月狼聖杯記

8章:夜明けの鬨 - 3 -


 北の激突が始まった頃、南門にも梯子がかけられた。
 風は狼さながらに唸りをあげ、怒号に歓声、悲鳴が海鳴りのように響いている。
 ロキは下っ端の歩兵にありながら、その頑健な体躯を見こまれ、南の城壁の最前列に配置された。その判断は正しかったといえる。
「おぉッ!」
 彼が裂帛れっぱくの気迫で、両手に構えた往古おうこ戦斧せんぷふるうと、敵の首が二、三、一遍に吹き飛んだ。戦神の如し気迫は、屈強なアレッツィア兵をも恐怖に後ずらせた。
 梯子を伝って新手が現れや、罵声を発してロキに飛びかかったが、ロキはしなやかな身のこなしで動き、敵の胴を一刀両断した。
「ぎゃあぁッ」
「こいつを仕留めろ!」
 敵は瞳に殺意を漲らせ、一斉にロキを取り囲んだ。ロキは腰を落として斧を構え、先ず、懐に飛びこんできた男の首を一閃して斬り落とした。次に背後の敵の肩に斧を叩きこんで床にわせ、返す刃で、死角から襲いかかってきた敵のこめかみに柄を叩きこんだ。必殺の一撃は頭蓋を粉砕し、飛び散った脳漿のうしょうは、ロキの顔にまでかかった。彼の操る斧は、血に濡れた銀に輝き、周囲に死の車輪を描き続けた。
「なんという豪傑だ!」
 腰に巻いた深紅の帯を踊るように閃かせ、巨躯にあるまじき俊敏さで敵を次々にほふ る。ロキが刃を揮う度に味方からは歓声があがり、敵は恐怖に青褪めた。
 その場の主導権を、ロキは完全に掌握していた。彼は闘いの興奮に、鋼のような身体に力を漲らせた。持って生まれた力を今こそ発揮する時だった。味方は、彼の獰猛で大胆不敵ないさおしを口々に誉めたたえた。
「「ロキ! ロキ!」」
「「百人斬りだァッ!」」
 その熱狂的な歓声は、北を固守するラギスの耳にも届いた。
 頼もしい味方の大歓声が、背中を押してくれる。ラギスは口角をあげると、
「負けてられねぇぞ! こっちは千人斬りだァッ!」
 びりびりと空気を振動させるほどの大声を張りあげた。それは面白がるような響きを帯びていた。
「「おぉぉぉ――ッ」」
 全員が目に闘志を漲らせ、狼の咆哮をあげた。
 刀身が噛み合い、血が迸る。
 城塞を攻略せんと、蟻のごとく敵は壁を登ってくるが、城壁の士気は高く、猛攻に屈することなくしぶとく粘った。一人がくたびれて膝をつけば、他の仲間が敵を串刺しにした。
 鋼鉄の打ち合う音を響かせ、刃と刃がぶつかり合い、城壁に反響して耳をろうするほどだ。
 夜明けは確実に近づいてきている。
 だが、限界も近づいてきている。
 兵士は夜襲を受けてからぶっ通しで城壁に立っている。月光を浴びることも叶わず、普段のように力を揮えない。疲労の極みに達しようとしていた。
「援軍はまだか!?」
 誰かが焦りを叫んだ。未だ陽の昇らぬ夜闇を仰ぎ、彼等の顔に絶望が拡がっていくのを見て、グレイヴは士気の限界を感じた。
「ラギス様。部隊を入れ替えましょう」
「何ッ?」
 前を見続けて戦っていたラギスは、後ろを振り返り唖然となった。味方は満身創痍、襤褸切れのように立ち尽くしている者が大半だった。
「もう限界です」
 グレイブの指摘に、ラギスは眉間にしわを寄せた。味方の顔を見回すと、アレクセイと目があった。涼しげな貴公子も流石に疲労の色を隠せていない。だが目の輝きは衰えていない。
 次にオルフェと目が合った。同じ配置についた彼の活躍は、背中に感じていた。洒落者の彼は、今は血を浴びて恐ろしい形相をしているが、やはり目には強い光を宿している。
 まだ闘えるか?
