月狼聖杯記
5章:閃く紋章旗 - 2 -
シェスラは、遠方の諸外国との外交に注力する一方で、自国の軍事強化にも目を向けた。自ら考案した防具を兵士に試着させたり、様々な布陣の演習を繰り返し、対ラピニシア攻略に時間を割いた。
少し前に、辺境まで赴いていた巡視隊も戻り、現在、騎士団は大所帯に膨れあがっている。
昼の間、彼等は練兵場で戦闘訓練に励むのが日課になっており、そのなかにはラギスの姿もあった。不沈城へきて半年。ラギスは正騎士として、近衛の騎兵連隊に編成された。シェスラの推薦による、異例の抜擢である。
ラギスは、訓練をこなす傍らでアミラダに文字や教養を師事し、騎士団長のインディゴからは剣技を学んでいた。疲れ果て、寝台に転がると泥のように眠る日々が続いているが、生まれて初めてともいえる充足感を得ていた。騎士団のなかではまだ下っ端だが、月狼銀毛騎士団に名を連ねること自体が大変な栄誉とされている。前王の時代であれば、奴隷階級から騎士に昇格することは先ずありえなかった。
騎士の条件に家柄を考慮しない、実力主義のシェスラが総司令官に変わったことで、騎士団の風潮も変わりつつある。
とはいえ、貴族階級の騎士のなかには、ラギスを見下す者は依然としているが、侮蔑の視線などラギスは痛くも痒くもなかった。
尚、月狼銀毛騎士団の階級は十段階に分かれている。
総司令官であるシェスラを頂点にして、その下に副司令官――騎士団長であるインディゴ、司令官と続いていく。
シェスラの麾下 連隊は、三百名構成の大隊四つで編成されている。それぞれの大隊の司令官を、シェスラの乳兄弟であるアレクセイ、ヴィシャス、ラファエル、ルシアンの四騎士が務めている。
彼等は近衛騎士のなかでも特別な存在だ。なんといっても華がある。
だが優れているのは容姿だけではない。彼等の実力と名誉は、五千人以上を束ねる将軍級の司令官に匹敵する――と評判だが、彼等の闘いを見たことのないラギスは、結局のところ、際立った容姿のおかげで選抜されたのではないかと疑っていた。
日中の厳しい残暑の盛り。
不沈城 の練兵場の外郭から、剣戟 の音、騎士達の怒号が聞こえている。爽やかな風が吹き、今にも襲いかからんと後ろ脚で立ちあがる狼――その紋章を意匠された、月狼銀毛騎士団の旗が波打っている。
「休憩だ!」
訓練をひとしきり終えて、副司令官のインディゴが声を張りあげた。
厳めしい顔つきの鏖将 だが、豪放磊落 な人柄で部下には愛されている。皆は彼のことを副司令官でも将軍でもなく、団長と呼んでいた。事実、月狼銀毛騎士団をまとめている責任者である。
休憩の号令がかかり、全員が表情を和らげて、汗を流そうと沐浴場に向かっていく。
ラギスはちょっと考えてから、下履き一つになった。普段は部屋に戻るのだが、この日は、共用の沐浴場を使ってみようという気になったのだ。
傍に控えているジリアンは、心配そうに周囲を警戒したが、ラギスは笑った。
「誰も見ちゃいねぇよ」
生来、無頓着な性格のラギスは、割と早い段階で肌を晒 すことへの抵抗を忘れた。
特に訓練後は、誰もが一早く水を浴びたくて、怒鳴ったり唸ったりしながら水場に急ぐのだ。そんな時に、ラギスの躰を注視する者などいないだろう。
そう思っていたが、井戸から釣瓶 で水を汲みあげ、躰全体にかけていると、複数の視線を感じた。嘲笑や侮蔑の類ではなく、どこか熱を孕んだ雄の視線だった。
(おいおい……)
ラギスはうんざりした。若い雄というのものは、ラギスのような厳つい巨躯でも発情できるらしい。居心地は悪かったが、無視を決めこんで水を頭からかぶった。
「ラギス」
背中に声をかけられ、振り向くと、ヴィシャスがこちらを睨んでいた。
「あ?」
ぶっきらぼうに返事をしながら、ラギスは内心で緊張していた。シェスラの四騎士は今でも苦手だった。彼等の顔を見ると、否が応にもあの夜の饗宴を思いだしてしまう。
「貴様には専用の沐浴場がある。そちらを使うべきだ」
「俺が一緒じゃ、ご不満か?」
ラギスが喧嘩腰で答えると、そうだ、とヴィシャスは頷いた。
「嫌なら、てめぇがどこかにいけよ」
ラギスはヴィシャスを睨むと、視線を外して再び頭から水をかぶった。
「聖杯の自覚がないのか?」
「何?」
顔を掌で拭いながら、ラギスは肩越しに振り向いた。
「聖杯は毒だ」
「あ?」
「……鬱陶しい匂いを、公共の場で振り撒かれるのは、いい迷惑だ」
