月狼聖杯記
4章:月光の微笑 - 7 -
時々、シェスラは練兵場を訪れるようになった。
ラギスを見つけると、大抵は少し見学していく。時間のある時は、自ら剣の相手になった。
シェスラがいるだけで見物人が群がるが、今日は彼の計らいで人払いされている。二人は歓声に気を削がれることなく、剣に集中していた。
十七年間、闘技場に立ち続けてきた経験から、ラギスは己の剣技に絶対的な自信があった。だが、シェスラには敵わない。
「くそッ」
悔しがるラギスを見て、シェスラはいった。
「そなたは確かに強い。だが、我流の域をでていない。私から見れば、まだまだ動きに無駄が多い」
「何だと?」
睨みあげるラギスを見下ろして、 「そなたは、殺気を読む才能に長けている。研ぎ澄まされているといってもいい。剣闘士を続けてきた成果に違いないが、闘技場の外では話が別だ」
シェスラは淡々といった。
「喧嘩を売っているなら、買うぞ」
「軽んじているのではない。十七年を生き抜いた実力を疑う余地は微塵もない。ただ、殺気をださぬ相手には、そなたの剣は通用しないということだ」
ラギスは肩眉をあげてみせた。疑問を読んだように、シェスラは口角をあげてみせる。
「私はこれでも、そなたにあわせているのだ。その気になれば覇気を気取らせずに闘える」
「ふん。殺しあいをしている時に、殺気をださない奴がいるかよ」
「難しいが不可能ではない。熟練者は、抑えることに長けている」
「……」
ラギスは、刺客に不意を突かれた時のことを思いだして沈黙した。あの時も、殺気を気取れずに反応が遅れたのだ。
「世界は広い。アルトニア人は特に、殺しあいをしている時ですら、精密な数学的思考で動く」
「水霊族と戦ったことがあるのか?」
「ある。氷のような一族だ。今のそなたには、荷が重いであろうな」
「……お前は、水霊族を相手にどう戦うんだ」
「殺気を気取ることも大切だが、それ以上に霊感を得ることが必要だ」
「……霊感だと?」
「いかにも。相手を知り、剣の型を知り、戦術を知り、状況判断から闘う力だ」
「面倒くせぇ」
「順序立てて学べば、確実に腕はあがるだろう。個人の努力はもちろん必要だが、師事して得るものは大きいぞ」
「俺は独りでやれる」
ラギスが悪態をつくと、シェスラは肩をすくめてみせた。
「無理にとはいわん。気が向いたら、インディゴにいえ。騎士団をまとめている男だ」
「ふん」
「私も彼に剣を教わった」
興味を引かれて、ラギスはシェスラを盗み見た。
彼は、無造作に髪を後ろへ払っている。薄暮のなかでも、白銀の髪は煌いて美しかった。
目が遭うと、見惚れていたことを誤魔化すように、ラギスは口を開いた。
「双剣は、その男が教えたのか」
「そうだ。盾を扱うのを私が嫌ったせいもあるが、早い段階で、剣の型は定まっていた」
「へぇ……」
シェスラは双剣を構えると、足で弧を描き、ゆったりとした動作で剣の型を披露した。
「双剣は盾に代わる。このように……刃を受け流しながら、相手の間合いに最短で飛びこめる」
流れるような剣の動きに、ラギスの視線は釘づけになった。
これほど美しい剣を他に知らない。
以前にも思ったことだが、この男の剣術は、格調高い舞のようだ。
人々に愛され、崇められるのも頷ける。
時に耐えがたいほど傲慢で、冷酷であると知っていても、惹かれられずにはいられない。彼の一挙一動、かぐわしい匂い、深みのある声……全てに引き寄せられる。
絶対的な月狼の王 。聖杯であること関係なしに魅了されてしまう。
(シェスラ……)
見ているだけで、胸が苦しくなる。
復讐を誓った者として失格なのかもしれないが、この男の舞を永久に見ていたかった。
風が止んだ。
シェスラは剣を鞘に納めると、夢から醒めたような顔をしているラギスの前に立ち、唐突に腰に腕を回してきた。
「ッ、おい」
「少し、抱きしめさせてくれ」
「はっ!?」
盛大に狼狽えるラギスを腕のなかに封じて、シェスラは自分よりも高い位置にある肩に顔をうずめた。
「……明日から、一月ばかり城を空ける。こうしてそなたに触れらるのは、今日が最後だ」
