月狼聖杯記

7章:過ちの代償 - 7 -


 ラギスと森で別れたあと、シェスラは大広間に戻り部族長達と弁を交わしていた。垂れさがる紗の内側、秋草の金屏風を背にして彼は優雅に寛いでいる。
「――月狼の王アルファングよ、教えてはくれまいか」
 叡智を秘めた眼差しで族長の一人がいった。シェスラが問いかけるように視線を向けると、男は少し迷ってからこう続けた。
「我が大王きみは高見の見物を決めこんでおられる……だというのに、兵の顔を見ていると、敵は焦り、ネロアは不思議と寛いでいるように見える……これはどう判断すればいい?」
「無論、策があってのこと」
「それはどのような?」
「判っていると思うが、数で挑んでもアレッツィアには勝てない。兵力差を生かして、敵は集団戦を起こしたがっている。我等がとるべき行動はただ一つ。衝突を避けて、敵の死角を狙うことだ」
 族長達は口を閉ざした。彼等は、援軍に駆けつけたシェスラを歓迎はしているが、彼がいつになっても号令を発しないので、次第に焦りを感じ始めていた。
 沈黙する全員の顔を見回し、シェスラはゆっくりと口を開いた。
「城塞前の布陣を俯瞰して、数があわぬことに気がついただろうか?」
 族長達は神妙な面持ちで頷いた。
「陣容をうまく隠されている様子は薄々……ですが、前線をさげていることは事実。草原で視界を失うのは、致命的ではありませぬか」
 族長の一人が懸念を示すと、
「衝突は避けているが、斥候せっこうは以前にも増して送りこんでいるぞ」
 シェスラは落ち着いた声でいった。
「敵も感づいていることでしょう。境界線の制御は向こうが有利。我等の探索範囲は、じわじわと狭まってきていますぞ」
 また別の族長が口を挟んだ。
「地上においてはそうだろう。私の求めている視界確保は、大胆な線ではない。敵の視界に映らぬ局地的な点だ」
 シェスラの答えに、誰かがごくりと唾を飲みこんだ。また別の者は閃きに目を瞠り、地下迷宮……そう零すと、シェスラは笑みを深めた。
「いかにも。あの広漠な地下迷宮から、地上へ通じる出口は優に二百を超える。敵は前線を押しあげるうちに、地下迷宮の探索網の内側へと足を踏み入れているのだ」
 シェスラは衝突を避ける一方で、敵の動向を探る斥候には気を配っていた。彼等は地下迷宮を通じて、茫漠の草原に自在に出入りし、最小限の動きをもって敵の動向を探っている。彼等のもたらす情報をもとに、シェスラは部隊の隠し場所を決めていた。
 その意味するところを理解し、族長達は鳥肌を覚えた。
 地下を利用して視界の確保に成功しているということは、同じ道を使って、いつでも敵の裏をかけるということだ。
 七日日前――
 ネロアの現況を聞いたシェスラは、国境警備に必要な最低限の兵を残して、残りの全てをベルタルダ城へ呼び戻すことに決めた。
 少しずつ前線をさげて、城塞前の防衛に充てた。一見すると、本陣の布陣は厚みが増し、強固になったように見えるが、実はここには視覚的なからくりがある。
 シェスラの指示した布陣は一風変わっており、それは矩形くけい隊伍たいごを一定間隔に配置し、間隙の後ろに、別の隊伍を配置したもので、正面から見ると、兵の厚みが増したように見える効果があった。
 敵に、ネロア兵の撤退経路と増強された本陣を見せることで、“撤退させた兵団は、ベルタルダ城の防衛に充てられたのだろう”と錯覚させたのだ。
 実際には、撤退させた兵の半数以上を地下迷宮に送りこみ、秘密の抜け穴を通じて、いつでも出撃可能な部隊をあちこちに隠している。その数は数千にも及ぼうとしている。
 シェスラは、地上と地下の通路を巧みに利用して、完全に敵の探索網を逃れた、一個隊にも匹敵する規模の軍隊を作りだしていたのだ。
 ネロアの命運を託された者として、序盤の闘いにおいて、これ以上はないというほどの正解を示したといえる。要衝の神髄たる地下迷宮に画竜点睛を施したとも。
「先手をとられたと思っておりましたが、いやはや……さすがは大王様。見事な切り返しですな」
 最長老はすっかり感服した様子で、恭しく頭をさげた。渋面を浮かべていた他の族長も、恭順を示して頭をさげた。
「私はこれでも勤勉でな。アルセウスの戦法を参考にさせてもらったのだ」
 シェスラが鷹揚に杯を掲げると、周囲から軽い笑いが起きた。仇敵の戦法を盗むとは、なんとも皮肉で痛快な話である。
