月狼聖杯記
10章:背負うもの - 7 -
ラギスはヴィシャスを抱えたまま、壁に沿って注意深く進んだ。
いかなる危険も見落とさぬよう、鋭敏な六感を働かせていると、雪に遮断された視界に違和感を覚えた。
よく見れば、絶壁に隈なく細い穴があいている。
そのことに気がついたラギスは、立ち止まり、異空間のような氷の谷に目を凝らした。
まさかこんな場所にと思われるような切り立った崖だが、居住用の洞穴がたくさんある。
(そうか! ここは……)
発情期にこもった温治で、シェスラが話していた、例の岩窟に違いない。
ここは、ナガラ教徒狩りが横行していた時代に、迫害から逃れてきた人々が、教会や修道院に使っていた洞穴なのだ。
「ここでしのごう」
ラギスは声をかけたが、ヴィシャスは不明瞭な呻き声しか洩らさなかった。
今は使われていない無人の洞窟は、魔物でも住んでいそうな雰囲気を醸しているが、ラギスは躊躇なくなかへ入った。
幽 かに黴の匂いのする冷ややかな空気のなか、ラギスの息遣い、足音が響いた。
どうやらここは、岩窟の修道院のようで、入り口に反して奥行のある空間が拡がっていた。祈祷部屋や寝室など、十五室ほどが迷路のようにひしめきあっている。
奥まった寝室の一つに、ラギスはヴィシャスを連れて入った。隙間風は仕方がないが、雪を凌ぐには十分だ。
古代の遺物だが、巧みな設計は目を瞠るものがあり、通気口や敵の侵入を防ぐ隠し扉など、現代の建築技術にもひけをとらぬ。
思えばネロアの地下都市も、信仰の黎明期に創られたものだ。古 の人々の発想には目を瞠るものがある。
ラギスは石の寝台に外套を敷いて、ヴィシャスを横たえた。腰帯と襟を緩めてやると、枷 を解かれたように、躰中から力が抜けた。全身に打撲があり、肋骨は何本から折れている。横腹の裂傷は一番酷くて、命に関わるほどの流血がみてとれた。
「おい、しっかりしろ」
声をかけると、ヴィシャスは呻いた。額は汗で濡れ、血の気の失せた頬をしている。
ラギスが靴を脱がせてやると、ヴィシャスがくぐもった声で呻いた。
足首を見て、ラギスは思わず顔をしかめた。酷い怪我だ。骨が折れて、肉を突き破っている。どう癒せばよいかも判らぬ重症だが、ともかく化膿を防ぐために、周囲を海綿で拭い、薬草を貼った。
「ぐぐっ……!」
鋭い激痛にヴィシャスは呻いた。ラギスが顔をあげると、苦悶を悟らせまいと細い唇を引き締め、頬を痙攣させている。
大の男だって喚きたい激痛のはずだ。根性を感心しながら、ラギスは処置を続けた。
「死ぬんじゃないぞ」
ラギスは自らの袖を裂いてヴィシャスの足と腕を止血すると、服を全て脱ぎ去り、月狼の姿に転じた。瘧 のように震えているヴィシャスを包みこみ、熱を分けてやる。
「“しっかりしろ”」
声をかけ続けるが、ヴィシャスの息はもはや消えいる蝋燭のようにささやかだった。体温低下も然ることながら、流血し過ぎたのだ。
(まずいな――)
ラギスは再び人形 に戻ると、剣で自らの腕を裂き、傷口をヴィシャスの唇に押し当てた。
「飲め。俺の血の焔をわけてやる」
ヴィシャスは呻き、譫妄状態に陥りながら、血を啜り始めた。鉄の巌丈 さをもつラギスは、裂傷を舐められるうちに血が止まってしまうので、もう一度腕を裂き、血を与えた。
「どうだ? 少しは落ち着いたか?」
ぐったり胸にもたれるヴィシャスの顔をのぞきこむと、呼吸は幾分ましになっていた。それにしても、普段は涼しげな貴公子の顔が、ラギスの血に塗れて修羅のようだ。
と、閉じていた瞳をあけた。蒼氷色の瞳は険しく、瞳孔が縦長にのびて、金色の筋が放射状に走っている。霊気が枯渇して、禁断症状がでているのだ。
「ぐ、ぁ……っ」
苦しげにヴィシャスは呻くと、ラギスの腕をきつく掴んだ。
「血か? 飲むか?」