 究極の選択だ。限界など、とっくに超えていることは判っている。
 どれほど士気が高くても、ラギス達は人数で不利がある。戦闘が長引くほどに持久力は削られていく……だが交代制にすれば、城壁に充てられる総数は減る。
 逡巡し、最後にジリアンを見てぎょっとした。汗と返り血に塗れて、繊細な容貌は修羅の有様だ。顔には疲労以上のものが現れており、目は血走り、左のこめかみが痙攣していた。
(――無理だ)
 ラギスは奥歯を噛みしめた。無駄死はさせられない。風前の灯が潰える可能性もあるが、兵を入れ替えるしかない。
「ジリアン、休め」
 その瞬間、ジリアンの瞳に闘志が燃えあがった。ラギスの顔を見て、かぶりを振る。
「まだ戦えます」
「ふらふらだぞ」
「平気です!」
「おい、誰かこいつを――」
 ラギスが周囲に視線をやると、ジリアンは彼の視界を遮るように身体の位置をずらした。
「私はラギス様の護衛騎士です! 主を置いて逃げるような腰抜けではありませんッ」
 ジリアンは殆ど叫ぶようにいった。その瞳の強さを見て、ラギスは心を決めた。息を吸いこんで腹から声をだした。
「お前ら! 顔をあげろ」
 ラギスの喝が空気を轟かす。はっとしたように味方は顔をあげた。
「きつけりゃ、俺の背の後ろで闘え! 風避けになってやる!」
 味方を鼓舞しながら広刃を一閃させた。死角を狙った敵は、必殺の一撃で骨ごと裂かれ、絶叫と共に城壁から落下した。
 気を張り詰め、野獣の感覚を持つラギスに死角はない。血の滴る剣を存分に奮う!
「じきに夜が明ける! こっちは絶対絶命! 敵は攻城に王手をかけて勢いに乗ってる! こんな美味しい状況を、シェスラが見逃すわけねぇよッ」
 誰よりも前線で剣を振るうラギスの背中を見て、味方の目に再び光が灯った。
「それでもきつけりゃ、十殺したら休憩していいぞ!」
 ラギスが雄たけびをあげると、その強烈な闘志は、たちまち周囲に伝播でんぱし、獣のような咆哮をあげた。
「「うぉぉッ!!」」
 野太く、力強い声があがった。
 絶対絶命の局面で、士気が跳ねあがる光景を目の当たりにし、グレイヴの肌は畏怖と興奮で総毛立った。そんな場合ではないというのに、思わずしゃがれた声で笑った。
(なんと豪胆な男よ、この局面を持ち直すというのか!)
 戦闘能力もさながら、味方を鼓舞する求心力も高い。正騎士の称号では役不足だろう。前線を張るラギスの姿は、もはや一個隊を率いる将の姿だ。
(王が寵を授けるのも判る。これほどの鏖将おうしょうとは知らなかったものよ)
 賛嘆に目を瞠る者はグレイヴの他にも大勢いた。これがドミナス・アロの闘技場の頂点に登りつめた男――王の選んだ聖杯、ラギスなのだと認めないわけにはいかなかった。
 彼が動くたびに、唸りをあげて弧を描く鋼鉄から、鮮血が滴り落ちる。一瞬たりとて静止せず隙を与えない。その戦闘ぶりは、同胞達の、獰猛で野蛮な月狼の本能を奮い立たせた。
 しかし、難局は続く。
 前線は息を吹き返したかのように見えたが、平原の彼方から、巨大な破城槌はじょうついを乗せた櫓が現れると、思わず全員が青褪めた。
「な、なんだあれは……」
 見たこともないほど大きい。車輪が回転するのが不思議なほど、乗せている破城槌は巨大だった。敵も警戒しており、アレクセイによって破壊された連弩の二の舞にならぬよう、今度は四方を重装歩兵に守らせながら、慎重に近づいてくる。
「また新兵器かよ。何から何まで準備がいいな」
 平静を装ってラギスはいったが、内心では戦慄していた。城門を突破されれば、一貫の終わりだ。
 いよいよ城塞都市が破滅する――緊張した思考の波が、城壁に沿って連なる沈黙した者達の間を走り抜けた。恐怖に悪寒が背筋をいのぼってくるようだった。
「ラギス様」
 グレイブは警告の声を発した。ラギスの目を見て、
「限界です。護衛と共にお下がりください。ここは私が引き受けます」
「なんだと?」
 ラギスは怒りを覚えたが、覚悟を決めた眼差しを見て、彼がなぜラギスの傍で闘っていたのかを理解した。彼は、このような局面になった時に、ラギスを護る最後の盾なのだ。
「下がらねぇ。城門が破られたら、俺は下に降りる」
「いけません!」
「独りで退けるか!」
 ラギスは歯をむきだして唸った。
 その時、火花を散らす二人の視界にきらりと閃光がちらつき、殆ど同時に平原の彼方を凝視した。
 雲間が輝いている。金色の曙光しょこうが鉤爪で空を射し貫く。夜明けの空に、焔のような光の雨が浮きあがった。
 矢だ。
 地平線の彼方から、弧を描く矢の大軍が現れた。やじりは陽を弾いて煌いている。
 驟雨しゅううのごとく飛来する矢の雨は、後ろを向いているアレッツィア兵の背に突き刺さり、敵は濁流にのまれるがごとく次々と倒れ伏した。
「援軍だ……」
 誰かが魂の抜けたような声で呟いた。間もなく、味方の大歓声に変わる。
「援軍だ! 援軍がきてくれたッ!」
「大王様だッ!」
 平原の彼方に、忽然と群青の旗が翻った。
 奇跡のような光景に、味方は狂喜乱舞した。平原の果てから、待ち望んだセルト勢の援軍が駆けてくる。先頭を駆けるのはシェスラだ。