超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

1章:感染 - 1 -

 狂気のように叫ぶ宮坂の横から、レオが飛びだした。ひゅっと風を切り、鋭い回し蹴りを男の胸に打ちこむ。抗うすべもなく男は後方に突き飛ばされ、背中から盛大に倒れこんだ。
「宮ッ!」
 血を流しながらくずおれる宮坂を、青木と田口がそれぞれ左右から支えた。
「大丈夫かよぉ、宮」
 心配する友人の声が聞こえていないのか、宮坂は、全身をびくびくと痙攣させている。
 混沌を極めるなか、レオは救急を呼ぼうとして、青木と田口は、宮坂の首に脱いだジャケットを押し当て、どうにか血を止めようとしていた。
 ただ一人、広海だけが動けずにいた。あまりにも唐突で、非現実的すぎて、完全に硬直していた。
「つながらねぇ」
 耳に携帯を押し当てならが、レオが苦々しくいった。
「うわっ」
 青木が上擦った声を発した。苦痛のためか、宮坂が激しく暴れだしたのだ。
「宮、動くなッ!」
 田口が怒鳴った。必死の形相で、宮坂の肩を押さえている。
 我に返った広海も、訳が判らないまま、暴れる宮坂の脚を押さえようとした。
「血が止まらねぇ、やばいよ、縛らないとッ」
 殆ど泣きながら青木がいった。
「ぐあぁッ、ぐるァッ、ううぅぅぅ」
 じたばたと藻掻きながら、宮坂は、この世のものとは思えぬ吠え声をあげた。激しく恐ろしい絶叫は、苦痛と惑乱に揺れて、聞いているこちらの方が発狂してしまいそうだった。
「暴れんな、宮! 血がでっから」
 青褪めながら田口が叫ぶ。
 苦悶に歪んでいた宮坂の顔は、既に虚ろな兆候が顕れていた。青碧の血管が、首からこめかみにかけて浮きあがり、見開いた瞳は異常なほど充血している。
 これは危険な信号なのでは?
 広海は逃げてしまいたかったが、そうもいかなかった。自分がこの手を離せば、他の三人はどうなる。けれども宮坂は、必死に押さえつける力を撥ねのけ、振り子のように起きあがった。
 真っ赤に充血した目が青木を射る。その瞬間、全員がぞっと嫌な悪寒に襲われた。
 宮坂は、くわっと口を開けると、青木の顔に噛みついた・・・・・
「ぎゃッ」
「うわぁぁッ、何してるんだよッ!? 宮ァッ」
 田口が引き離そうとするが、宮坂は、凄まじい力で青木に噛みついている。と、倒れていたスーツの男が起きあがり、今度は田口に襲いかかった。
「この野郎ッ!」
 田口は力いっぱい男を殴りつけるが、痛覚が麻痺しているのか、男は田口に伸しかかった。たちまち死にもの狂いの乱闘になる。
「ひいぃっ」
 広海は尻餅をついてあとずさりをした。
 目の前で、青木が、田口が、喰われている・・・・・・。苦痛の絶叫と、おぞましい肉を噛み千切る音が、鼓膜を貫いた。
(嘘だろ? 喰ってる? 喰ってるのか??)
 波のように吐き気が襲ってきて、咄嗟に片手で口を覆った。喉をせりあがってくる酸味を嚥下えんかする。恐ろしいのに、視界の暴力から目を逸らすことができない。
 悪夢じみた光景に囚われていると、強い力で腕を引かれた。
「っ!」
 振り向くと、強張った顔のレオが、広海の腕を掴んでいた。
「立て!」
 ぐいっと引っ張り起こされ、よろめきかけたところを力強い腕に支えられた。感謝を口にする間もなく、正面から、不気味な足取りの人影が顕れた。
「ひっ」
「逃げるぞ」
 そういってレオは、広海の腕を掴んで店のなかへ押しこんだ。扉に鍵をかけると、迷いのない足取りで厨房を突き進む。
「反対側から通りにでるぞ」
「は、はい」
 まだ開店前なのか、店には誰もいなかった。レオは入口の扉から外にでると、広海がでるのを待って、鍵をしめた。そのまま、二人で大通りに向かって走ったが、目の前で車が轟音を響かせながら、派手に衝突した。
 続けざまに衝突音がこだまして、地面を振動させる。スクランブルは、瞬く間に車の積み木となり、横転した車が歩道にまで滑りこんだ。
「うわぁッ」
 広海は、咄嗟に両腕で頭をかばったが、爆発の音波と光芒こうぼうに、視界と聴覚を奪われた。
「――!!」
 レオが何か叫んでいる。
 聞こえない。轟音ごうおんが耳にこだまして、キ――ンと高い超音波と心臓の鼓動が、遥か遠くから聞こえてくるようだった。
 動けずにいる広海を、レオは素早い動きで胸に抱き寄せ、横転した車の後ろに隠れた。
 茫然自失状態の広海は、抱きしめられていることは意識外にあり、怒涛の展開をどうにか処理しようと頭を働かせるが、考えがまとまらない。
(何? 何が起きてる? 爆発が起きたのか?)
