月狼聖杯記
1章:王と剣闘士 - 5 -
ラギスは、いつになく丁寧に治療を受けた。
普段なら共用の水場で適当に汚れを落として終わりだが、この日は傷口を消毒し、高価な膏薬 まで塗られた。
そのあと、奴隷宿舎には戻らず、王家の紋章の入った馬車に乗せられた。
降りた先は、巨大な不沈城 で、その威容に暫し茫然となった。
驚きを隠せないラギスを見て、つき添っている近衛騎士のアレクセイは、穏やかな笑みを浮かべていた。彼はラギスに対しても紳士的な人柄を崩さず、城内について説明しながら、石柱の廊下をラギスと並んで歩いた。
だが、壮麗な大浴場の前で彼と別れたあと、状況は一変した。
とんでもない屈辱が待っていた。
ずらりと並んだ召使達に、よってたかって血濡れの衣服を剥ぎ取られ、首から下げた小袋までも弊履 のごとく奪われた。
暴れるラギスの首と手首と足首に、鉄の枷がつけられた。
「離しやがれッ」
空気が震えるような大音量で怒鳴りちらしたが、召使達も必死の顔つきでラギスを押さえつける。
瀝青 を含んだ炭酸水の下剤を飲まされ、腸を強制的に空にされ、家畜のように後孔 を洗浄された。
召使達は、牛皮を表面に張った男根の型に、香油に胡椒 、蕁麻 などの媚薬を塗りたくってから、ラギスの硬く閉じた後蕾 に沈めた。
「やめろォッ!!」
こめかみに青筋を浮かべて嚇怒 したが、四肢を戒められ、獣化はおろか、まともに動くことすらできなかった。
しかも、口と尻から飲まされた媚薬のせいで、思考は朦朧としている。
碌に抵抗もできず、召使に傅 かれ、いい香りのする糠袋 で全身を磨きあげられた。
背中を垢すりで擦られると、ぼろぼろと長年蓄積された汚れが剥がれ落ちた。
何年もまともに鋏 を入れてなかった髪も整えられ、髭も綺麗に剃られた。陰毛まで整えられ、爪も鑢 で磨かれた。
お目にかかったこともない、上等な絹の薄い衣装を着せられ、ラギスはようやく浴室をでることができた。
媚薬でふらつく身体を、左右に立つ召使に支えられて、強制的に歩かされる。
腸内洗浄と媚薬に見舞われ、全身大改造という一大事業を経ているラギスには、暴れる気力が残っていなかった。おまけに、尻には異物がめりこんでいる。
連れていかれたのは、呪 い部屋だった。
真鍮の燭台に灯された焔が、呪 部屋を妖しくも神秘的に照らしている。
水晶球の置かれた丸い卓の前に、黒装束の老女が座っていた。彼女の左右には、双子と思わしき同じ顔をした美しい二人の少年がいる。
女は、老いてなお美しい顔をしていた。
婀娜 っぽく煙管 の煙草をくゆらせながら、殆ど白に近い瞳でラギスの顔じっと見つめる。煙管を煙草皿に置くと、けだるげに唇を開いた。
「私は王に仕える占い師、アミラダという」
「占い師?」
散々喚き散らしたあとなので、ラギスの声は少し嗄 れていた。
いわれてみると、壁面には幾何学模様の絨毯や、鏡板、蛇腹 が飾られており、見慣れぬ呪具が処狭しと並べられていた。
(……ちきしょう、頭が朦朧としやがる)
平常時でも異次元空間のように感じたろうが、今は特に妖しく見える。座っているはずなのに、部屋が動いているように感じるのだ。
「ようやく視えたよ、聖杯。強い光だ。魂の穢れが落ちれば、更に輝くだろう」
アミラダの声に、不快感を堪えていたラギスはそっと目を開けた。
「……聖、杯?」
「然 り。お主は王 の為の器 、特別な聖杯だよ」
「は」
訳が判らなかった。
「王は、聖杯を望んでおられる」
「聖杯、俺のことか?」
「そうだ。お主もまた、王を選んだ」
「何だと?」
