月狼聖杯記

5章:閃く紋章旗 - 10 -

 休憩所は立派な造りをしていた。
 天井は遥かに高く、空調が旋回している。壁には曲線を描く硝子窓が整然と並び、自然光がさんと部屋に射しこんでいた。
 全てが洗練された雰囲気で、札遊びに興じている者や、弦楽を奏でている者もいる。野卑た馬鹿騒ぎをしている者は一人もいない。
「落ち着かねぇ……」
 ラギスの独りごとのような呟きに、アレクセイは耳を欹てた。
「すぐに慣れますよ」
「そうは思えん。俺にはあわなそうだな」
「遠慮することはありませんよ、貴方は我が大王きみの聖杯なのですから」
「聖杯って呼ぶのはやめてくれ」
 ぼやきながら、周囲を見回す。広間にいる騎士達は、うかがうようにこちらを見ている。
 奥の豪奢な丸卓には、ヴィシャス、ラファエル、ルシアンが寛いでいた。ラギスは一瞬ぎくりとした。脳裏に、半裸で絡みあう彼等の姿が閃いたのだ。
 二人に気がついたラファエルは気さくに手をあげた。その傍らで、ヴィシャスは眉間に皺を寄せ、怪訝そうにラギスを睨んでいる。
「なぜここにいる?」
 ヴィシャスの言葉に、ラギスは顔をしかめた。
「連れてこられたんだよ」
 喧嘩腰で応じるラギスを、まぁまぁ、とラファエルは宥めた。
「僕が連れてきてってお願いしたんだよ。きてくれてありがとう、ラギス」
 ラファエルは、にっこりと笑みを浮かべた。甘い顔立ちをした、独特の雰囲気を持つ青年だ。ジリアンと大して年の変わらない、少年のようにも見える。
「喉は乾いていない?」
 そういって彼は、給仕を呼びつけ、杯をもってこさせた。優美なそれをラギスの前に置く。
「酒か?」
「ううん。酒ではないけれど、味は保証するよ。飲んでみて」
 半信半疑で口をつけてみて、その爽やかな甘さにラギスは目を瞠った。
「美味いな」
「でしょう? 発酵させたハーブの炭酸水を、赤葡萄の果汁で割ってあるんだよ」
「へぇ」
「アレクセイと狩にでかけたんでしょう? どうだった?」
 ラファエルに訊かれて、ラギスは少し笑った。
「おう。いい腕をしてるな。しぎを一発で仕留めていたぜ」
 今朝の件で、ラギスはアレクセイを見直していた。穏やかな気質は元から好ましく感じていたが、森や狩の知識もさることながら、弓の腕前は大したものだ。
 ラギスの瞳に賞賛の輝きを見て、ラファエルはにっこりした。アレクセイの肩をぽんと叩く。
「こう見えてアレクセイは、白舞の弓の称号を持つ大陸でも屈指の弓使いなんだよ」
「白舞の弓?」
「そう。大陸全土から、数百人もの弓自慢を集めて、弓の腕前を競い、上位三人が“白舞の弓”の称号を冠するの」
「あんたは、その三人のうちの一人なのか?」
 ラギスが感心の目をアレクセイに向けると、彼は気恥ずかしそうにほほえんだ。
「ほーぅ!」
 ラギスは感嘆の声をあげた。ラファエルは更に続ける。
「白舞の弓は、的から千歩も離れた処から、十射中何射命中するかを競うんだ。去年の大会では、十射中十射当てたのはアレクセイだけだったんだよ」
「全部命中させたのか! すごいな。なら、戦場にもいくのか?」
 ラギスが問うと、アレクセイは少し不思議そうな顔で頷いた。
「もちろん、我等は大王様の藩屏はんぺいですから。我が大王きみのいくところなら、どこへでもお供いたします」
 ラギスは感心したように頷いた。あまりにも彼等の見目が麗しいので、腕が立つと評判は聞いていても、実は観賞用に侍らせているのではないかと疑っていたのだ。
「王が先陣を切って駆ける時は、僕達も最前線で闘うけど、後衛にいる時でもアレクセイは大活躍だよ。戦場で、もう百人以上の将の頭を射抜いているよ」
 ラファエルの言葉に、ラギスは改めてアレクセイを見た。穏やかな青年は少し照れているようだ。笑っているラファエルを見て、ラギスは訊ねた。
「あんたも戦えるのか?」
 ラファエルはにやっと笑った。
「試してみる?」
「本気か?」
「これでも隊長を張っているんだけどなぁ」
 拗ねるラファエルを見て、ヴィシャスは愉快そうに口角をあげた。ラギスは少し驚いた。無表情か、眉を吊りあげている表情しか見たことがなかったが、仲間の前では、そのように寛いだ表情も見せるらしい。
「四人のなかでは、誰が一番強いんだ?」
 なにげないラギスの問いに、どうだろうね? というように四人は顔を見あわせた。
「なんだ、手あわせしたことないのか?」
「もちろん、稽古は毎日しているけど、お互い得意とする武器も戦法も全然違うからなぁ」
 ラファエルの答えに、ラギスは頷いた。