むっとするラギスを見て、ヴィシャスは苦々しい表情を浮かべた。
「判ったなら、早くいけ」
「文句ならあいつにいえよ。俺は望んでここにいるわけじゃねぇ」
ぶっきらぼうに答えるラギスを、ヴィシャスは冷光をたたえた瞳で睨めつけた。
「私も騎士道を欠片も解さない輩 と、轡 を並べるのは御免蒙りたいが、我が大王 の定めた聖杯である以上、そうもいかない」
「へっ、大王様のいいなりかよ」
「口を慎むがいい、無法者。仮にも聖杯なら、少しはそれらしく振る舞ったらどうだ」
忌々しそうに吐き捨てると、ヴィシャスは背を向けた。ラギスは悪態をついて再び頭から水をかぶった。
いちいち頭にくる男ではあるが、少しも隠そうとしない攻撃的な態度は、かえってありがたかった。気を遣われるよりよほどましだ。
「ラギス様」
ジリアンの控えめな声に振り向くと、清潔な麻布を差しだされた。
「おう」
受け取って、顔や首を拭いていく。
「……お前も、俺が臭うと思うか?」
ジリアンは仄かに頬を染めて、居心地悪そうに、もじもじと視線を逸らした。
「……臭うんだな」
「い、いえ! ふ、不快な匂いでは、け、決して」
吃音の出始めた少年の頭を、ラギスは無造作に撫でた。
「気ぃ遣わなくていい。俺が水場にいる時は、離れて待っていていいぞ」
「いえ、お傍におります。ラギス様の従卒ですから」
ジリアンは、あちこち髪を跳ねさせたまま、きりっとした顔でいった。
「そうかよ」
崇敬の眼差しで見つめられて、今度はラギスの方が居心地悪そうに視線を逸らした。
この機転の利く麗しい少年は、八年も前からラギスの試合を見てきたという。騎士を目指すきっかけとなったことを告白された時は、驚いたものだ。
奴隷剣闘士をしている時は、民衆に血の興奮、歪んだ優越感を提供しているのだと漠然と考えていたが、前途ある若者に希望を与えているとは露ほども思っていなかった。復讐が全てだったラギスの胸に、彼は涼風を吹きこんでくれた一人だ。
顔を拭きながら部屋に戻ろうとするラギスの背に、騎士の一人が声をかけた。
「ラギス! よかったら、一緒に風呂にいかないか?」
呼び止めた男の顔を見て、ラギスは肩から力を抜いた。
「オルフェ」
貴族階級の騎士で、多少気取ったところはあるが、陽気な質 で裏表のない性格をしており、ラギスにも気さくに声をかける稀有 な男だ。
最初はお互いに興味なかったのだが、練兵場でラギスがシェスラと手合わせをする姿を見て以来、ラギスの剣の腕前に感心したらしく、彼の方から声をかけてくるようになった。
「せっかくだが、風呂は苦手なんだ」
ラギスが首を振って答えると、オルフェは目を丸くした。
「風呂が苦手とは、狼生における大きな損失だよ! 今から、ドミナス・アロで評判の大衆浴場にいくんだ。君もいこう」
オルフェは満面の笑みでいった。
峰と湖畔に囲まれた風光明媚 なドミナス・アロは温泉地としても有名で、特に泉沿いに建てられた大衆浴場は巷 で評判だった。
それにしても、オルフェは周囲の視線など、気にも留めていないらしい。氷のようなヴィシャスとのやりとりを見たあとで、怯まずに声をかけてくる者は、ロキのほかには彼くらいなものだ。
「わざわざ遠くにいかなくても、宿舎に共同風呂があるじゃないか」
ラギスがもっともなことを口にすると、オルフェは不満そうな顔をした。
「湯は頻繁に入れ替えられているが、常に誰かしら入るだろう? 練習を終えた男共の入ったあとは、なんだか油が浮いている気がして嫌なんだよ」
「じゃ、入るなよ」
ラギスは微妙な顔つきでいった。
「その選択肢はありえないよ。全身汗みずくなんだ。さっぱりしたいじゃないか」
「頭から水をかけりゃ十分だ。すぐ済むし、湯に浸かるよりさっぱりするぜ」
「それは風呂に対する冒涜 だよ。大衆浴場は広いし、治癒や垢摺 りもしてくれるし、とにかくいこう!」
オルフェはかなり乗り気だ。
「俺はやめておくよ。あんたは楽しんできてくれ」
「どうしていかないんだい?」
「風呂は好きでもないし、俺がいくと、あんたに迷惑がかかる」
「遠慮をするな。僕の番 も雄だけど、発情期でなければ大衆浴場に一緒にいっても問題ないよ」
オルフェの言葉に、ラギスは興味を引かれた。
「番 と一緒に風呂に入るのか?」
「入るよ。二人共、風呂が好きなんだ」
「へぇ……」
体質的にも共同風呂は無理だと思っていたが、オルフェの番 が平気だというのなら、ラギスも平気だろうか?