「王と対峙した時、妙 なる香気を感じなかったか?」
「!」
驚きに目を瞠るラギスを見て、アミラダは確信しているかのような口ぶりで続ける。
「お主の抱えている復讐の焔は、毒のように魂を蝕み、長く聖杯の覚醒を妨げてきた。だが、番 に出会い、僅かながら綻んだようだ」
「番 ?」
「そうだ」
「ありえないだろ」
「事実だ」
「ふざけるなッ!」
激昂するラギスの鎖を、二人の少年は引っ張った。華奢な外見を裏切る凄まじい力だ。
「ぐっ」
「これ、手荒にするでない。加減に気をつけよ、大切な王の聖杯なのだから」
はい、アミラダ様。二人の少年は、寸分違わずに唱和で答えた。
「冗談だろう? 俺が聖杯のわけがあるか!」
強い雄、或いは雌の番 は器と呼ばれる。中でも群れの頂点、王の選ぶ器を聖杯と呼び、その数は王に匹敵するほど稀 だ。
「いいや、間違いない。お主は、王の寝所に呼ばれておる」
「!?」
アミラダはじっとラギスの瞳を覗きこんだ。
「発情を兆 しているな。王に抱かれれば、覚醒するだろう」
「抱かれる? ……俺が??」
「然 り。今夜から七日間、そなたの身体は王を求めて烈しく疼くだろう」
言語を絶する恐ろしい予言に、ラギスは愕然となった。
「王が、この俺を抱くというのか?」
「そうだ」
「……冗談だろう?」
「いいや」
「信じられるかッ」
掴みかかろうとするラギスを、少年は再び引っ張った。巨躯のラギスを御する力は、生身の少年がだせるものではない。
訝しげに、己の手の震えを見つめるラギスに、案ずるな、とアミラダは声をかけた。
「毒の類ではない」
香炉から漂う甘い香り……諸悪の原因を睨みつけるが、四肢から力が失われていく。
「くそ、睡眠香か?」
「閨で使われる媚香だよ。お主のように気性の荒い聖杯には、これが役に立つ」
「媚香!? 俺は奴隷剣闘士だぞ」
「過去は重要ではない。それに王に召しあげられたのだから、もう奴隷剣闘士でもない」
唸り声をあげるラギスを、少年たちが上から押さえつける。それでもなお、床を這って逃げようとするするラギスの鎖を、アミラダは見えぬ力で引っ張った。
「ぐぁ」
「覚醒はいつの代も混乱を伴うが、そなたは重症だな。心身が解れるよう、もう少しここに留まるが良い」
「番 なんて冗談じゃない。俺は、あいつにッ……」
怒りで目が眩みそうだった。
故郷を焼き、家族を殺し、奴隷剣闘士に貶めた諸悪たる王族に、この身をも捧げろというのか。
怨嗟を撒き散らすラギスを見て、アミラダは淡々とこういった。
「……お主のように逞しい男はどうかと思うたが、王は気に入るかもしれん。強い子を期待できそうだ」
「ッ!?」
ラギスは絶句した。
この世に慈悲はないのか――奈落に堕ちていくような負の連鎖は、もはや奇跡としかいいようがない。
「これはお主のものか?」
アミラダの取りだした小袋を見て、ラギスは目を瞠った。
「取り返そうと必死だった、よほど大切なものなのだろうと召使が届けたのだ」
「返せ! 俺のだ」
「少し待て。紐も袋も破れているから、直しておいてやろう。中身が無事なら構わないだろう?」
確かに、紐は今にも千切れそうで、袋もぼろぼろになっている。以前から、どうにかしたいとは思っていた。
黙考するラギスを見て、アミラダは了解と受け取り、祈祷を諳んじ始めた。
滔々と流れる韻律を耳にしていると、催眠にかけられたように頭が朦朧としてくる。
「聖杯を畏れるな、深淵に触れて、魂を開け」
ラギスは口を開くのも億劫で、瞼を開けているのがやっとの状態だった。
「王のもとへ連れておいき」