 重たい振動が二度、三度地面を揺るがすなか、レオの心臓もどくどくと脈打っていることに気がついた。彼は、爆風と飛んでくる破片から、躰を張って守ってくれている。
「あ、ありがとうございます」
 多少の落ち着きを取り戻した広海は、レオの目を見ていった。
「怪我は?」
 唇の動きで、彼がそう訊ねたことは判った。
「俺は平気です。レオさんは?」
「俺も平気」
 レオは広海を離し、遮蔽物の影からそっと顔を覗かせた。その後ろから、広海も様子をうかがう。
 視界が戻ってきた。
 至るところから黒い煙が立ち昇っている。人々はパニックに陥り、必死の形相で逃げていく。地面には、おびただしい数の人が、折り重なるようにして倒れていた。
 まさか、彼等は死んでいるのか?
 火焔熱波に煽られているはずなのに、背筋を冷たい汗が流れていく。どっくん、どっくん、胸郭を内側から突き破りそうな勢いで心臓が暴れている。
「――きゃあああぁぁッ!」
 聴覚が戻った途端に、女性の悲鳴が響き渡った。次々と悲鳴に怒号、混乱の罵声が辺りを覆いつくした。
 広海は我が眼を疑った。
 尋常じゃない――ごく普通の、スーツを着た女性が、車のフロントグラスに頭を打ちつけ、叩き割ろうとしている。
 目の前で転んだ男は、広海の目の前で、五十半ばの女性に襲われた。
「なんだァッ、離せ!」
 男は、相手の腹を蹴飛ばそうと暴れるが、小柄な女性は、信じられない怪力で男をおさえこんでいる。
「ぎゃあぁッ! 助け……ッ」
 悲鳴の後半は、言葉にならなかった。空気を裂くような断末摩、肉をくらう恐ろしい音に、広海は両耳を塞いだ。
 人が人に襲いかかっている。
 どちらを向いても、人、人、人――常軌を逸した人間がそこら中に溢れかえっていて、獣のような唸り声、金切り声、逃げ惑う悲鳴、怒号、断末摩の叫びを迸らせている。
 人が人を蹂躙し、身の毛も弥立よだ肉喰にくじきに走っている。
「なんだよ、これ……」
 さすがのレオも、呆然と呟いた。
「ひっ、人がっ」
 人を喰っている。
 そのおぞましい言葉を、広海は最後まで口にすることができなかった。
 これが現実?
 そんな馬鹿な。
 ありえない。
 虚構だ。
 地獄絵図だ!
 正面から蛇行しながら走ってくる車を見、広海とレオは間一髪、それぞれ反対側に避けた。
 ドドンッ!!
 瞬く間に車が次々に衝突し、勢いよく焔を噴きあげた。
 身構える二人の間を、転がるように駆けてきた男が走り抜けた。彼は蹴躓いて転び、振り向いて、背後を指をさした。
くるぞ・・・ッ!」
 鋭い警句に、広海とレオは同時に振り返った。
 異常者の群が手を突きだして迫ってくる。
 恐怖で立ち竦む広海と違い、レオは敏捷な身ごなしを発揮した。空気を切り裂くような、見事な回し蹴りで数人をふっ飛ばし、背後から迫る男の顔面に、強烈な裏拳を叩きこむ。
 まるで格闘技だ。目を奪われた一刹那いちせつな、真横から聞こえた呻き声に、広海は戦慄した。振り向けば、三メートルほどの距離に、くわっと牙を剥いた悪鬼がいた。血で濁った目は捕食者のものだ。
 逃げなければ――頭では思っても、身体が、あまりの恐怖に足が竦んで動けなかった。
「ッ」
 殺されると思った。
 けれどもそいつは、広海の後ろにいた、別の女性に襲いかかった。
「きゃあぁ!! 助けてぇッ」
 紺地のスーツを着た女性が泣き叫ぶ。広海は、無我夢中でそいつの肩を両手で掴んだ。びくともしない。男は耳障みみざわりに押し殺した唸り声を発しながら、女性に噛みついている。
「おいッ、やめろ! 離せよ!」
 肉を喰い千切る、おぞましい音。温度すら感じられる鮮血が、広海の顔に、腕に飛び跳ねた。
「ひっ、やめ、やめろよッ」
 女性の悲鳴はか細くなり、苦しげな息遣いにかわっていた。見るに耐えない光景だった。首筋は真っ赤に染まり、地面に血の池ができている。
「なんッ、なんなんだよぉっ」
 女性は、びくんと痙攣して動かなくなった。無残に血濡れた肢体に、たちまち悪鬼共が覆いかぶさり、餓えた狼のごとく貪り始めた。
 広海は、よろよろと離れた。指に血がついているのを見て、慌ててズボンで擦る。
「ひ、うぅ、誰か……っ」
 耳鳴りがして、視界が潤む。膝ががくがくした。全身から力が抜け落ちていく。
「笹森!」
 腕を掴まれ、びくっと顔をあげた広海は、強靭な意志力を宿した瞳と遭った。レオの頬や首筋には、返り血だろうか? 赤い血が跳ねている。
「逃げるぞ」
「はひっ」
 無様に情けない声をあげて、広海は腕を掴まれたまま、走りだした。