市民権なら得ているし、騎士団に入ってからは、休憩中であれば自由に行動することも認められるようになった。
「……近いのか?」
「歩いていける」
オルフェは期待の籠った目で即答した。
「ふぅむ……いってみるか」
ラギスが踵 を返すと、オルフェは顔に喜色を浮かべた。その傍らで、ジリアンはぎょっとしたように目を瞠っている。
「ラギス様! いけません」
「番 の器 でも風呂にいけるというじゃないか。なら、俺だって問題ないだろ」
「先ほどのヴィシャス様のご忠告をお忘れですか?」
ラギスは顔をしかめた。
「あいつは俺のやることなすこと気に食わないだけだ。ジリアンも休憩にしていいぞ」
ジリアンはむっとしたようにラギスを見た。
「お供いたします!」
少年は決意をこめて告げたが、ラギスは複雑な心境で押し黙った。
この時代の大衆浴場は、男女の社交の場でもあり、大抵は二階に寝泊まりできる宿が併設されている。この人形のように美しい少年を、大衆浴場に連れていくのはまずくないだろうか?
「お前は留守番してろ」
「なぜですか!」
ジリアンは目を吊りあげていった。
「前から思っていたが、君の従卒は美しいな」
オルフェは感心したようにいった。その言葉に疚しさは欠片もなかったが、ラギスは顔をしかめた。皆が、オルフェのように善良であるとは限らない。なかには、彼の裸身を見て欲望を抱く輩がいるかもしれない。
「ジリアン、やっぱりお前はくるな」
「なぜです? 私はラギス様の従卒ですのに」
「しばらく休憩時間だ。好きなことをしていていい」
「ならば、ラギス様についていきます!」
譲る気配はなさそうである。
主従の攻防を見て、オルフェは小さく噴きだした。
「慕われているんだな」
どう答えたものか悩み、ラギスは沈黙で答えた。ちょうど近くをロキが通り、オルフェは彼にも声をかけた。
「これから大衆浴場にいくんだ。ロキも一緒にいかないか?」
ロキは先ずオルフェを見て、それからラギスを見て、咎めるような眼差しで再びオルフェを見た。
「おい、そいつは盗賊のような外貌をしていても、大王様の番 だぞ。大衆浴場に連れていくのは感心しないな」
「なぁに、皆でいけば平気さ。心配なら、君も一緒にくればいい」
ロキは複雑な顔でオルフェとラギスの顔を見比べた。
オルフェは全員の顔を見渡して、決まりだ。満足そうに笑っていった。
少し前に、辺境まで赴いていた巡視隊も戻り、現在、騎士団は大所帯に膨れあがっている。
昼の間、彼等は練兵場で戦闘訓練に励むのが日課になっており、そのなかにはラギスの姿もあった。不沈城へきて半年。ラギスは正騎士として、近衛の騎兵連隊に編成された。シェスラの推薦による、異例の抜擢である。
ラギスは、訓練をこなす傍らでアミラダに文字や教養を師事し、騎士団長のインディゴからは剣技を学んでいた。疲れ果て、寝台に転がると泥のように眠る日々が続いているが、生まれて初めてともいえる充足感を得ていた。騎士団のなかではまだ下っ端だが、月狼銀毛騎士団に名を連ねること自体が大変な栄誉とされている。前王の時代であれば、奴隷階級から騎士に昇格することは先ずありえなかった。
騎士の条件に家柄を考慮しない、実力主義のシェスラが総司令官に変わったことで、騎士団の風潮も変わりつつある。
とはいえ、貴族階級の騎士のなかには、ラギスを見下す者は依然としているが、侮蔑の視線などラギスは痛くも痒くもなかった。
尚、月狼銀毛騎士団の階級は十段階に分かれている。
総司令官であるシェスラを頂点にして、その下に副司令官――騎士団長であるインディゴ、司令官と続いていく。
シェスラの
彼等は近衛騎士のなかでも特別な存在だ。なんといっても華がある。
だが優れているのは容姿だけではない。彼等の実力と名誉は、五千人以上を束ねる将軍級の司令官に匹敵する――と評判だが、彼等の闘いを見たことのないラギスは、結局のところ、際立った容姿のおかげで選抜されたのではないかと疑っていた。
