月狼聖杯記
5章:閃く紋章旗 - 8 -
ある午後、鍛錬を終えたあとの小休止で、ラギスは床に大の字になって寝そべり、転寝をしていた。
辺りはいつになく静かで、新緑の棕櫚 の枝を、栗鼠 がかさこそと動き回る音まで聴こえていた。
いつもなら、剣戟 の音や、騎士達の怒号や呻きに満ちているのに、本当に静かだ。そろそろ休憩を終える笛の音が鳴りそうなものだが、今日はいつになっても合図が鳴らない……
さわさわと揺れる木漏れ日が心地良くて、そのうち、ラギスは本当に微睡んでしまった。
少しばかり、時間が過ぎた。
優しく髪を梳かれる気配に目を開けると、いつの間にか、隣にシェスラがいた。
「……シェスラ?」
眠たげに問うラギスを、シェスラは目を細めて見下ろした。
「よく眠っていた」
「……何しているんだ?」
「そなたを探していたら練兵場で寝ていると聞いて、人払いをしたところだ」
ラギスは眉をひそめた。
「人払い? なんでだよ。このあとも他の隊が鍛錬するんだぞ」
シェスラは懐中時計に目をやり、こう続けた。
「今更だな。なんなら半刻ほど眠っても良い。起こしてやろう」
「もう目が醒めた。見ていないで起こせよ」
「そなたこそ気をつけよ。私の番 なのだぞ? 他の者に、無防備な姿をさらすでない」
「番 じゃねぇ」
「そのようなことを」
シェスラは不愉快そうに眉をひそめた。
「公私混同じゃねぇか、俺を叩き起こせばすむ話だろうに」
「たまにはいいだろう」
平然とのたまう月狼の王 を見て、ラギスは黙った。彼は本当に、軍務よりもラギスの眠りを優先したのか?
冷酷無慈悲、氷像のように美しい王が、ラギスのことになると、平常ではありえぬ判断をとることがいまだに信じられない。
「……はぁ」
「不満そうだな」
「月狼の王も堕ちたものだな」
「そなたになら、堕落するのも悪くはないな」
シェスラは親密な仕草で、ラギスの額にかかった髪を後ろへ撫でた。
「……あんたは聖杯に囚われすぎだ。評判の冷静さはどうした?」
シェスラの手を払い、ラギスは前髪をかきあげながらいった。冷静なふりをしているが、全神経は隣のシェスラへ向かっている。
「冷静だからこそ、情熱に身を任せたい時もある……そなたこそ忘れていないか? 私は王である前に、若く自信に満ちた雄の月狼だぞ」
「俺にいってどうする」
ラギスは睨みつけるようにシェスラを見た。涼しげな水晶の瞳は、熱を帯びて昏く翳っている。じっと見つめられると、ラギスの背筋にぞくりとした震えが走った。
「そなた以外にいってどうする」
「まさか、口説いているのか?」
唇に視線が落ちるのを感じて、ラギスは正体不明の居心地の悪さに襲われた。無意識に軽く仰け反ると、敏感に察知したシェスラが顔を寄せてきた。
「おい……」
シェスラは淡い笑みを浮かべながら、なおも近づいてくる。咄嗟に手で口を覆うと、シェスラは手をはがして、手首にけだるい口づけをした。ぞくっと躰に戦慄が走る。
「逃げるな」
そっと囁いて、唇を重ねてくる。反論したいが、唇のあわいを舌でなぞられ、心を揺さぶられた。唇を開くと、熱い舌がぶつかり、踊るように絡みだす。
「ん……っ」
シェスラの手は逞しい背中を下りていき、臀部に掌をすべらせた。
「おいッ」
呻きながら、ラギスはシェスラの肩に手を置いた。顔を離して、青い目を見つめる。
「ここは外……っ」
文句は口づけに封じられた。呻きとともに唇を開いた瞬間、シェスラの舌が奥まで入りこんだ。
「んんっ……!」