 朝課の鐘が鳴り、場の空気は更に和んだ。話に区切りがつき、男達は戦の景気づけに酒盛りを始めようとしている。シェスラも杯を受けながら、意識は外へと漂いだした。先ほど席を外したギュオーは、まだ戻らないのか? ラギスも大広間にいないようだが、どこへ……

 半刻前。イヴァンは、今夜の来客のために解放されている、客室の一つにラギスを連れこんだ。
 豪華な部屋は手入れが行き届いており、扉の傍にある紫泥の壺には、瑞々しい薔薇が活けられている。部屋でもっとも目を引くのは、繻子の綴れ織りの垂れさがる寝台で、刺繍をした古代織の掛け布で覆われている。イヴァンの角灯から漂う甘い蜜蝋と龍涎香りゅうぜんこうの香りが、巨大な寝台をいっそう淫靡に演出しているようだった。
「さすがは王の聖杯……普通の器とは違いますね。番を得ているのに、あなたはこれほど香る」
 頬を紅潮させたイヴァンは、一糸まとわぬ姿で横たわるラギスの上に跨り、いやらしく褐色の肌に手を滑らせている。
 ラギスはぼんやりと蝋燭の灯を見つめながら、貴族の饗宴、聖杯に堕ちた淫蕩な日々を思い返していた。
 あの頃と同じだ。相手が婦人ではなく男に変わっただけ。褥の上ですることに変わりはない……
 こんなことは、これまでの苦難を思えば屁でもない――頭ではそう思っていても、心は千々に乱れていた。どんなにいい聞かせても、シェスラに裏切られたという事実が重たくのしかかる。国とラギスを天秤にかけて、あの男はラギスを売ったのだ。
(……いいだろう。俺に聖杯を望むのなら、期待に応えてやる――最後にな)
 夜が明けたら、ここをでていこう。それで終いだ。二度とシェスラの前には現れない。
 イヴァンは、無抵抗のラギスを満足そうに見下ろし、素肌に両手を滑らせた。首筋に鼻を近づけて、濃い官能の香りを吸いこんだ。
「はぁ……」
 陶然とため息をつくと、鋼のような身体に覆い被さり、褐色に焼けた太い首筋に唇を押し当てた。
「んッ」
 首筋を柔らかく吸われて、ラギスは小さく呻いた。疎ましいことに、心は凍っていても、シェスラに抱かれ続けた身体は少しの刺激でも快感を拾ってしまう。
「貴方は、信じられないほどいい香りがする……」
 イヴァンは唇を少しずつおろしていきながら、ラギスの逞しい胸を掌でまさぐった。親指と人差し指で尖った先端を転がし、やんわりと摘まむ。
「ッ」
 唇を噛みしめ、刺激に耐えるラギスを見て、イヴァンは上気した顔でほほえんだ。
「酔ってしまいそうです……普段からこれでは、発情した貴方はどれほど香るのでしょうね……」
 ラギスは無視しようとしたが、きゅっと乳首を摘まれて、腰がびくんと跳ねた。
「不思議ですね……貴方はどう見ても雄で、こんなにも雄々しい……私の趣味ではないはずなのに」
「……今からでも遅くはないぞ。やめておくか?」
 イヴァンは頬を紅潮させ、かぶりを振った。
「いいえ。熟れた果実のように甘い匂いがする……どんな味なのか知りたい」
「あんたは、俺を抱きたいのか? それとも抱かれたいのか?」
 イヴァンは瞳を輝かせ、妖しくほほえんだ。
「ふ、悩ましい選択ですね……貴方となら、どちらも楽しめそうだ」
 胡乱げな顔つきのラギスを見て、イヴァンは喉の奥で笑った。
「私の噂を聞いておりませんか? 私は根っからの美食家なのです。特に酒には目がなくて……」
 そういいながら、イヴァンは真鍮の大皿に手を伸ばし、葡萄を一粒もいだ。訝しむラギスの胸に粒を押し当て、指先で擦り潰した。薄紫に光る果汁が、盛りあがった胸筋に流れていく。
「いい香りがする……」
 イヴァンは陶然と呟き、熱を持った果肉を、勃ちあがった乳首にこすりつけた。
「ッ、ん……」
 喘ぐラギスを食い入るように見つめながら、傷ついた葡萄の果肉を、円を描くように滑らせた。
「いい趣味をしているな」
 ラギスはうんざりしたようにいった。貴族には偏った趣味嗜好の持ち主が少なくないが、彼にも同じような狂気を感じる。
「こうすると、貴方の肌の匂いと溶けあって、葡萄酒よりも香る……」
 イヴァンは薄くほほえむと、恭しく胸板に唇をつけた。光る果汁の筋を舌で舐めあげながら顔をさげていき、やがて乳首に辿りつくと、そこを柔らかく吸いあげた。
「っ、く、やめろ」
「そういわないで……美味しいですよ、ラギス様」
 緩急をつけて吸いあげながら、果実の名残を食べ、先端に歯を立てる。
「ッ」