日中の厳しい残暑の盛り。
「休憩だ!」
訓練をひとしきり終えて、副司令官のインディゴが声を張りあげた。
厳めしい顔つきの
休憩の号令がかかり、全員が表情を和らげて、汗を流そうと沐浴場に向かっていく。
ラギスはちょっと考えてから、下履き一つになった。普段は部屋に戻るのだが、この日は、共用の沐浴場を使ってみようという気になったのだ。
傍に控えているジリアンは、心配そうに周囲を警戒したが、ラギスは笑った。
「誰も見ちゃいねぇよ」
生来、無頓着な性格のラギスは、割と早い段階で肌を
特に訓練後は、誰もが一早く水を浴びたくて、怒鳴ったり唸ったりしながら水場に急ぐのだ。そんな時に、ラギスの躰を注視する者などいないだろう。
そう思っていたが、井戸から
(おいおい……)
ラギスはうんざりした。若い雄というのものは、ラギスのような厳つい巨躯でも発情できるらしい。居心地は悪かったが、無視を決めこんで水を頭からかぶった。
「ラギス」
背中に声をかけられ、振り向くと、ヴィシャスがこちらを睨んでいた。
「あ?」
ぶっきらぼうに返事をしながら、ラギスは内心で緊張していた。シェスラの四騎士は今でも苦手だった。彼等の顔を見ると、否が応にもあの夜の饗宴を思いだしてしまう。
「貴様には専用の沐浴場がある。そちらを使うべきだ」
「俺が一緒じゃ、ご不満か?」
ラギスが喧嘩腰で答えると、そうだ、とヴィシャスは頷いた。
「嫌なら、てめぇがどこかにいけよ」
ラギスはヴィシャスを睨むと、視線を外して再び頭から水をかぶった。
「聖杯の自覚がないのか?」
「何?」
顔を掌で拭いながら、ラギスは肩越しに振り向いた。
「聖杯は毒だ」
「あ?」
「……鬱陶しい匂いを、公共の場で振り撒かれるのは、いい迷惑だ」
むっとするラギスを見て、ヴィシャスは苦々しい表情を浮かべた。
「判ったなら、早くいけ」
「文句ならあいつにいえよ。俺は望んでここにいるわけじゃねぇ」
ぶっきらぼうに答えるラギスを、ヴィシャスは冷光をたたえた瞳で睨めつけた。
「私も騎士道を欠片も解さない
「へっ、大王様のいいなりかよ」
「口を慎むがいい、無法者。仮にも聖杯なら、少しはそれらしく振る舞ったらどうだ」
忌々しそうに吐き捨てると、ヴィシャスは背を向けた。ラギスは悪態をついて再び頭から水をかぶった。
いちいち頭にくる男ではあるが、少しも隠そうとしない攻撃的な態度は、かえってありがたかった。気を遣われるよりよほどましだ。
「ラギス様」
ジリアンの控えめな声に振り向くと、清潔な麻布を差しだされた。
「おう」
受け取って、顔や首を拭いていく。
「……お前も、俺が臭うと思うか?」
ジリアンは仄かに頬を染めて、居心地悪そうに、もじもじと視線を逸らした。
「……臭うんだな」
「い、いえ! ふ、不快な匂いでは、け、決して」
吃音の出始めた少年の頭を、ラギスは無造作に撫でた。
「気ぃ遣わなくていい。俺が水場にいる時は、離れて待っていていいぞ」
「いえ、お傍におります。ラギス様の従卒ですから」
ジリアンは、あちこち髪を跳ねさせたまま、きりっとした顔でいった。
「そうかよ」
崇敬の眼差しで見つめられて、今度はラギスの方が居心地悪そうに視線を逸らした。
この機転の利く麗しい少年は、八年も前からラギスの試合を見てきたという。騎士を目指すきっかけとなったことを告白された時は、驚いたものだ。
奴隷剣闘士をしている時は、民衆に血の興奮、歪んだ優越感を提供しているのだと漠然と考えていたが、前途ある若者に希望を与えているとは露ほども思っていなかった。復讐が全てだったラギスの胸に、彼は涼風を吹きこんでくれた一人だ。
顔を拭きながら部屋に戻ろうとするラギスの背に、騎士の一人が声をかけた。
「ラギス! よかったら、一緒に風呂にいかないか?」
呼び止めた男の顔を見て、ラギスは肩から力を抜いた。
