月狼聖杯記
9章:為政者たち - 10 -
星歴五〇三年十一月五日。
発情が明けたラギスは、退廃的に過ごした洞穴から姿を現した。
登攀祈願は、温治につかることで代償行為になると、アミラダに免除されているので、このまま入山することになる。
しかし、シェスラはダイワシンとの密議――玉璽 の必要な開戦を記した批准 書のために隊を離れることとなり、ラギスは、迎えにきたヴィシャスとロキと共に、先に本隊へ合流する運びとなった。
シェスラを見送ったあと、ラギスはなんとなく決まり悪い面 で、クィンの鞍にまたがった。シェスラと怠惰な淫涜に耽っていたことを知られていると思うと、どんな顔をすればいいものやら……
しかし、ヴィシャスがいることもあり、普段なら軽口を叩いてくるであろうロキは、寡黙 につき従うのみだった。
会話がないため、自然と景観に目が向いた。
細いせせらぎに沿った道で、雑草や茨、羊歯に覆われて、杉や樫 に椎 、古 の巨木もいりじまって、太い枝の樹冠を拡げていた。
辺りは静謐に包まれ、川の流れに沿って霧の帳が漂っている。
ネヴァール霊峰。
眼前に立ちはだかる山は、攀 るという言葉では通用しない、圧倒的な威容を誇っていた。
ここからが本当の遠征、危険極まりない登攀の始まりである。
谷底から山道を攀 る道々、登攀部隊は今どのあたりだろう……考えていたギスは、うっすらと立ち昇る煙に気がついた。
「おい、あれはなんだ? ペルシニアの方角じゃないか。なんで火がでているんだ?」
一瞬、味方がやられたのかと思って肝が冷えた。すぐにそんなわけはないと思い直したが、では、あの煙はなんなのだろう?
「我が軍が、ペルシニア領を通っているのだ。戦闘が起きたのだろう」
隣に並んだヴィシャスがいった。
それはシェスラからも聞いていたが、立ち昇る黒い硝煙を見つめるうちに、戦慄が、ラギスの背を疾 り抜けた。
「焼き討ちか」
沈黙は肯定だ。
ルシアンをつけているとはいっていたが、ヴィヤノシュに総指揮権があるのなら、陶然、掠奪を許可したのだろう。
咄嗟に、ラギスは馬の向きをかえた。
「待て、どこへいく?」
ヴィシャスが鋭い口調で訊いた。
「見にいく」
「ふざけるな。登攀を急げ」
警句を無視して、ラギスは馬に拍車をかけた。ヴィシャスも苛だたしげに舌打ちをして、反転した。
せせらぎにかかる木組みの橋を乱暴に渡ったため、ラギスが対岸に着地した時、橋が崩れ落ちた。
足止めを食らったヴィシャスとロキが、対岸から静止を叫ぶが、ラギスは振り返らなかった。
最速で駆けてしばらく、狼煙の立ち昇る野営地に辿り着いた。
酒瓶を手に、幻覚煙草を吸いながら擾乱 している連中がいた。服装がてんでバラバラなので、傭兵だとすぐに判る。
彼等は最悪な振る舞いをしていた。捕虜を玉繋ぎに縄でしばり、縦列に並べているのだ。長槍をもった傭兵が、仲間に呼びかけていた。
「一突きでどこまで貫通するか、賭けるぞ! 二人か? 三人か? えぇっ? 籠に賭け金をいれろ!」
どっと笑いが起こる。捕虜は喚いているが、怒号と、昏い、歪な笑いにかき消された。
ラギスの視界は怒りのあまり赤く霞がかった。
「お前らァッ!!」
腹の底から怒声が迸った。
ラギスは屯 している連中に近づいていき、賭け金の入った籠を奪い取った。
「何をする!!」
男が振り向いた。背はそこそこだが、肩幅があり、顔つきもまた、扁平で厳しい。掴みかかりそうな勢いに見えたが、ラギスの巨躯を見て、威嚇の表情をちょっと緩めた。
「これは己達 の獲物だ。お前も捕虜がほしけりゃ、北上軍にまじって戦ってこい」
ラギスの堪忍袋の緒が切れた。
「無抵抗の者を嬲って楽しいか? 血が滾って、収まりがつかないっていうなら、俺が相手になってやる! かかってこいッ!」