 何度も甘噛みを繰り返し、もう片方の乳首は指先でいら う。
 好き勝手に弄られているというのに、霊液サクリアを滲ませる身体が呪わしい。嬌声を堪えるラギスの胸をまさぐり、イヴァンは肉粒に浮いた琥珀を、恍惚の表情で吸いあげた。
「あぁ……素晴らしい、天上の美酒ですよ……二度と忘れられない味だ」
 イヴァンは顔をあげて、歯を噛みしめて声を殺しているラギスを見下ろした。
 唇に視線が落ちるのを感じて、ラギスは強張った。口づけは嫌で、顔をおもいきり背ける。
「……口づけはお嫌ですか?」
「必要ねぇだろ」
「私も普段は、それほど好まないのですが……貴方に限っては、味わってみたくなる」
「ご免蒙る」
 イヴァンは蠱惑的な笑みを浮かべると、ラギスの頬を撫でた。危険を察知してラギスが身体を起こそうとすると、イヴァンは焦ったように身を引いた。
「判りましたよ。口づけは我慢しましょう、王を慕う健気な聖杯のために」
 不機嫌そうなラギスの表情にイヴァンは苦笑した。
「唇は、大王様にしか触れさせないのでしょう?」
 ラギスは文句をいいかけたが、藪蛇になりかねないのでぐっと堪えた。
「……唇は諦めるけれど、ラギス様の身体には触れますよ。ここも」
 掌が妖しくうごめき、緩く頭をもたげた陰茎に触れた。するりと指を滑らせ、上下に扱く。
「……くッ」
 上気した顔で苦悶するラギスを見て、イヴァンは陶然とした表情で顔をさげると、乳首に吸いついた。
「ッ」
 柔らかく唇に挟みこまれ、乳頭を断続的に突く。じゅ、と吸われて、ラギスの喉から低い喘ぎ声が漏れた。
「ん、あ、は……」
 唇を噛みしめ、嬌声をこらえようとするが、イヴァンの舌技は巧みで、無理矢理に官能を引きずりだされてしまう。
「あぁ……たまらない、聖杯とは淫靡な夢を具現化したような存在ですね」
 イヴァンは陶然と呟いた。舌を絡めて乳首をしゃぶりたてながら、ラギスの陰茎に手を伸ばし、霊液の滲んだ尖端を親指で愛撫する。淫靡な水音が、上からも下からも聴こえてくる。
 イヴァンは左右の乳首をたっぷり吸ってから、少しずつ顔をさげていった。
「おい……」
 ラギスは腰を引きかけたが、イヴァンは引き締まった大腿に腕を回して、巨躯をその場に引きとめた。イヴァンの顔は、昂った陰茎に、ぎりぎり触れるか触れないかまでのところまで近づいている。
「……王が夢中になるのも判ります」
 熱い吐息が、はちきれんばかりの屹立に吹きかかった。刺激を期待して、ひくんと陰茎が揺れる。ラギスは今にも爆発しそうになるのを感じて、腰を引かせた。
「やめろ」
 イヴァンは上目遣いにラギスを見つめた。彼は興奮し、瞳孔が縦長に変化していた。見せつけるように舌を伸ばし、割れ目に盛りあがった滴を舐めとった。
 息をのむラギスを見つめたまま、口を大きく開き、脈打つ陰茎を含んだ。
「んんっ」
 強烈な快感が身体を貫いた。イヴァンは顔を前後させ、雄々しい陰茎を深く咥えこんだ。艶めかしく口淫をしながら睾丸を撫で、臀部を掴み、隘路に指をもぐらせた。
「あ、ん……はぁ……ッ」
「貴方の、ここに、葡萄を入れて食べてみたい」
 恍惚とした表情のイヴァンを見て、ラギスの背筋にぞぞぞ、と怖気が走った。
(冗談じゃねぇ、やられる前にやらねぇと……ッ)
 ラギスは驚くべき瞬発力を発揮し、一瞬の隙をついてイヴァンを寝台に押し倒した。
「ラギス様?」
 彼は少し驚いた顔をしたが、大人しく褥に寝そべり、ラギスの首に腕を回してきた。
 唇に視線を感じたが、ラギスは気づかないふりをして、イヴァンの足を開いた。尻のあわいに手を挿し入れ、ひくつく後孔を太い指で突く。
「挿れてくださるのですか?」
「……ああ」
 イヴァンの陰茎は既に勃ちあがり、先走りで濡れている。ラギスは自分の屹立から零れる霊液を指に搦めて、イヴァンの後孔に塗りつけた。
「うふ、ふ、ぞくぞくする……っ」
 イヴァンの声が甘く蕩けた。霊液には、このような効果もあるらしい。ラギスは窄まりに屹立を宛がい、腰を進めようとして……時を止めた。
 離れていても判る、強烈な王の香気。酷く荒れているようで、漏れいでる覇気は、扉を閉めた部屋の中にいても感じられるほどだ。
(なぜ、今更――)
 訳が判らない。混乱し、戦慄が背筋を走りぬけた。全ての感覚は麻痺したように凍りついていく。
 足音が近づいてくる――身体を起こして身構えていると、勢いよく扉は開いた。