超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

1章:感染 - 2 -

 行く手を阻む狂人をレオが対処する傍らで、広海は、気を失わずにいるのが精一杯だった。ひぃ、ぎゃぁと情けない悲鳴をあげてばかりいたが、レオは広海を見捨てなかった。
 おかげで、どうにか無事にバーまで辿りつくことができた。
 ここを飛びだした時はよく見ていなかったが、入口の扉は、革とびょうで縁取られた厳つい鉄製だ。これなら、侵入される心配は少ないだろう。
 レオは扉の鍵を開けると、広海をなかに押しこんで自分も入り、素早く鍵をかけた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 広海は、両膝に手をついて、荒い呼吸を整えようとした。室内はエアコンで冷やされているが、全身が汗みずくで、毛穴という毛穴から、汗が噴きだすように感じられた。
「大丈夫か?」
 さすがのレオも息切れしている。無理もない。まさしく阿修羅の奮戦だったのだ。
「はい、おかげさまで……」
 広海は感謝を口にしながら、じれったそうに襟のぼたんを外しているレオを仰ぎ見た。
「レオさん、首のところ血がでてる」
「俺の血じゃねーよ。暗くなるけど、電気消すぞ」
 そういってレオは、点いていた厨房の明かりの殆どを消した。一番大きい天井照明は、元々点いていなかった。
「適当に座って待ってて。戸締まり確かめてくる」
 レオはてきぱきとした動きで、一階の窓や扉の施錠を確認すると、二階に続く階段に消えた。
 残された広海は、薄暗い室内を見回した。
 テーブルの上に椅子が逆さまに乗せられている。壁に備えつけのソファーはあるが、薄汚れた格好で座るのははばかられた。
「え~と……椅子をお借りします」
 小声で告げてから、椅子の一つを床におろすと、なるべく音を立てないように静かに座った。
 あらためて室内を眺めてみると、群青の壁に、大きな液晶テレビが二つかけてあり、窓際にビリヤード台とその隣にミュージック・ボックスがあることに気がついた。営業中はきっと、賑やかな音楽が流れているのだろう。
 と、階段を降りてくる足音が聞こえた。ゆっくりと落ち着いた足取りであることに、広海はほっとした。
「喉渇いたろ。なんか飲む?」
 ありがたい申し出に、広海の顔が輝いた。
「いただきます」
「何がいい? 炭酸? アルコール?」
「あ、水で」
「ジンジャーエールとかコーラもあるけど」
「お水で大丈夫です」
「そ?」
 レオはカウンターに立つと、コップに氷と水をいれて、広海の前にさしだした。
「ありがとうございます」
 両手で受け取った広海は、ごくごくと一気に飲み干し、二杯目をおかわりしたところで、ようやく一息ついた。
 汗でシャツが肌に貼りついて不快だった。襟を緩めて、上から二つ目のぼたんを外そうとしていると、レオと目が遭った。
「?」
 広海が動きを止めると、レオはじっっと見ていたことに気がついたように、目を瞬いた。
 奇妙な沈黙は、レオが、壁に設置された液晶テレビをつけたことで破られた。
 映しだされたのは、衝撃的な映像だった。
 東京、横浜、大阪、名古屋、あらゆる街で同時に暴動が起こり、焔と黒煙とを立ち昇らせている。
「酷い……」
 一歩、ニ歩と広海はテレビに近づいて、愕然とした。はっとなり、携帯をとりだしてSNSを開いてみた。
 ネットにはあらゆる情報が飛び交っていた。アクセス過多で幾つかの情報サイトはサーバーが落ちている。
 両親は無事だろうか? それぞれの携帯にかけるが、繋がらない。LINEで話しかけても反応がなく、広海は心配のあまり視界が潤みかけた。
(落ち着け、そんなわけないだろ。二人とも無事だって)
 絶望感に襲われながら友人のグループLINEを開くと、情報が飛び交っていた。

“渋谷がヤバい。ゾンビだらけ。ハロウィンみたい!”

“キタ――(゚∀゚)――ッ! リアル・ウォーキング・デッド――ッ!!”

“街中が狂ってる。外にでちゃだめだ。今すぐ家に引きこもって鍵をかけろ”

“ゾンビ発生! ゾンビ発生! ゾンビ発生!”

“バイオテロ乙。某秘密組織が細菌兵器を開発して世界中にばらまきやがった”