噛みつかんばかりの剣幕に、幾人かは怯えたように後ずさりをした。
だが、怒りも露わに唸り声を発する者もいて、彼等は獣性を増し、腕や大腿は倍の太さに膨れあがった。喧嘩を吹っかけられ、無頼漢 集団も黙っちゃいられなかった。
「何だてめぇは、あァ? 和議に応じなかったのは、こいつらだ。掠奪の許可は下りてるんだ、好きにさせてもらうさ」
と、別の傭兵の男が目を瞠った。
「この男、ドミナス・アロの剣闘士じゃないか? 大王様に召しあげられたっていう」
全員がラギスの全身に目を走らせた。
「これが聖杯? 俺らより山賊じみてるじゃねぇか。王はこんな大男を抱いているのか? それとも抱かれているのか?」
ぎゃはは、と下劣な哄笑が轟いた。
「カッカするなよ、聖杯殿。従軍娼婦も帰っちまったし、自分たちで調達したんだよ。ちょっくら楽しんだら、ちゃんと北上する――」
ラギスが佩剣 の柄に手をかけるのを見て、兵達の間に緊張が走った。剣を向けられた傭兵は手をあげ、
「おうおう、抜刀は禁則だろ?」
「ふざけるな! これは殺しあいですらない、畜生にも劣る殺戮行為だ!」
ラギスが大喝 すると、傭兵たちは哄笑 した。
「ぎゃはは、ドミナス・アロの剣闘士がよくいうぜ! あんただって、娯楽のために、斬って、斬って、斬って、斬りまくってきたんだろうがよ、あぁ゛!?」
ラギスはこめかみに青筋を浮かべ、腰に佩 いた剣を抜いた。
「一緒にするなよ、糞が。俺は無抵抗の女子供を嬲ったりしねぇ」
そのまま切り殺しにいきそうなラギスの肩を、後ろから追いかけてきたロキが掴んだ。
「私闘は禁じられているぞ」
「知ったことか。こんな光景を見て、黙っていられるか」
前を向いたままラギスはいった。ロキの手を払い、傭兵のもとへ足を進める。
私闘厳禁なぞ糞くらえ――ラギスは大剣を一閃し、げらげら笑いながら蹂躙していた連中をまとめて薙ぎ払った。剛剣に敵うべくもなく、あっけなく四人の首がぱんっと宙を飛んだ。
「ぴ、ぎゃッ」
くぐもった断末魔と共に、盛大に血飛沫が吹きあがった。
「聞けッ!」
沸き起こる野次と怒号を、ラギスは一喝した。
「娯楽がほしいなら、俺が相手になってやる!」
躰の内側で膨れあがる獣性を抑えきれず、項 がざわつき、骨格が軋んだ。唸り声を発する口から、牙がのぞく。
「やめよ!」
ヴィシャスは鞭を揮 うように鋭く一喝した。騎乗したヴィシャスは忌々しげにラギスを睥睨した。
「味方同士の抜刀は法度だ! 気が触れたか!?」
ラギスは唸りながら振り仰いだ。
「うるせぇ! そっちこそ軍の規律はどうした? 今すぐやめさせろ!」
ヴィシャスは顔色を変えずに、
「これはヴィヤノシュ隊だ。貴様に指揮権はない」
冷静に告げたあと、部下に命じてラギスを縄でしばりあげた。
発情が明けたラギスは、退廃的に過ごした洞穴から姿を現した。
登攀祈願は、温治につかることで代償行為になると、アミラダに免除されているので、このまま入山することになる。
しかし、シェスラはダイワシンとの密議――
シェスラを見送ったあと、ラギスはなんとなく決まり悪い
しかし、ヴィシャスがいることもあり、普段なら軽口を叩いてくるであろうロキは、
会話がないため、自然と景観に目が向いた。
細いせせらぎに沿った道で、雑草や茨、羊歯に覆われて、杉や
辺りは静謐に包まれ、川の流れに沿って霧の帳が漂っている。
ネヴァール霊峰。
眼前に立ちはだかる山は、
ここからが本当の遠征、危険極まりない登攀の始まりである。
谷底から山道を
「おい、あれはなんだ? ペルシニアの方角じゃないか。なんで火がでているんだ?」
一瞬、味方がやられたのかと思って肝が冷えた。すぐにそんなわけはないと思い直したが、では、あの煙はなんなのだろう?
