月狼聖杯記

9章:為政者たち - 2 -

 星暦五〇三年十月十二日。行軍十ニ日目。
 横雲の間から最後の光芒を放ち、空の裾に金紅を孕ませ、陽は沈みつつあった。
 号令がかかり、騎士らは天幕の準備に取りかかった。
 軍旅にも慣れてきた頃合いである。娯楽の少ない従軍において、娼婦の存在は将兵らに喜ばれていた。
 彼女たちは、男どもの肉欲を鎮めるばかりでなく、日常仕事――掃除、洗濯、料理に輜重しちょうの荷運びに至るまでき使われ、たくましく陽に灼けて筋肉が盛りあがっている。陽灼けした肌に白粉おしろいをはたいて紅をひき、あわよくば将校の天幕に、もっといえばシェスラの天幕に呼ばれることを期待していたが、少なくともシェスラは眼中になかった。
 彼は、傍にラギスさえいれば満足していた。
 ラギスも別段不満はなかったが、娼婦たちの方から誘いをかけてくることがしばしばあった。彼女たちは、シェスラには声をかけるのを躊躇っても、ラギスには平気なようだった。
「遊びにこない?」
 その日も腕を引かれて、ラギスは躊躇った。抱くつもりはないが、音楽の漏れ聴こえる淫売天幕は、一度覗いてみたいと思っていたのだ。
 で、なかへ入ってみると、大きな天幕と思ったが、男たちで溢れているので狭く感じられた。三枚の衝立前に順番待ちの列ができていて、交合のあえぎ声や、早くしろよ、といった不平の声が聴こえている。外で藁樹の遮蔽物に隠れて、盛っている兵士がいた理由が判った。
 肉欲の発散が目的ではなく、酒を飲んで寛いでいる将兵もなかにはいて、驚いたことに、シェスラの乳兄弟であり、近衛連隊の将軍の一人、ルシアンがいた。
「いよぅ」
 面食らいつつ、ラギスが手をあげると、ルシアンは目を瞠った。
「ラギス様」
 ルシアンの傍に腰をおろすと、彼は杯をよこし、手酌で酒を満たした。
「お、わりぃな。意外だな、あんたがいるとは」
「たまに……人の集まる場所が好きなんです」
 変わっているな、と思いつつラギスはなにかを探すように視線をあちこちへやった。
「一人か? お仲間はどうした?」
「今日は私一人です。ラギス様こそ、お一人ですか?」
 ルシアンは背後を気にする素振りを見せた。ラギスは悪びれなく笑い、
「へっ、こっそり抜けてきた」
 といった端から、がばぁっと天幕の緞帳があがり、シェスラが現れた。
「げェッ、シェスラ!」
 ラギスは動揺して、手にした杯から酒が零れた。
 きゃあきゃあと色めきたつ娼婦には目もくれず、シェスラはラギスの正面にやってきた。玲瓏れいろうとした美貌に、酷薄な笑みを浮かべ、
「随分と楽しそうだな?」
「いよぅ……シェスラも飲むか?」
「こい」
 氷の眼差しで命じられ、ラギスは思わず耳を伏せた。おとなしくたちあがる。大腿の間に尾を挟みこむ姿に、普段の雄々しさはなかった。
 天幕をでてちょっと歩くと、ラギスは、
「あのな、別に女を抱きたくて入ったわけじゃないぞ。天幕のなかがどうなってるのか、以前から気になっていたんだ」
 吶々とつとつ、弁明口調でいった。不興を買ってしまったことを恐れたが、判っている、と意外にもシェスラは冷静に答えた。
「こんなことはただの気晴らしだろうとも思ったが、やはり気になる……そなたは、勝手に私のしとねを抜けだしてはならぬ」
 艶冶えんやとした流し目を向けられ、うっとラギスは怯んだ。シェスラはふと何かに気がついたように顔つきになり、懐から手巾をとりだした。高価なレースに縁どられた、きちんと火熨斗ひのしで伸ばされた手巾である。
 それをどうするのか、ラギスが不思議に思って見ていると、シェスラは腕を伸ばし、ラギスの頬を拭った。どうやら、酒が跳ねていたらしい。