 ゾンビ――映画やゲームでよく聞く単語が、あらゆるSNSを埋め尽くしていた。
 そんな馬鹿な。そう思いつつ、広海の脳裏にも、それ以外の言葉は思い浮かばなかった。
 人が人をくらうのだ。
 喰われて、血を流して死んだと思った宮坂は、青木に噛みついた。完全に常軌を逸していて、友人だと認識していないようだった。他の人も、女性も男性も年齢も区別なく、目の前の人に無秩序に襲いかかっていた。
 傍にレオがきたのを感じて、広海は端末の液晶を彼に見せた。
「レオさん、これ……」
 液晶を覗きこんだレオは、火の海と化した渋谷の映像を見て、眉をしかめた。
「マジかよ」
「うぅ……これ学校のすぐ傍だ」
 さらにいえば実家の近くだ。
 あまりにも非現実的で、信じられない。
 妄想を敷衍ふえんして創りあげられた、今世紀最大の天才的な虚構だろう。
「警察も救急もつながらねー。殺到しているんだろうな」
 スマホを弄りながら、諦めたようにレオがいった。
「……家にも繋がらない」
 広海もスマホを操作しながら、涙声で呟いた。両親に何度かけてもつながらないのだ。
「回線が混雑しているんだろうな、SNSもダウンしているぜ」
 ニュースでは、東京を空から写した映像が流れている。
 信じられない光景だった。空襲でも受けたかのように、至るところが煙が立ち昇り、人が、人を襲っている。
 放送事故を疑いたくなる。武装した機動隊が、暴動の鎮圧にあたっていて、往来で炸裂する煙幕に催涙弾。伏している人、人、人。
 これが日本?
 呆然と映像を見ていると、ドンッと入口の扉を叩く音がした。二人は同時に振り返った。呻きともつかぬ声を発しながら、何者かが扉を開けようとしている。
「ど、ど、どうしようっ」
 広海は盛大に狼狽え、思わず、レオに身を寄せた。
「鉄製だぜ。ゾンビがピッキングできるっつーなら、話は別だけど……」
 レオは一歩前に進みでて広海を背に庇うと、扉を睨みつけながらいった。
「入ってこないかな……」
 しばらく息を詰めていると、不穏な物音は収まった。広海は安堵に胸を撫でおろし、レオの背中に張りついていることに気がついて、慌てて躰を離した。
「あれ、あれって……ゾンビ?」
「ゾンビに見えるよな」
 二人は顔を見合わせ、殆ど同時にため息を吐いた。
「マジかよぉ~……どうなってるんだよ~……っ!?」
 絶望的な思いと共に、広海はずるずるとへたりこんだ。
「一人ならキチガイですむけど、集団ってところがな」
 レオも困惑したようにいった。
「なんでいきなりゾンビになったんだろう」
「さァ……」
「うぅ……マジか……」
「……なぁ、ところで笹森、俺のこと知ってるの?」
 スマホを弄っていた広海は、虚を衝かれて顔をあげた。
「ハイ、知っています」
 やっぱり。といいたげに、レオが肩をすくめたのを見て、広海は慌ててつけ加えた。
「俺、レオさんに助けてもらったことがあるんです。あ、あの時も、俺目の前で見ていて、危なくて、それで……っ!?」
 狼狽える広海の頭を、レオはくしゃっと撫でた。
「落ち着けって。別に怒っちゃいねーよ。同じ学校の生徒なら、俺のこと知っているだろうし」
「は、はい……あの、レオさんはどうして、俺の名前を知っているんですか?」
「俺も覚えてるよ、笹森のこと。あん時、お前の友達が笹森って呼んでたの耳に残ってる」
「そう、なんですか……助けてくれて、本当にありがとうございました。ずっと、お礼をいいたかったんです。それから、今日も……」
「いーよ、別に。大したことじゃねーし……」
 少し照れたようにいうレオの姿に、広海は、状況も忘れて胸のときめきを覚えた。男の自分ですらこれなのだから、女がこんな風に優しくされたら、ひとたまりもないだろう。
「ところでお店の人、誰もいないんですか?」
 空気を変えるつもりで訊ねたが、レオの表情は曇った。
「誰とも連絡つかねぇ……買いだしにいった先輩も戻ってこねぇし……ありえねー」
「……」
「笹森、家どこ?」
「ここから、歩いて三十分くらいです」
「へぇ、渋谷なんだ」
「はい」
 広海の実家は、渋谷区松濤しょうとうの高級住宅街にある。といっても、昔からあるふるい家というだけで、特別に裕福なわけではない。渋谷をうろつくと、今日みたいに不良に絡まれることはあるが、アニメイトに歩いていける点は気に入っていた。
「近くても、今外を出歩くのはやめた方がいいかもな」
 広海は、返事を躊躇い、俯いた。依然いぜん、扉の向こうから、物騒で不気味な物音が聴こえている。
「泊まっていけよ。布団だしてやるから」
 思わず顔をあげると、涼しげな眼差しがふっと笑った。どきっとするほど格好良くて、広海はなぜ自分が照れているのかも判らぬままに、頭をさげた。
「あ、ありがとうございます」
「いいって。この状況で追いだすわけにもいかないだろ」
「すみません、色々と……ご迷惑をおかけして」
「気にすんな。ゾンビが街を徘徊するような非常事態だしよ」
 レオはテレビニュースを見ながら、皮肉げにいった。彼のいう通り、液晶の向こうの光景は、あまりにも非日常を極めていて、現実味がまるで感じられなかった。
 火を噴きあげている建物、横転した車。そこら中に倒れている人。その下に拡がる血の池……交戦の音、逃げ惑う人々の怒号に悲鳴。悪鬼と化した人間から逃げる者が大半だが、中にはバッドやナイフで、笑いながら撃退している集団もいる。まるでリアルなFPSゲームを見ているようだ。
「……明日には落ち着くかな」
「無理だろ。見ろよ、これだけのパニックが世界規模で起きているんだぜ」
 レオは次々にチャンネルを切り替えてみせた。その全てが報道番組、でなければ静止映像を流している状態だ。
「日本だけじゃない。世界の主要都市が同じ状況に陥っていやがる。大混乱だろ」
「もー、なんなんだよ~~!? 意味不明すぎる……っ」
 広海は髪の毛をかきむしりながら喚いた。けれどもレオが沈黙したので、自然と会話が途切れた。しばらく二人共、完全に呆然としていた。
 先に口火を切ったのは、広海だった。
「……あの、レオさんの家はどこなんですか?」
「最近はここに住んでいる」
 不思議な答えだな、と広海は思った。
「家族は?」
「ロス」
 レオはテレビを見たまま答えた。
「ロス……アメリカの? 連絡つきました?」
「そ。連絡つかね」
「メールは?」
「だめ」
「……無事だといいですね」
「まーな」
 その声は傍観者のように淡々としていて、悲しみや絶望は感じられなかった。
 もっと詳しく訊いてみたいと思ったが、レオが電子煙草を咥えたので、広海は口を閉ざした。