「オルフェ」
貴族階級の騎士で、多少気取ったところはあるが、陽気な
最初はお互いに興味なかったのだが、練兵場でラギスがシェスラと手合わせをする姿を見て以来、ラギスの剣の腕前に感心したらしく、彼の方から声をかけてくるようになった。
「せっかくだが、風呂は苦手なんだ」
ラギスが首を振って答えると、オルフェは目を丸くした。
「風呂が苦手とは、狼生における大きな損失だよ! 今から、ドミナス・アロで評判の大衆浴場にいくんだ。君もいこう」
オルフェは満面の笑みでいった。
峰と湖畔に囲まれた
それにしても、オルフェは周囲の視線など、気にも留めていないらしい。氷のようなヴィシャスとのやりとりを見たあとで、怯まずに声をかけてくる者は、ロキのほかには彼くらいなものだ。
「わざわざ遠くにいかなくても、宿舎に共同風呂があるじゃないか」
ラギスがもっともなことを口にすると、オルフェは不満そうな顔をした。
「湯は頻繁に入れ替えられているが、常に誰かしら入るだろう? 練習を終えた男共の入ったあとは、なんだか油が浮いている気がして嫌なんだよ」
「じゃ、入るなよ」
ラギスは微妙な顔つきでいった。
「その選択肢はありえないよ。全身汗みずくなんだ。さっぱりしたいじゃないか」
「頭から水をかけりゃ十分だ。すぐ済むし、湯に浸かるよりさっぱりするぜ」
「それは風呂に対する
オルフェはかなり乗り気だ。
「俺はやめておくよ。あんたは楽しんできてくれ」
「どうしていかないんだい?」
「風呂は好きでもないし、俺がいくと、あんたに迷惑がかかる」
「遠慮をするな。僕の
オルフェの言葉に、ラギスは興味を引かれた。
「
「入るよ。二人共、風呂が好きなんだ」
「へぇ……」
体質的にも共同風呂は無理だと思っていたが、オルフェの
市民権なら得ているし、騎士団に入ってからは、休憩中であれば自由に行動することも認められるようになった。
「……近いのか?」
「歩いていける」
オルフェは期待の籠った目で即答した。
「ふぅむ……いってみるか」
ラギスが
「ラギス様! いけません」
「
「先ほどのヴィシャス様のご忠告をお忘れですか?」
ラギスは顔をしかめた。
「あいつは俺のやることなすこと気に食わないだけだ。ジリアンも休憩にしていいぞ」
ジリアンはむっとしたようにラギスを見た。
「お供いたします!」
少年は決意をこめて告げたが、ラギスは複雑な心境で押し黙った。
この時代の大衆浴場は、男女の社交の場でもあり、大抵は二階に寝泊まりできる宿が併設されている。この人形のように美しい少年を、大衆浴場に連れていくのはまずくないだろうか?
「お前は留守番してろ」
「なぜですか!」
ジリアンは目を吊りあげていった。
「前から思っていたが、君の従卒は美しいな」
オルフェは感心したようにいった。その言葉に疚しさは欠片もなかったが、ラギスは顔をしかめた。皆が、オルフェのように善良であるとは限らない。なかには、彼の裸身を見て欲望を抱く輩がいるかもしれない。
「ジリアン、やっぱりお前はくるな」
「なぜです? 私はラギス様の従卒ですのに」
「しばらく休憩時間だ。好きなことをしていていい」
「ならば、ラギス様についていきます!」
譲る気配はなさそうである。
主従の攻防を見て、オルフェは小さく噴きだした。
「慕われているんだな」
どう答えたものか悩み、ラギスは沈黙で答えた。ちょうど近くをロキが通り、オルフェは彼にも声をかけた。
「これから大衆浴場にいくんだ。ロキも一緒にいかないか?」
ロキは先ずオルフェを見て、それからラギスを見て、咎めるような眼差しで再びオルフェを見た。
「おい、そいつは盗賊のような外貌をしていても、大王様の
「なぁに、皆でいけば平気さ。心配なら、君も一緒にくればいい」
ロキは複雑な顔でオルフェとラギスの顔を見比べた。
オルフェは全員の顔を見渡して、決まりだ。満足そうに笑っていった。