 思わぬ仕草に、ラギスは固まった。手巾で優しく顔を拭われるなど、久しくなかったことだ。はっと我に返り、
「いいって、汚れるぞ」
 顔を背けた。シェスラは、構わぬといって手巾を畳み、再びラギスの手を引いて歩き始めた。
 ラギスは面食らってしまい、繋いだ手を振りほどくこともせず、並んで歩いた。
 間もなく、天幕の前に炊かれた篝火が見えてきた。
 王の天幕は兵卒らの粗末な幕舎ばくしゃと違い、厚手の絹に金の刺繍が施された立派なものだ。
 なかも広々としており、衣装箱や夜具が置かれ、毛皮や絹布が敷かれている。角灯に照らされ、香の焚かれた天幕は雅やかで、腰を落ち着けると自分は今、戦争に向かう途中なのだということを忘れそうになる。
 シェスラは隣にラギスを座らせ、葛籠つづらから葡萄酒と杯を二つとりだした。杯は、釉薬ゆうやくが光沢を放つ磁器製で、晩酌のために城からわざわざ持ってきたものだ。
 奢侈しゃしに興味のないラギスと違って、風雅を好むシェスラは、他にも彩色玻璃はりや硝子の茶器や杯だのを、軍旅に持ってきていた。
「飲め」
 そういってシェスラは手酌で杯を満たし、ラギスの杯にも同じように満たした。
 隣でシェスラが景気よく煽るのを見て、ラギスも杯を空けた。どうやら王の機嫌は悪くないらしい。酒が進むにつれて、ラギスも寛いだ。
「文字を教えてくれるか?」
 ラギスが訊ねると、シェスラは優しくほほえんだ。
 彼に師事するのは、今日が初めてではない。天幕を張る夜は、読み書きを教わることが多かった。
 口にはしないが、学識から長く離れていたラギスは、シェスラの博識ぶりに密かに敬意を抱いていた。
 騎士団には学のある連中が多く、ラギスの無学をからかう者も多い。いちいち腹を立てたりしないが、悔しくないわけではなかった。だから時間ができると、アミラダやシェスラに教わっていた。彼等には学者気質があり、教えることに寛容で、ラギスの学を涵養かんようする手助けをした。時間はかかるが、少しずつ、知識は増えている。
 教本をしばらく読み進めたところで、休憩にしようとシェスラがいった。ラギスも再び酒に手を伸ばしたが、シェスラはその杯を奪いとり、ラギスに身を寄せてきた。
「おい……」
 咄嗟にラギスは肩に手を置いたが、シェスラは構わず、褥にラギスを押し倒した。
「今度は私の相手をせよ」
 誘惑めいた口調に、ラギスは躊躇った。野営でのまぐわいに抵抗があるのだ。
「……飲む・・だけだぞ」
 シェスラは不満そうな顔で、
「相手をせよといっている」
「天幕は嫌だといっている」
 ラギスがいい返すと、シェスラは複雑な顔をした。同じ天幕で同衾する条件として、ラギスに釘を刺されているのだ。了承したのは彼自身だが、肌を触れあわせる機会が減り、欲求不満を募らせていた。
 シェスラはしばらく不満げな表情でいたが、不意に悪戯っぽい顔つきになり、
「天幕でなければいいのだな」
 このうえなく美しい微笑なのに、危険を察知して、ラギスは本能的におののいた。
「そうだが……何を考えていやがる」
 注意深く見つめ返したが、切れ長の瞳は甘さを含んで、細められた。
「今夜は飲むだけで良い……」
 そう囁き、ラギスの方に屈みこむ。唇で、唇の輪郭をかたどるように触れあわせ、小鳥のような、小さく、柔らかな戯れを繰り返しながら、
「次の休息では水浴びをする……わかるな?」
 甘く脅すように囁く。ラギスは視線を逸らしたが、尖らせた舌に唇のあわいを突かれ、観念して薄く唇を開いた。
「ん……」
 舌が触れあい、月桂樹のような香油の香りと、彼自身の肌から立ちのぼる、甘く魅惑的な香りに包まれて頭がくらくらする。