「……」
「ラギス……」
少し掠れた声に、どっと心臓が高鳴った。
ラギスは、空いた腕をどうすべきか判断に迷った。迷うこと自体がおかしいのだが、咄嗟に突き飛ばすことができなかった。
シェスラは顔をあげて、ラギスを仰ぎ見た。
仄かに上気した顔は、ぞくっとするほど艶めいていて、ラギスの思考を麻痺させる。
一秒が、永遠のように感じられた。
うなじの後ろを掌で押されて、顔を引き寄せられる――吐息が唇に触れたところで、我に返った。
ラギスはシェスラの肩を両手で掴んで引き離すと、恐れるように後じさった。
無言で見つめあう。
シェスラは強い視線のままに、空いた距離を詰めた。腕を掴んでラギスの腰を引き寄せ、唇を重ねあわせた。
ラギスが戸惑いつつ腰に手をそえると、シェスラは黒髪に手を差し入れ頭をしっかり押さえながら、烈しく唇を貪り始めた。
「んッ……」
魂を揺さぶられるような口づけに、息が続かない。シェスラは歯の間に舌を差しこみ、うめきともつかぬ吐息を飲みこむ。
心臓が破裂しそうなほど脈打っている。
これ以上はもう耐えられない――限界を超えたところで、ラギスは強引に顔をもぎ離した。
互いに息があがっていた。
シェスラの瞳には、荒々しい、焔のような情欲が宿っている。
「そなたが欲しい」
その真剣な口調に、ラギスはたじろいだ。
「……無理に抱かないといっただろ」
シェスラは一瞬、自分で課した制約を呪いたくなった。愁眉を寄せてぐっと拳を握りしめる。
「……無論、覚えている。無理強いはしない。だが忘れるな。私が今引くのは、そなたを真に求めているからだ」
焦げつくような欲望の眼差しに、ラギスの躰に震えが走る。
いいかえせないラギスの顔を数秒眺めてから、シェスラは背を向けた。白銀の髪と同じ色の尾が、苛立しげに、一度だけ左右に振れる。
凛とした後ろ姿を見送りながら、ラギスは苦い想いを味わっていた。
本当は、同じだけの欲望を感じていた。
彼が欲しかった。
だが、受け入れるわけにはいかないのだ。
十七年前の復讐の誓いがある限り、王に膝を折ることはできないのだから――
ラギスを見つけると、大抵は少し見学していく。時間のある時は、自ら剣の相手になった。
シェスラがいるだけで見物人が群がるが、今日は彼の計らいで人払いされている。二人は歓声に気を削がれることなく、剣に集中していた。
十七年間、闘技場に立ち続けてきた経験から、ラギスは己の剣技に絶対的な自信があった。だが、シェスラには敵わない。
「くそッ」
悔しがるラギスを見て、シェスラはいった。
「そなたは確かに強い。だが、我流の域をでていない。私から見れば、まだまだ動きに無駄が多い」
「何だと?」
睨みあげるラギスを見下ろして、 「そなたは、殺気を読む才能に長けている。研ぎ澄まされているといってもいい。剣闘士を続けてきた成果に違いないが、闘技場の外では話が別だ」
シェスラは淡々といった。
「喧嘩を売っているなら、買うぞ」
「軽んじているのではない。十七年を生き抜いた実力を疑う余地は微塵もない。ただ、殺気をださぬ相手には、そなたの剣は通用しないということだ」
ラギスは肩眉をあげてみせた。疑問を読んだように、シェスラは口角をあげてみせる。
「私はこれでも、そなたにあわせているのだ。その気になれば覇気を気取らせずに闘える」
「ふん。殺しあいをしている時に、殺気をださない奴がいるかよ」
「難しいが不可能ではない。熟練者は、抑えることに長けている」
「……」
ラギスは、刺客に不意を突かれた時のことを思いだして沈黙した。あの時も、殺気を気取れずに反応が遅れたのだ。
「世界は広い。アルトニア人は特に、殺しあいをしている時ですら、精密な数学的思考で動く」
「水霊族と戦ったことがあるのか?」
「ある。氷のような一族だ。今のそなたには、荷が重いであろうな」
「……お前は、水霊族を相手にどう戦うんだ」
「殺気を気取ることも大切だが、それ以上に霊感を得ることが必要だ」
「……霊感だと?」
「いかにも。相手を知り、剣の型を知り、戦術を知り、状況判断から闘う力だ」