周囲を気にかける余裕はなくなり、興奮と戸惑いが滾々 と駆け巡る。隙間なく躰が密着し、下腹部が熱を帯び始めた。シェスラの指が腿を這いあがり、つけねのあたりを焦らすように撫でた。股間が張り詰め始めたのを感じて、ラギスは唇を離し、大きく喘いだ。
「はぁっ……よせっ」
シェスラは離れることを拒むように、一瞬だけ腕に力をこめたが、すぐに緩めた。だが瞳の輝きは暗く欲望に翳っていて、捕食者のような目でラギスを見つめている。
「発情期が待ち遠しいな……時間を忘れて、そなたと怠惰に耽りたい」
「寝言は寝てからいえ」
ラギスが顔をしかめてそっぽを向くと、シェスラは手を伸ばしてラギスの腕を掴んだ。
「放せよ!」
腕を振り払い、鋭く睨みつける。だが、シェスラは既に気持ちを切り替えたように、涼しげな眼差しに戻っていた。
「そなたを探していたのだ。見せたいものがある」
「見せたいもの?」
「くれば判る」
颯爽と立ちあがるシェスラにあわせて、ラギスも訝しみながら腰をあげた。
彼は厩舎に向かって歩き始めた。厩舎といっても、宮殿のように立派な造りをしており、優美な尖塔は離れたところからでも視認できた。
王の訪 いに気づいた衛兵が、すぐに扉を開けて中へ招きいれた。
「馬に乗るのか?」
ラギスが問うと、シェスラはどこか悪戯めいた光を瞳に灯して、口角をあげた。
「すぐに判る」
「?」
不得要領についていった先には、磨きぬいた黒檀のように艶やかな、見事な黒毛の若い戦馬がいた。
「立派な馬だな」
思わず感嘆のため息をつくラギスを見て、シェスラは満足そうに笑った。
「そなたの馬だ」
「俺の?」
「そうだ。気性は荒いが、勇敢だ」
「へぇ」
「乗り慣らしておくといい。馬には乗れるな?」
「乗れるが、久しぶりだからな。昔のように騎馬で狩れるかは判らない」
「訓練しておけ。ネロアで必要になるだろうからな。馬術はアレクセイに習うといい」
「えぇ?」
戸惑いの滲んだラギスの声をどう思ったのか、シェスラはこう続けた。
「あれは弓と馬の扱いに長けている。馬で駆けながら、空高く飛ぶ鷹を一発で仕留めるぞ」
「……そうかよ」
ラギスは気のない返事をした。四騎士のことは苦手だが、満足そうにしているシェスラを見ていると、悪態をつく気にはなれなかった。
辺りはいつになく静かで、新緑の
いつもなら、
さわさわと揺れる木漏れ日が心地良くて、そのうち、ラギスは本当に微睡んでしまった。
少しばかり、時間が過ぎた。
優しく髪を梳かれる気配に目を開けると、いつの間にか、隣にシェスラがいた。
「……シェスラ?」
眠たげに問うラギスを、シェスラは目を細めて見下ろした。
「よく眠っていた」
「……何しているんだ?」
「そなたを探していたら練兵場で寝ていると聞いて、人払いをしたところだ」
ラギスは眉をひそめた。
「人払い? なんでだよ。このあとも他の隊が鍛錬するんだぞ」
シェスラは懐中時計に目をやり、こう続けた。
「今更だな。なんなら半刻ほど眠っても良い。起こしてやろう」
「もう目が醒めた。見ていないで起こせよ」
「そなたこそ気をつけよ。私の
「
「そのようなことを」
シェスラは不愉快そうに眉をひそめた。
「公私混同じゃねぇか、俺を叩き起こせばすむ話だろうに」
「たまにはいいだろう」
平然とのたまう
冷酷無慈悲、氷像のように美しい王が、ラギスのことになると、平常ではありえぬ判断をとることがいまだに信じられない。
「……はぁ」
「不満そうだな」
「月狼の王も堕ちたものだな」
「そなたになら、堕落するのも悪くはないな」
シェスラは親密な仕草で、ラギスの額にかかった髪を後ろへ撫でた。