アミラダが命じると、魔性の少年達は恭しく頭を下げた。ラギスの身体を左右から支えて部屋の外へ連れだす。
(逃げないと)
頭に警鐘が鳴り響くが、躰がいうことを聞かない。
朦朧としているうちに、絵巻物に登場するような、豪奢な寝室に連れていかれた。
最高級の調度を設 えた部屋の奥には、月狼が二三体横になれるほど大きな寝台が鎮座している。
天蓋のついた寝台の縁は、金、銀、紅玉、碧玉が象嵌 され、やわらかな毛織の敷布と深紅の豪華な上掛けが、革と黄金の留具で固定されている。
まさしく王の為の寝台だ。
そこへ近づくのは心底嫌だったが、魔性の少年達は容赦なくラギスを引きずっていく。
逃げなければいけないのに、強烈な睡魔が襲ってくる。
意識が沈む。
はっと瞼をこじ開けた時には、ラギスは褥 に寝転がっており、両手首に枷をつけられ、首輪の鎖は天蓋に固定されていた。
普段なら共用の水場で適当に汚れを落として終わりだが、この日は傷口を消毒し、高価な
そのあと、奴隷宿舎には戻らず、王家の紋章の入った馬車に乗せられた。
降りた先は、巨大な
驚きを隠せないラギスを見て、つき添っている近衛騎士のアレクセイは、穏やかな笑みを浮かべていた。彼はラギスに対しても紳士的な人柄を崩さず、城内について説明しながら、石柱の廊下をラギスと並んで歩いた。
だが、壮麗な大浴場の前で彼と別れたあと、状況は一変した。
とんでもない屈辱が待っていた。
ずらりと並んだ召使達に、よってたかって血濡れの衣服を剥ぎ取られ、首から下げた小袋までも
暴れるラギスの首と手首と足首に、鉄の枷がつけられた。
「離しやがれッ」
空気が震えるような大音量で怒鳴りちらしたが、召使達も必死の顔つきでラギスを押さえつける。
召使達は、牛皮を表面に張った男根の型に、香油に
「やめろォッ!!」
こめかみに青筋を浮かべて
しかも、口と尻から飲まされた媚薬のせいで、思考は朦朧としている。
碌に抵抗もできず、召使に
背中を垢すりで擦られると、ぼろぼろと長年蓄積された汚れが剥がれ落ちた。
何年もまともに
お目にかかったこともない、上等な絹の薄い衣装を着せられ、ラギスはようやく浴室をでることができた。
媚薬でふらつく身体を、左右に立つ召使に支えられて、強制的に歩かされる。
腸内洗浄と媚薬に見舞われ、全身大改造という一大事業を経ているラギスには、暴れる気力が残っていなかった。おまけに、尻には異物がめりこんでいる。
連れていかれたのは、
真鍮の燭台に灯された焔が、
水晶球の置かれた丸い卓の前に、黒装束の老女が座っていた。彼女の左右には、双子と思わしき同じ顔をした美しい二人の少年がいる。
女は、老いてなお美しい顔をしていた。
「私は王に仕える占い師、アミラダという」
「占い師?」
散々喚き散らしたあとなので、ラギスの声は少し
いわれてみると、壁面には幾何学模様の絨毯や、鏡板、
(……ちきしょう、頭が朦朧としやがる)
平常時でも異次元空間のように感じたろうが、今は特に妖しく見える。座っているはずなのに、部屋が動いているように感じるのだ。
「ようやく視えたよ、聖杯。強い光だ。魂の穢れが落ちれば、更に輝くだろう」
アミラダの声に、不快感を堪えていたラギスはそっと目を開けた。
「……聖、杯?」
「
「は」
訳が判らなかった。
「王は、聖杯を望んでおられる」
「聖杯、俺のことか?」
「そうだ。お主もまた、王を選んだ」
「何だと?」
「王と対峙した時、
「!」
驚きに目を瞠るラギスを見て、アミラダは確信しているかのような口ぶりで続ける。
「お主の抱えている復讐の焔は、毒のように魂を蝕み、長く聖杯の覚醒を妨げてきた。だが、
