月狼聖杯記

12章:ラピニシア - 4 -

 六万を越えるアレッツィア軍は、前方をヴィヤノシュ率いる傭兵軍団に、後ろをシェスラ率いる騎士団に挟撃され、劣勢に追いこまれていった。
 そうはいっても六万。
 数で押し切れるのではと思うが、さすがはシェスラ直属の決勝部隊は士気高く、闘魂も素晴らしかった。
 前線で暴れるラギスやロキの黒狼隊も凄まじく、お飾り部隊とわらっていた傭兵部隊ですら、その剽悍無比ひょうかんむひの戦いぶりには、舌を巻く思いだった。
 奴隷剣闘士と侮っていたのに、勇猛果敢な胆力、剣技のめざましさはどうしたことか。
 これぞ月狼の戦い、ラギスは先頭で剛剣を振るい、敵の、手綱を握った指ごと、馬首を切断した。勢いよく鮮血が噴きあがる。
「ぎゃあぁぁッ!」
 迸らせる絶叫も、心の蔵を串刺しにされ、血の詰まった喉の奥でぷつりと途絶えた。
「怯むな! あの黒狼を殺せッ!!」
 アレッツィア兵の叫びに、血に餓えた金の眸がぎらりと光る。死に物狂いで襲いかかるかちの兵の首を、一閃で五つ、六つと烈風の如く吹き飛ばした。
 剛剣の前に、屈強な兵士がまるで木葉のように、次から次へと吹き飛ばされていく。破壊と死を撒き散らせる、まさしく阿修羅の奮戦だ。
 戦場の雪は、もはや白いところがないほどに赤く染まり、こときれた屍で埋め尽くされている。
 アレッツィアとセルトの両陣営はいまだ激しく刀槍を響かせているが、戦局はセルトに傾きつつあった。
 シェスラの策――挟撃きょうげきの構えが完成しつつあるのだ。
 副司令官のインディゴ、大王の四騎士であるアレクセイとヴィシャスは、王の双翼として前線を押しあげ、ルシアンは敵を挟みこむように北上軍と共に迫り、ラファエルは、陣の綻びを繕うように遊撃部隊として疾駆している。
 彼等は、いずれも最前衛で獅子奮迅ししふんじんの働きを披露していた。
 ラファエルは小柄な躰を活かして、敵陣を縦横無尽に疾駆し、弄ぶかのように攪乱かくらんした。
 彼は、何十本もの短剣を防具に仕込んでいる。胸の前で交差させた革ベルト、手首から肘にかけて、更に腕に巻きつけた革紐に左右で十本以上。それらを変幻自在に操り、弾丸よりも早く、敵の喉笛を引き裂いた。
 煽られた敵は彼を狙って射かけ、槍や剣で襲いかかるが、ラファエルは、避ける、避ける、避ける!
 馬上で宙がえりする曲芸まで披露し、銃撃すらも飛び越えてみせた。
「さすがはラファエル様!」
 味方から歓声がどよもした。
 その栗鼠りすのような身軽さを目の端にとらえ、さしものラギスも感嘆の声を漏らした。
 華やかな闘いぶりは、敵の目をひく。視線を集めてくれるので、ほかは動きやすく、不意打ちを突くことができた。
 初動が全て――シェスラの策は、殆ど成功したといっていい。
 距離を置くアレッツィアの陣形の意表を突き、見事に背後を捉え、問答無用、睨みあっての白兵戦に突入せしめたのである。
 敵も怒りの形相で襲いかかるが、遂には、敵の指揮官がアレクセイに射かけられた。
 磨きあげられた兜は、顔の殆どを覆っているが、眼球から脳幹を突き破ったのである。馬上で、金箔を張った鎧がぐらりと傾ぐ。
 次の瞬間、セルト陣営からは割れるような歓声が湧き起こった。
 将を失い、狼狽した敵は、どうにか統率しようとする命令も無視して敗走を始める始末だ。
 上陸しようとしていたアルトニア艦隊も、総帆して沖合にでていく。砲門は海岸を捉えているが、陣形が入り乱れているため、撃てばアレッツィア軍も巻き添えにしてしまう。威嚇射撃がせいぜいだった。
 アレッツィア軍の総大将、宗主オルドパは、茫然自失の態で、目の当たりにしている慄然りつぜんたる光景を眺め渡した。
 一体全体、どうしたことか――安全な防御陣地に構えていたはずが、突然に背後から、シェスラの率いる決勝部隊が、凄まじい勢いで肉薄してきているのだ。
まずいっ・・・・
 オルドパは唸った。暗い顔を灰のように蒼褪めさせ、活路を求めて、四方に視線を彷徨わせる。
 嗚呼、だが視界は絶望的だ。
 難関地形の利にあぐらをかくばかりに、背後の警戒をおろそかにしてしまった。今は全く前と後ろを挟まれて、包囲攻撃を受ける立場になってしまった。
 しかもこれは、ネロア防衛でシェスラがみせた奇策に酷似しているではないか!