「……あんたは聖杯に囚われすぎだ。評判の冷静さはどうした?」
シェスラの手を払い、ラギスは前髪をかきあげながらいった。冷静なふりをしているが、全神経は隣のシェスラへ向かっている。
「冷静だからこそ、情熱に身を任せたい時もある……そなたこそ忘れていないか? 私は王である前に、若く自信に満ちた雄の月狼だぞ」
「俺にいってどうする」
ラギスは睨みつけるようにシェスラを見た。涼しげな水晶の瞳は、熱を帯びて昏く翳っている。じっと見つめられると、ラギスの背筋にぞくりとした震えが走った。
「そなた以外にいってどうする」
「まさか、口説いているのか?」
唇に視線が落ちるのを感じて、ラギスは正体不明の居心地の悪さに襲われた。無意識に軽く仰け反ると、敏感に察知したシェスラが顔を寄せてきた。
「おい……」
シェスラは淡い笑みを浮かべながら、なおも近づいてくる。咄嗟に手で口を覆うと、シェスラは手をはがして、手首にけだるい口づけをした。ぞくっと躰に戦慄が走る。
「逃げるな」
そっと囁いて、唇を重ねてくる。反論したいが、唇のあわいを舌でなぞられ、心を揺さぶられた。唇を開くと、熱い舌がぶつかり、踊るように絡みだす。
「ん……っ」
シェスラの手は逞しい背中を下りていき、臀部に掌をすべらせた。
「おいッ」
呻きながら、ラギスはシェスラの肩に手を置いた。顔を離して、青い目を見つめる。
「ここは外……っ」
文句は口づけに封じられた。呻きとともに唇を開いた瞬間、シェスラの舌が奥まで入りこんだ。
「んんっ……!」
周囲を気にかける余裕はなくなり、興奮と戸惑いが
「はぁっ……よせっ」
シェスラは離れることを拒むように、一瞬だけ腕に力をこめたが、すぐに緩めた。だが瞳の輝きは暗く欲望に翳っていて、捕食者のような目でラギスを見つめている。
「発情期が待ち遠しいな……時間を忘れて、そなたと怠惰に耽りたい」
「寝言は寝てからいえ」
ラギスが顔をしかめてそっぽを向くと、シェスラは手を伸ばしてラギスの腕を掴んだ。
「放せよ!」
腕を振り払い、鋭く睨みつける。だが、シェスラは既に気持ちを切り替えたように、涼しげな眼差しに戻っていた。
「そなたを探していたのだ。見せたいものがある」
「見せたいもの?」
「くれば判る」
颯爽と立ちあがるシェスラにあわせて、ラギスも訝しみながら腰をあげた。
彼は厩舎に向かって歩き始めた。厩舎といっても、宮殿のように立派な造りをしており、優美な尖塔は離れたところからでも視認できた。
王の
「馬に乗るのか?」
ラギスが問うと、シェスラはどこか悪戯めいた光を瞳に灯して、口角をあげた。
「すぐに判る」
「?」
不得要領についていった先には、磨きぬいた黒檀のように艶やかな、見事な黒毛の若い戦馬がいた。
「立派な馬だな」
思わず感嘆のため息をつくラギスを見て、シェスラは満足そうに笑った。
「そなたの馬だ」
「俺の?」
「そうだ。気性は荒いが、勇敢だ」
「へぇ」
「乗り慣らしておくといい。馬には乗れるな?」
「乗れるが、久しぶりだからな。昔のように騎馬で狩れるかは判らない」
「訓練しておけ。ネロアで必要になるだろうからな。馬術はアレクセイに習うといい」
「えぇ?」
戸惑いの滲んだラギスの声をどう思ったのか、シェスラはこう続けた。
「あれは弓と馬の扱いに長けている。馬で駆けながら、空高く飛ぶ鷹を一発で仕留めるぞ」
「……そうかよ」
ラギスは気のない返事をした。四騎士のことは苦手だが、満足そうにしているシェスラを見ていると、悪態をつく気にはなれなかった。