月狼聖杯記

8章:夜明けの鬨 - 4 -


 雷霆らいていのような馬蹄の音は、まさしく神軍のつづみ
 陥落の窮地を救うべく、五百の麾下きかを先頭に、剽悍ひょうかんな五千あまりの槍騎兵そうきへいの混成部隊を率いたシェスラが、敵の背後から猛然と駆けおりてきた。
 その神々しい雄姿に感極まった味方は、拳を天に突きあげ、歓喜を咆えた。中には滂沱の涙を流し、むせび泣く者もいた。
「弓を引けッ!!」
 アレクセイの怒声に、はっとなった弓兵が大弓を構える。前と後ろからの矢に雨に挟まれて、アレッツィア勢の陣形は大きく崩された。
 混乱した敵を牙にかけて、或いは馬蹄にかけて雪崩れこんでくる。血に染まった剣をかかげ、勝鬨かちどきをあげている。
 戦局が変わる。
 風前の灯だった城壁は、一瞬にして息を吹き返した。
 猛然と駆けてくる援軍が、敵を蹴散らす光景を目の当たりにして、ラギスの胸に歓喜がこみあげた。
「シェスラ! シェスラ! シェスラッ!!」
 気がつけば、草原に向かって王の名を叫んでいた。そのあまりの大音量に味方はびくっとしたが、すぐに顔を輝かせ、
大王ロワ・アルファシェスラッ!!」
不敗の王カブル・ロワ
偉大なる月狼の王ドミナス・アルファング!!」
 自分達の王の名を連呼した。
 完全に不意打ちをくらった敵は、後翼の陣容を大きく崩された。思わぬ伏兵の出現に潰乱かいらん状態と化し、踏みつけられる者、押し潰される者達の血で、瞬く間に赤い河が流れた。
「合流するぞ!」
 好機と判断したラギスは、グレイヴとアレクセイを見つめていった。彼等は頷き、即時に隊伍たいごを格子扉の前に整えた。ラギスもロキらと共に騎兵を連れて扉に向かった。集まっていた兵士達の目が、一斉にラギスに集中する。号令を待っているのだ。ラギスは少し意外に思いながらも、肺一杯に空気を吸いこんだ。
「お前たち、よく耐えたな! 夜明けだぞ」
 雄たけびのような咆哮があがる。
「準備はできているか!」
「「おぉッ!!」」
「ようやくシェスラのおでましだ。あとは掃討戦だ。敵を草原の彼方まで追い払ってやろうじゃねぇか!」
「「おぉッ!!」」
「城門を開けろ!」
 夜明けまで凌いだ城門が、ついに直上にもちあがる。ラギスが先陣を切って駆けだすと、勇猛な月狼たちは咆哮をあげてあとに続いた。
 干戈かんかと馬蹄の鋼が鳴る。ラギスは大音量のときの声を、薄闇の空に向かって轟かせた。
「進めぇ――ッ!!」
 戦場で声が通るということは、それだけで武器となる。ラギスの全身から溢れだす闘気は、味方を奮い立たせた。自陣から勇ましい声があがる。
「「おぉぉッ!!」」
 ラギスが先陣をきると味方も即時に応じた。この場にいる全員が、彼を自分達の将だと認めていた。
 ラギスは馬を疾駆させて、敵の歩兵に弾丸の如く突っこんだ。最初の衝突は岩の砕けるような音が鳴り、敵が数人弾き飛ばされた。
「ぎゃあぁッ!」
 前線から、血と悲鳴があがる。
 黒髪を振り、鋼鉄の鈍い光となって襲いかかるラギスの姿は、勇ましい戦神そのものだった。巨躯は驚くほど鋭敏、且つ的確に動く。剛腕の一太刀で数人が吹き飛んだ。
「――らァッ」
 裂帛れっぱくの気迫に、敵は及び腰だ。ラギスは後衛の追従を待たず、研ぎ澄まされた生来の感覚を頼りに、敵の陣営に果敢に斬りこんでいった。至近距離での白兵戦はくへいせんなら負ける気がしない。騎馬での実戦は初めてだが、クィンは勇敢な戦馬で、敵を恐れず、ラギスと一心同体となって的確に動いた。
 やがて敵陣を切り開いていくと、奥に孤立している味方が見えた。護衛騎士が警告の声を発したが、ラギスは迷わずに単騎で駆けた。
「ラギスッ!」