「全員、剣を使うわけでもないんだな」
「剣技は基本だけど、得意とする武器は違うよ。アレクセイは弓、ヴィシャスは剣、僕は暗器が得意。あ、毒も扱うよ。ルシアンは槍遣い」
「へぇ……近衛って、顔で選ばれたわけでもないんだな」
 無遠慮なラギスの言葉に、ヴィシャスは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。嘲るような目でラギスを見る。
「当たり前だろう。我等は、いかなる敵からも大王様を守るために在るのだ。器量だけではどうにもならん」
「気にさわったなら謝る。お前ら、ちょっと目立つからな。つい顔に目がいくんだ」
 ラギスが素直に謝ると、ラファエルはほほえんだ。
「平気だよ~、いわれ慣れているし、注目を浴びるのも日常茶飯事だから。そういうラギスの方こそ大丈夫?」
「俺?」
「この間も、うちの騎士に絡まれていたよね。制裁はしておいたけれど、もう大丈夫?」
 全員の視線がラギスに集まり、ラギスは少し怯んだ。
「別に、どうってことねぇよ。俺もからまれるのはしょっちゅうだしな」
「気をつけてね、ラギスは王の聖杯だから、僕達よりもずっと注目を浴びているはずだよ」
「売られた喧嘩は、遠慮なく買うぞ」
 ラギスが昂然といい放つと、ラファエルは苦笑いを浮かべた。
「まぁ、貴方が並みの月狼でなくて良かったよ。襲われても返り討ちにできるものね」
「先日は下の者が不敬を働き、申し訳ありませんでした。今後はないよう、厳しく躾けておきましたが、何かありましたらいつでも私達に声をかけてくださいね」
 アレクセイの口調は穏やだが、躾、という言葉に不穏な匂いを嗅ぎ取り、ラギスは慄いた。なんとなく、彼だけは怒らせてはいけない気がする。
「……おう。まぁ、自分のことは自分でやれるから、放っておいてくれ」
 ラギスがいうと、ヴィシャスは怖い顔をした。
「驕るなよ、聖杯。お前は、気品も教養も軍規も解さぬ新参の傭兵と同じだ。少しは序列を重んじろ」
 棘のある無遠慮な言葉に、ラギスは目を眇めた。
 険悪な空気が漂う。まぁまぁ、とラファエルはとりなすようにいった。
「ヴィシャスは口が悪いけど、頑固で生真面目なだけだからね。要は、困ったことがあれば、いつでも俺達を頼れって、いいたいんだよ」
「おい。そんなことは一言もいっていないし、援護にもなってないぞ」
 文句をいうヴィシャスに、ラファエルは片目を瞑ってみせる。怜悧な容貌の青年騎士のこめかみに青筋が走るのを見て、ラギスはつい噴きだした。
「ははっ」
 声をあげて笑ったあとで、全員の視線がこちらを向いていることに気がついた。
「……どうした?」
 訝しむラギスを、ラファエルは目を丸くして見ている。
「笑った顔、初めて見た」
「そうか?」
「そうだよ! ラギス、笑うと素敵だね!」
「……そりゃ、どうも」
 珍しく引き気味に仰け反るラギスに、ラファエルはぐいぐい迫る。
「こう、普段笑わない人が笑った時の破壊力って、凄まじいよね」
「……俺は普通に笑うぞ。それをいうなら、ヴィシャスやルシアンの笑った顔こそ見たことがないな」
 特にルシアンに至っては、喋っている声すら聞いたことがない。
「貴様の前で笑わないだけだ」
 ヴィシャスの相変わらずの尊大発言は無視して、ラギスはルシアンを見た。
「ルシアンは無口なんだな」
 ルシアンは翡翠の瞳を和らげ、かすかな微笑を浮かべた。
「すみません、あまり喋る方ではありませんが、会話は聞いていますから。仲良くしてください」
 男でも、思わず赤面しそうになる美声でルシアンはいった。柔らかな口調と、その言葉の内容も意外なものだ。
「……おう」
 自分がなぜ照れているのかも判らぬまま、ラギスはぎこちなく頷いた。
「ルシアン、王の聖杯を誘惑したら駄目だよ」
 ラファエルの言葉に、ラギスはぎょっとした。
「なんで俺が誘惑されるんだ」
 呆れたような視線を送るヴィシャスを威嚇するように睨み返し、ラギスは席を立った。
「さて、俺はそろそろ戻る。馳走になった」
「送ります」
 席を立つアレクセイを見て、ラギスは戸惑った。
「いらねぇよ、たぶん外でジリアンも待ってるから」
「そうですか?」
「おう……じゃ、また」
 軽く手をあげると、ヴィシャス以外の三人が手をあげて応えた。ラファエルがヴィシャスの手を掴んで無理やりあげさせようとして、揉めている。
 彼等のやりとりを背中に聞きながら、ラギスは自分でも知らぬうちにほほえんでいた。いつの間にか、彼等に対する苦手意識は大分薄れていた。