「我が軍が、ペルシニア領を通っているのだ。戦闘が起きたのだろう」
隣に並んだヴィシャスがいった。
それはシェスラからも聞いていたが、立ち昇る黒い硝煙を見つめるうちに、戦慄が、ラギスの背を
「焼き討ちか」
沈黙は肯定だ。
ルシアンをつけているとはいっていたが、ヴィヤノシュに総指揮権があるのなら、陶然、掠奪を許可したのだろう。
咄嗟に、ラギスは馬の向きをかえた。
「待て、どこへいく?」
ヴィシャスが鋭い口調で訊いた。
「見にいく」
「ふざけるな。登攀を急げ」
警句を無視して、ラギスは馬に拍車をかけた。ヴィシャスも苛だたしげに舌打ちをして、反転した。
せせらぎにかかる木組みの橋を乱暴に渡ったため、ラギスが対岸に着地した時、橋が崩れ落ちた。
足止めを食らったヴィシャスとロキが、対岸から静止を叫ぶが、ラギスは振り返らなかった。
最速で駆けてしばらく、狼煙の立ち昇る野営地に辿り着いた。
酒瓶を手に、幻覚煙草を吸いながら
彼等は最悪な振る舞いをしていた。捕虜を玉繋ぎに縄でしばり、縦列に並べているのだ。長槍をもった傭兵が、仲間に呼びかけていた。
「一突きでどこまで貫通するか、賭けるぞ! 二人か? 三人か? えぇっ? 籠に賭け金をいれろ!」
どっと笑いが起こる。捕虜は喚いているが、怒号と、昏い、歪な笑いにかき消された。
ラギスの視界は怒りのあまり赤く霞がかった。
「お前らァッ!!」
腹の底から怒声が迸った。
ラギスは
「何をする!!」
男が振り向いた。背はそこそこだが、肩幅があり、顔つきもまた、扁平で厳しい。掴みかかりそうな勢いに見えたが、ラギスの巨躯を見て、威嚇の表情をちょっと緩めた。
「これは
ラギスの堪忍袋の緒が切れた。
「無抵抗の者を嬲って楽しいか? 血が滾って、収まりがつかないっていうなら、俺が相手になってやる! かかってこいッ!」
噛みつかんばかりの剣幕に、幾人かは怯えたように後ずさりをした。
だが、怒りも露わに唸り声を発する者もいて、彼等は獣性を増し、腕や大腿は倍の太さに膨れあがった。喧嘩を吹っかけられ、
「何だてめぇは、あァ? 和議に応じなかったのは、こいつらだ。掠奪の許可は下りてるんだ、好きにさせてもらうさ」
と、別の傭兵の男が目を瞠った。
「この男、ドミナス・アロの剣闘士じゃないか? 大王様に召しあげられたっていう」
全員がラギスの全身に目を走らせた。
「これが聖杯? 俺らより山賊じみてるじゃねぇか。王はこんな大男を抱いているのか? それとも抱かれているのか?」
ぎゃはは、と下劣な哄笑が轟いた。
「カッカするなよ、聖杯殿。従軍娼婦も帰っちまったし、自分たちで調達したんだよ。ちょっくら楽しんだら、ちゃんと北上する――」
ラギスが
「おうおう、抜刀は禁則だろ?」
「ふざけるな! これは殺しあいですらない、畜生にも劣る殺戮行為だ!」
ラギスが
「ぎゃはは、ドミナス・アロの剣闘士がよくいうぜ! あんただって、娯楽のために、斬って、斬って、斬って、斬りまくってきたんだろうがよ、あぁ゛!?」
ラギスはこめかみに青筋を浮かべ、腰に
「一緒にするなよ、糞が。俺は無抵抗の女子供を嬲ったりしねぇ」
そのまま切り殺しにいきそうなラギスの肩を、後ろから追いかけてきたロキが掴んだ。
「私闘は禁じられているぞ」
「知ったことか。こんな光景を見て、黙っていられるか」
前を向いたままラギスはいった。ロキの手を払い、傭兵のもとへ足を進める。
私闘厳禁なぞ糞くらえ――ラギスは大剣を一閃し、げらげら笑いながら蹂躙していた連中をまとめて薙ぎ払った。剛剣に敵うべくもなく、あっけなく四人の首がぱんっと宙を飛んだ。
「ぴ、ぎゃッ」
くぐもった断末魔と共に、盛大に血飛沫が吹きあがった。
「聞けッ!」
沸き起こる野次と怒号を、ラギスは一喝した。
「娯楽がほしいなら、俺が相手になってやる!」
躰の内側で膨れあがる獣性を抑えきれず、
「やめよ!」
ヴィシャスは鞭を
「味方同士の抜刀は法度だ! 気が触れたか!?」
ラギスは唸りながら振り仰いだ。
「うるせぇ! そっちこそ軍の規律はどうした? 今すぐやめさせろ!」
ヴィシャスは顔色を変えずに、
「これはヴィヤノシュ隊だ。貴様に指揮権はない」
冷静に告げたあと、部下に命じてラギスを縄でしばりあげた。