 どこかでヴィシャスの声が聞こえた。ラギスは構わずに馬を嘶かせ、馬蹄で敵を踏みつぶし、及び腰になった敵の首を跳ねた。
 密集地帯が開く。孤立していた味方はラギスの介入で息を吹き返し、剣を構えた。足を負傷している味方が懸命に起きあがろうとしている様子を見て、ラギスは彼を引っ張りあげて肩に担ぎ、背負ったまま最小の動きで剣を突きだした。剣尖は防具を突き破り、皮膚と筋肉を裂く。敵は悲鳴をあげて、距離を取った。
 三人を薙ぎ倒したところで、ラギスの左右を守るようにヴィシャスとルシアンが並走した。ということは、近くにシェスラもいるのだろう。
「何をしている! 下がれッ!」
 ヴィシャスはこめかみに青筋を浮かべて叫んだ。
「うるせぇ! 助けたんだから文句をいうな!」
 ラギスは怒鳴り返しながら、吸いこまれるようにある一点を見つめた。
 シェスラがいた。
 灰銀に輝く馬にまたがり、双剣を巧みに操りながら敵を蹴散らしている。死にもの狂いのアレッツィア兵達は、波濤はとうのように草原から沸きあがり、シェスラの首を狙って飛びかかるが、高速に交わる刃の餌食となった。削げた肉や血しぶきが飛び散るなか、シェスラだけが銀色に輝いて見える。
 一瞬、二人の視線がぶつかった。
 感情がうねり、ラギスの胸を熱く震わせた。視線はすぐに外されたが、充分だった。担いだ味方が苦しげに呻いたところで、前を向いた。
「おら、しっかり掴まってろよ」
 ラギスは負傷した味方を担いだまま、クィンの背にまたがった。自陣に戻ると、負傷兵の呻き声、血の匂いが充満していた。抱えていた負傷兵を降すと、彼は泣いていた。
「申し訳ありません、申し訳ありませんッ」
 涙につまった声で、しきりに謝罪する。その声には、身体を張って守ってくれたラギスへの感謝がこめられていた。成りゆきを見守っていた周囲の兵士達も、これまでになかった尊敬の眼差しをラギスに向けている。
「気にするな」
 ラギスはぶっきらぼうに声をかけると、再び前線に飛びだしていった。その後ろを、グレイヴとその麾下が必死の形相で追い駆けてくる。
「ラギス様! お待ちを――ッ」
 ジリアンが慌てて駆けてくる様子を見て、ラギスは口角をもちあげた。思っていた以上に気骨のある少年だ。なんだかんだ、夜明けまで持ちこたえてみせた。
「いきましょう」
 隣に並んだグレイヴの声に、ラギスは頷いた。彼等の存在はありがたかった。闘技場と違い、戦場は個の闘いではない。初めての実戦で数の闘いを見て、ラギスはロキが以前口にしていた言葉の意味をようやく理解した。戦場で陣地を確保するには、味方との連携が必須だ。
 そうした意識のもとで前線を張るラギスの姿は、一介の騎士ではなく、上に立つ将そのものだった。
 血濡れた剣を振りかざし、果敢に斬りこむラギスを見て、味方から歓声があがり始めた。
不死身の猛将グィネス・イクス!」
 鬼神のごとしラギスの働きに、敵も戦慄している。戦意を挫かれ、草原の彼方へ逃げる者は少なくなかった。
 戦局は、シェスラの有利に運んでいる。
 敵の陣営は壊滅寸前、あちこちで死にゆく者達が呻き声をあげている。
 士気高く剣を振るっているのは、シェスラ陣営の兵士のみだ。ラギスも視界にシェスラが移る範囲で、獰猛に暴れた。まさしく血に飢えた狼の闘いだ。汗に濡れた黒髪を振り、筋骨たくましいむきだしの腕には返り血が飛び散っている。
 敵の退き色が濃くなる中、敵将の逃亡を阻止すべく、シェスラは王手をかけた。
 総崩れになる前に、自陣の敗走を指揮していた敵将は、単騎で駆けてくるシェスラを見るなり、憤怒の形相を浮かべた。
大王ロワ・アルファシェスラ!」
 怒声は、離れたところにいるラギスの耳にも届いた。彼こそは、シェスラの父――前王バングルを討ち取った猛将、アルセウスだった。