 気だるい熱に侵されながら、舌を搦め捕られ、優しく吸いあげられ、敏感な粘膜をなぶられる。口内のそちこちを舌で突かれ、ラギスの躰はたちまち熱くなった。
「ん、ぅっ……ぁ」
 濡れた音をたて、ゆっくり愛しあうように舌をからませ、お互いを貪りあう。
 シェスラは口づけを交わしながら、器用にラギスの襟をくつろげ、盛りあがった胸に掌をすべらせた。
「ん……ッ」
 跳ねる躰を宥めるように、もどかしいほど優しい手つきで触れてくる。突起を親指の腹でくりくりとくすぐられると、じわっと滲む気配があった。反射的にラギスはシェスラの肩を掴んで、押した。
「いい匂い……むせかえるような霊液サクリアの甘い香り」
 シェスラは恍惚の表情で呟いた。形の良い指で、柘榴色の肉粒をこねて、摘まみ、そっと摩る。繊細で淫らな刺激に、ラギスの躰は艶かしく波打った。
 花びらのように色づいた唇を顎のくぼみに押し当て、鎖骨をたどり……胸へおりていき、露わになった乳首をそっとんだ。
「ぁ、んっ」
 たったそれだけの刺激で、ラギスは強烈な快感に貫かれた。腰を引かせようにも、ちゅうっと吸いあげられ、早くも滲んだ琥珀の霊液サクリアを飲まれてしまう。
「はぁっ……ラギス……ッ!」
 シェスラは両腕でラギスを拘束し、餓えたように吸いついてきた。乳首に射精感にも似た、突きあげるような快楽が迸る。
「ぁッ」
 どぴゅっ……琥珀色の滴が、膨らんだ乳頭から飛び散った。
 シェスラは、唇の端に付着したそれを、艶めかしく舌で舐めとり、
「美味しい……やはり天上の美酒だな」
 恍惚となって、膨らんだ乳首にむしゃぶりついた。勃ちあがった尖端に舌を搦め、唇で挟んで、じゅうぅっと吸いあげる。
「ひっ、ぁ……ッ」
 朱く膨らんだ突起をめちゃくちゃにされて、ラギスは躰をくねらせた。猛烈な熱の奔騰ほんとうに襲われ、胸の奥が燃えているようだ。
「ぁ……はぁっ……も、いいだろう……ぁ゛っ、シェスラ!」
 静止の声も聞かず、シェスラは一滴もこぼすまいと丹念に舐めあげ、しゃぶりたてる。
 芯に火の燃えているような躰をもてあまし、ラギスは呻いた。シェスラの天幕は、音を遮断する分厚い布で覆われていたが、ラギスは衆目を気にして声を噛み殺していた。きりきりと歯を食いしばり、喉奥に喘ぎを封じて、きつく寝具を逆手に掴む。
 ようやくシェスラが体を起こしたとき、ラギスは蕩けきった顔で、弱々しく彼を見あげることしかできなかった。悦楽の余韻に朦朧としていたが、股間に手を伸ばされた途端にぎくりと強張った。
「おいっ」
 慌てて起きあがろうとするが、シェスラは俊敏な動きで組み敷いた。
「解放するだけだ」
 そういって、自分も下着をくつろげると、昂ぶったものをとりだし、ラギスのものとまとめて掌で包みこんだ。
「ぅ、ぐ……ッ」
 ラギスはのけ反った。やめさせようと白銀髪に手をもぐらせるが、手が震えてうまくいかない。甘美な刺激に、理性を激しく揺さぶられた。股間は痛いほど張りつめ、どくどくと脈打っていた。
 脈打つ肉棒を上へ下へしごかれると、強烈な快感が迸った。膨らんだ亀頭が喘ぎ、しめりけっけを帯びてきて、琥珀の雫が溢れるのが判った。
「ぁ゛ッ……んぁっ……シェスラ……ッ!」
 美しい指の淫らな動きにあわせて、びくびくと腰が震える。
「ラギス……ッ」
 炯々けいけいと欲に濡れて輝く双眸が、真っすぐにラギスを捕らえた。だらしなく蕩けて、感じ入っている顔を見られている――意識した途端に、ラギスはぜた。
「あぁッ」
 手のなかで灼熱が膨らみ、追いかけるようにしてシェスラもたぎる精を放出した。
 汗のしたたる背を抱きすくめ、シェスラは唇を重ねてきた。余韻を味わうような口づけに、ラギスもそっと目を閉じた。