力なく階段を降りていった。
 不意に後ろから足音が聴こえて振り向くと、谷山がいた。
 彼の姿を目にした瞬間、広海の心臓は跳ねあがった。
 緊張に強張る広海と違って、谷山は、広海がいることを知っていたかのように、余裕のある笑みを浮かべた。
「さっきぶりー、広海クン」
 間延びした口調は相変わらずだが、瞳は暗く淀んでいて、嗜虐的な光を灯していた。
「こんばんは……」
 広海は自分の迂闊さを悔やんだ。やはりくるべきではなかった。
「そんなに警戒しないでよ。襲ったりしないからさァ」
 にやにやしていた谷山は、不意に言葉を切り、真剣な表情になった。身構える広海の顔を、喰い入るように凝視してきた。
「あれェ? なんだろ~、甘い匂いがする……」
 谷山は不思議そうに首を傾げると、広海に近づいてくる。
「あの、ちょっと」
 広海は無意識にあとずさりをしながら、動悸がして、掌が汗で湿るのを感じた。
「……なぁ、頸のそれ、キスマーク?」
 谷山は、絶句する広海の顔の横に片手をついて、胸に視線を落とした。おもむろに空いた手を伸ばし、シャツの上から胸に触れる。
「なっ!?」
 広海は乱暴に手を振り払ったが、谷山は怯まなかった。破きかねない勢いで、広海のシャツをたくしあげた。
「ちょっと!?」
 谷山は、広海の乳首を凝視していた。広海もそこに視線を落とし、絶句した。朱く膨らんだ突起に、うっすらと吸盤の跡が残っていて、白蜜が滲んでしまっている。
「人の趣味にケチをつける気はないが、お前らホモな上に、何やってんだ?」
「違う! やめてください、見ないで……っ」
「変態かよ。乳首に何塗って……?」
 指で先端を押されて、広海はびくっとした。谷山は指に付着したそれを不可思議そうに眺めて、何を思ったのか、口に含んだ。
「なっ――」
 目を瞠る広海を、谷山もまた唖然とした表情で見つめた。そうかと思えば、肉づきの良い胸に手を這わせ、尖った先端を指の間に挟みこんだ。
「ぁっ」
 あえかな声を聴いた途端に、谷山の目の色が変わった。
 感じ入った声をあげてしまい、広海は蒼白になって逃げだそうとするが、谷山は躰全体で迫ってきた。押しつけられた躰の熱さに戦慄する。
「やめろっ」
 はぁはぁと顔のすぐ傍で聴こえる息遣いは荒く、男の興奮を否応無しに伝えてきた。
「……俺さ、前に道玄坂でお前らが野球してるの見てたんだよね。ゾンビがうようよいるのに、平然と野球してるから、目を疑ったよ」
 意表を突かれて、広海は言葉がでてこなかった。
「ずっと疑問だったんだ。なんでこいつら襲われないんだろう? 平然と歩いているんだろう? ……レオのあとをつけたこともあるよ。すごい身体能力だよね。ゾンビに襲われないし、無敵かよって思ってた」
「離して……ぁっ」
 乳首をきゅうっと摘まれて、蜜が溢れでた。谷山の指を濡らして、滴り落ちていく。
「もしかして、これが秘密? お前とセックスすると、無敵マンになれるわけ?」
「そんなわけないでしょう」
 正鵠せいこくを射た言葉に烈しく動揺しながら、広海はわざと怒ったようにいった。谷山は笑わなかった。秘密を探るように、広海の顔をじっっと見つめている。
「でも、なんか舐めただけで、アドレナリンの分泌ハンパないんですけどー?」
「えっ」
「広海クン、実は意外と魔性? もしかして、レオも骨抜きにされちゃったクチ?」
 怯む広海を見て、谷山は喉の奥で笑った。
「なるほどね~、春香じゃダメなわけだ。んだよ、ホモだったんか……男舐めるなんてイカれてるとしか思えないけど、広海クンじゃしょうがないか?」
 複雑な顔で黙る広海を見て、谷山はにやにやしだした。
「気に入ったよ、広海クン。マジで免疫保持者・・・・・なら、例の機関・・・・が丁重に保護してくれるかもよ。一緒にいってみる?」
「……粘膜接種の効果は一時的なものだから。俺とセックスしたって、無敵マンにはなれませんよ」
「あ、認めちゃう? じゃー外行くときは、広海クンを舐めればいい?」
「舐めなくていいでしょう! こ、ここにいれば安全なんだから」
 かっとなって広海は吠えた。だが谷山は動じることなく、醒めた目をしていた。
「馬っ鹿じゃないの。本気でここが安全とでも思っているわけ?」
 怯む広海の顔を覗きこむようにして、
「自分には免疫があるから大丈夫ってか?」
「……」
「ふぅん。危ない時は、お前をしゃぶればいいのか」
「やめてください」
「黙っておいてやるよ。困った時はお互い様だ、助けあわないとな……だろ?」
 にぃっと笑む。
 その表情こそ、彼が仮面をつけて感染者を嬲っていた時の、隠されたつらだと思った。
 背筋がぞっとして、広海はおこりにかかったように震えだした。
「なぁ、飲ませろよ……」
 谷山は魅入られたような、憑かれたような声でいうと、広海の肩を掴んで壁に押しつけた。
「や、やめて……っ」
 今すぐ逃げなければいけないのに、怖くて、脚に全く力が入らない。
「おい!」
 物騒な声が割って入ると同時に、広海に覆い被さる谷山を、荒々しく引き剥がした。
 広海は、安堵と恐怖がい交ぜになったような、奇妙な感情に襲われた。金緑に光る瞳は獰猛で、獲物を見つけた黒豹を思わせる。
「ロミに関わるな」
 レオは背中に広海をかばいながら、威嚇するようにいった。
「あんたこそ、広海クンと何してるんだよ? 笑えるんですけど――ぐッ」
 肩を揺りあげていた谷山は、いきなりレオに顔面を鷲掴まれ、そのままコンクリートの壁に後頭部を叩きつけられた。
 凄まじい音がして、広海は竦みあがった。
 一瞬、殺してしまったんじゃないかと危惧したが、谷山はずるずるとしゃがみこみ、くぐもった声で呻いている。
 壁に、血が付着している。
「ッ……ンだよ、この野郎ッ」
 谷山は頭を押さながら睨みあげるが、悪魔に射竦められたみたいに、言葉を呑みこんだ。レオが顎をしゃくってみせると、後頭部を押さえながら憎々しげに見返して、
「退散してやるよ……広海クン、必要な時・・・・は頼むぜぇ」
 狂気に蝕まれた目で広海を一瞥したあと、嘲るように手を閃かせ、五階の廊下へと消えた。