「
「そうだ」
「ありえないだろ」
「事実だ」
「ふざけるなッ!」
激昂するラギスの鎖を、二人の少年は引っ張った。華奢な外見を裏切る凄まじい力だ。
「ぐっ」
「これ、手荒にするでない。加減に気をつけよ、大切な王の聖杯なのだから」
はい、アミラダ様。二人の少年は、寸分違わずに唱和で答えた。
「冗談だろう? 俺が聖杯のわけがあるか!」
強い雄、或いは雌の
「いいや、間違いない。お主は、王の寝所に呼ばれておる」
「!?」
アミラダはじっとラギスの瞳を覗きこんだ。
「発情を
「抱かれる? ……俺が??」
「
言語を絶する恐ろしい予言に、ラギスは愕然となった。
「王が、この俺を抱くというのか?」
「そうだ」
「……冗談だろう?」
「いいや」
「信じられるかッ」
掴みかかろうとするラギスを、少年は再び引っ張った。巨躯のラギスを御する力は、生身の少年がだせるものではない。
訝しげに、己の手の震えを見つめるラギスに、案ずるな、とアミラダは声をかけた。
「毒の類ではない」
香炉から漂う甘い香り……諸悪の原因を睨みつけるが、四肢から力が失われていく。
「くそ、睡眠香か?」
「閨で使われる媚香だよ。お主のように気性の荒い聖杯には、これが役に立つ」
「媚香!? 俺は奴隷剣闘士だぞ」
「過去は重要ではない。それに王に召しあげられたのだから、もう奴隷剣闘士でもない」
唸り声をあげるラギスを、少年たちが上から押さえつける。それでもなお、床を這って逃げようとするするラギスの鎖を、アミラダは見えぬ力で引っ張った。
「ぐぁ」
「覚醒はいつの代も混乱を伴うが、そなたは重症だな。心身が解れるよう、もう少しここに留まるが良い」
「
怒りで目が眩みそうだった。
故郷を焼き、家族を殺し、奴隷剣闘士に貶めた諸悪たる王族に、この身をも捧げろというのか。
怨嗟を撒き散らすラギスを見て、アミラダは淡々とこういった。
「……お主のように逞しい男はどうかと思うたが、王は気に入るかもしれん。強い子を期待できそうだ」
「ッ!?」
ラギスは絶句した。
この世に慈悲はないのか――奈落に堕ちていくような負の連鎖は、もはや奇跡としかいいようがない。
「これはお主のものか?」
アミラダの取りだした小袋を見て、ラギスは目を瞠った。
「取り返そうと必死だった、よほど大切なものなのだろうと召使が届けたのだ」
「返せ! 俺のだ」
「少し待て。紐も袋も破れているから、直しておいてやろう。中身が無事なら構わないだろう?」
確かに、紐は今にも千切れそうで、袋もぼろぼろになっている。以前から、どうにかしたいとは思っていた。
黙考するラギスを見て、アミラダは了解と受け取り、祈祷を諳んじ始めた。
滔々と流れる韻律を耳にしていると、催眠にかけられたように頭が朦朧としてくる。
「聖杯を畏れるな、深淵に触れて、魂を開け」
ラギスは口を開くのも億劫で、瞼を開けているのがやっとの状態だった。
「王のもとへ連れておいき」
アミラダが命じると、魔性の少年達は恭しく頭を下げた。ラギスの身体を左右から支えて部屋の外へ連れだす。
(逃げないと)
頭に警鐘が鳴り響くが、躰がいうことを聞かない。
朦朧としているうちに、絵巻物に登場するような、豪奢な寝室に連れていかれた。
最高級の調度を
天蓋のついた寝台の縁は、金、銀、紅玉、碧玉が
まさしく王の為の寝台だ。
そこへ近づくのは心底嫌だったが、魔性の少年達は容赦なくラギスを引きずっていく。
逃げなければいけないのに、強烈な睡魔が襲ってくる。
意識が沈む。
はっと瞼をこじ開けた時には、ラギスは