「面倒くせぇ」
「順序立てて学べば、確実に腕はあがるだろう。個人の努力はもちろん必要だが、師事して得るものは大きいぞ」
「俺は独りでやれる」
ラギスが悪態をつくと、シェスラは肩をすくめてみせた。
「無理にとはいわん。気が向いたら、インディゴにいえ。騎士団をまとめている男だ」
「ふん」
「私も彼に剣を教わった」
興味を引かれて、ラギスはシェスラを盗み見た。
彼は、無造作に髪を後ろへ払っている。薄暮のなかでも、白銀の髪は煌いて美しかった。
目が遭うと、見惚れていたことを誤魔化すように、ラギスは口を開いた。
「双剣は、その男が教えたのか」
「そうだ。盾を扱うのを私が嫌ったせいもあるが、早い段階で、剣の型は定まっていた」
「へぇ……」
シェスラは双剣を構えると、足で弧を描き、ゆったりとした動作で剣の型を披露した。
「双剣は盾に代わる。このように……刃を受け流しながら、相手の間合いに最短で飛びこめる」
流れるような剣の動きに、ラギスの視線は釘づけになった。
これほど美しい剣を他に知らない。
以前にも思ったことだが、この男の剣術は、格調高い舞のようだ。
人々に愛され、崇められるのも頷ける。
時に耐えがたいほど傲慢で、冷酷であると知っていても、惹かれられずにはいられない。彼の一挙一動、かぐわしい匂い、深みのある声……全てに引き寄せられる。
絶対的な
(シェスラ……)
見ているだけで、胸が苦しくなる。
復讐を誓った者として失格なのかもしれないが、この男の舞を永久に見ていたかった。
風が止んだ。
シェスラは剣を鞘に納めると、夢から醒めたような顔をしているラギスの前に立ち、唐突に腰に腕を回してきた。
「ッ、おい」
「少し、抱きしめさせてくれ」
「はっ!?」
盛大に狼狽えるラギスを腕のなかに封じて、シェスラは自分よりも高い位置にある肩に顔をうずめた。
「……明日から、一月ばかり城を空ける。こうしてそなたに触れらるのは、今日が最後だ」
「……」
「ラギス……」
少し掠れた声に、どっと心臓が高鳴った。
ラギスは、空いた腕をどうすべきか判断に迷った。迷うこと自体がおかしいのだが、咄嗟に突き飛ばすことができなかった。
シェスラは顔をあげて、ラギスを仰ぎ見た。
仄かに上気した顔は、ぞくっとするほど艶めいていて、ラギスの思考を麻痺させる。
一秒が、永遠のように感じられた。
うなじの後ろを掌で押されて、顔を引き寄せられる――吐息が唇に触れたところで、我に返った。
ラギスはシェスラの肩を両手で掴んで引き離すと、恐れるように後じさった。
無言で見つめあう。
シェスラは強い視線のままに、空いた距離を詰めた。腕を掴んでラギスの腰を引き寄せ、唇を重ねあわせた。
ラギスが戸惑いつつ腰に手をそえると、シェスラは黒髪に手を差し入れ頭をしっかり押さえながら、烈しく唇を貪り始めた。
「んッ……」
魂を揺さぶられるような口づけに、息が続かない。シェスラは歯の間に舌を差しこみ、うめきともつかぬ吐息を飲みこむ。
心臓が破裂しそうなほど脈打っている。
これ以上はもう耐えられない――限界を超えたところで、ラギスは強引に顔をもぎ離した。
互いに息があがっていた。
シェスラの瞳には、荒々しい、焔のような情欲が宿っている。
「そなたが欲しい」
その真剣な口調に、ラギスはたじろいだ。
「……無理に抱かないといっただろ」
シェスラは一瞬、自分で課した制約を呪いたくなった。愁眉を寄せてぐっと拳を握りしめる。
「……無論、覚えている。無理強いはしない。だが忘れるな。私が今引くのは、そなたを真に求めているからだ」
焦げつくような欲望の眼差しに、ラギスの躰に震えが走る。
いいかえせないラギスの顔を数秒眺めてから、シェスラは背を向けた。白銀の髪と同じ色の尾が、苛立しげに、一度だけ左右に振れる。
凛とした後ろ姿を見送りながら、ラギスは苦い想いを味わっていた。
本当は、同じだけの欲望を感じていた。
彼が欲しかった。
だが、受け入れるわけにはいかないのだ。
十七年前の復讐の誓いがある限り、王に膝を折ることはできないのだから――