(おのれセルトの若造め、この私が同じ轍を踏まされるとはッ!)
 煮え湯を飲まされる心地だが、まさかまさか、ネヴァールの難関山岳を登攀とうはんせしめるとは思ってもみなかった。あれは魔物の棲む霊峰ぞ!
「根拠地まで退却!」
 敗勢を挽回し難いと悟ったオルドパは、無念の指示をだすほかなかった。
 今ここでラピニシアに固執しては、全滅を免れない。アレッツィアまで引いて、立て直すしかない。
 無論、みすみす逃すシェスラではない。
「主力隊――進め! 時はきたり、一人残らずの殲滅だ! 地獄のてまで追っていこうぞッ!」
 大地をどよもす喊声かんせいが湧きおこる。
 手に手に剣を振りかざしながら、獰猛果敢な銀毛騎士団の月狼たちは、雪を蹴って追撃また追撃!
 相打つつるぎ、槍の閃き、死を賭した叫喚きょうかん、血飛沫、肉片飛び散る惨たる白兵戦は、濁流のごとく、ラピニシア平原を、南へ南へ移動していく。
 前に進めばヴィヤノシュの餌食、後退すればシェスラの決勝部隊。
 前後を挟まれたオルドパは、ほうほうの体で東に逃げようとするが、
「進め――進め!」
 シェスラは攻撃の手を緩めない。
「我ら同胞の血をすすった悪鬼、侵略者を一人たりとて逃がすな!」
「おぉぉッ」
 怒涛のごとく喊声が湧き起こる。
 シェスラの双剣が死の弧を描いて煌めくと、蒼い火花と、赤い閃光を散らした。
 神速剛剣は、真鍮の甲冑と骨と心臓とを貫き刺し、血と肉が重吹しぶいて、雪源に新たな沁みをつくる。
 双剣の刀先を誰も捉えることができなかった。
 シェスラは銀色の閃きとなり、単身で密集地帯を斬り開いた。
 史上最強と謳われる月狼の王アルファングは、総大将にありながら、決して後衛に構えることはしない。
 自ら特攻をつとめて、並ぶ者なき勇を示すのだ。
 敵も遮二無二襲いかかるが、シェスラのふるう剣にかかっては、死の舞踏に誘われるが如し、四肢が、首が、一閃のうちに吹き飛んだ。
 戦場で剣をふるうシェスラは、氷の焔のように壮麗で、魂を奪われそうなほど美しく、畏怖するほどに強かった。
「大王様!」
「大王様!」
「大王様ァッ!」
 味方は一種奇妙な狂気の虜となり、士気高く剣を掲げ、死を厭わぬ覚悟で戦場に身を投じた。
 横隊を薙ぎ払った勢いのまま、シェスラは突撃を吠えた。
「進め――前線を押しあげよ! 歯牙にかけるのだ!」
 雄々しい叫びは、銀の弦を張った竪琴のように凛々しく響き、将兵らを奮い立たせる。
 忠に厚い騎士団精鋭ばかりではなく、金銭目的の傭兵ですら、威放つ覇気にあてられ喊声をあげた。
 思い描いた通りに戦略があてはまり――さしものシェスラも気が逸った。敵の潰走に王手をかける。
 だが、悪魔は細部に宿るのだ。
 怒涛の奔流となって迫る、刹那! シェスラは振りむいた。月狼の本能が、音もたてずに襲いかかる死の凶手を感じ取ったのだ。