ラギスは短剣に手を伸ばそうとしたが、ヴィシャスは何を思うたか、ラギスの胸に顔を寄せた。舌を伸ばして、開いた胸を舐めあげる。
「おいっ!?」
ぎょっとしたラギスは、思わずヴィシャスの頭を思い切り掴んだ。彼はやめるどころか、指で乳首をぐっと挟みこみんだ。ラギスは殴り飛ばそうかと思ったが、思い留まった。
「ったく、そっちかよ……血じゃなくていいのか?」
ヴィシャスは舌を伸ばし、滲んだ霊液 を舐めようと舌を伸ばし、寸でのところで動きをとめた。
「どうした?」
訝しげにラギスが問うと、ヴィシャスは愕然とした顔つきでラギスを見た。
「……いい、霊液 が必要なら飲め」
しかし、餓 える瞳が、暗鬱 にラギスを拒絶していた。額に汗の玉を浮かべ、歯を食いしばり、葛藤している。
「飲め」
蒼氷色の瞳が苦悶に揺れる。ラギスが後頭部に手を添えて、吸飲を促すと、ヴィシャスの顔が胸に沈みこんだ。彼はそのまま、胸に唇をつけたまま動きを止めた。
「生きることだけを考えろ」
するとヴィシャスは、鼻をひくつかせ、観念したように唇を開いた。乳首を口に含んだ途端に、必死に、強い吸いつきになって、牙が突き刺さった。
「ぐっ……落ち着け、噛むんじゃねぇ」
ラギスは文句をいったが、ヴィシャスには聞こえていなかった。
血が滲むほどの荒々しは次第に落ち着いていき、赤子が吸うような、安定した吸いつきに変わっていった。
正しく救命行為のはずなのだが、霊液 をせがんで舌を搦められると、淫らな慰撫を感じてしまい、ラギスは困ったように唸った。
「……そろそろいいか?」
頃合いを見て、肩を掴んで離そうとしたが、ヴィシャスはラギスの腰にしがみついた。彼の行動は、完全にラギスの隙を突いたものだった。彼は躊躇ずに、半立ちの陰茎を咥えこんだ。
「正気か……っ」
ラギスは慌てて、吸飲しているヴィシャスの後頭部を掴むが、向こうも必死にしがみつていくる。
今度こそ殴り飛ばそうかと思ったが、ふと閃いた。
霊気は月狼の活力の源だ。
彼がこうも必死に摂取しようとしているのは、生きようとしている証拠ともいえる。
事実、蒼白だった顔に赤みがさし、血が通い始めているのが判る。今は獣性に支配されているようだが、落ち着けば、回復に向かうだろう。
「っ……仕方ねぇな」
ラギスは観念して、抵抗をやめた。咥えやすいように自ら足を開げ、ヴィシャスの気が済むまで与えることに専念した。
抵抗がなくなったので、ヴィシャスも必死の力を緩めて、陰茎に舌を這わせた。よこせといわんばかりの性急さで、激しく顔を前後させて舐めしゃぶる。
「ん……っ」
射殺しそうな目で睨んできた男が――誇り高い四騎士の一柱が、目元を朱く染め、恍惚に、必死な様子でラギスを頬張っている。
目のやり場に困って視線をはずせば、今度はシェスラの顔が思い浮かんでしまい、後ろめたい。
熱い舌の感触。鼓膜を嬲る淫靡な水音。
背徳感が余計にそうさせるのか、股間は、はちきれんばかりに昂ぶった。
「ん、はぁ……っ」
必死の荒々しい吸飲は、かえってシェスラを連想させた。この事態を知って罰するように、彼にしかもたらされぬ、ぞっと総毛だつような、快楽の戦慄が突きぬてゆく。
「っ、でる……っ……だすぞ」
意思確認のつもりでヴィシャスを見ると、密生した白金のまつ毛が震えた。目元を朱く染めて、いっそう激しく吸飲をせがむ。
「あぁッ」
放出する瞬間は、シェスラの口内に吐きだしたような錯覚に囚われた。
いかなる危険も見落とさぬよう、鋭敏な六感を働かせていると、雪に遮断された視界に違和感を覚えた。
よく見れば、絶壁に隈なく細い穴があいている。
そのことに気がついたラギスは、立ち止まり、異空間のような氷の谷に目を凝らした。
まさかこんな場所にと思われるような切り立った崖だが、居住用の洞穴がたくさんある。
(そうか! ここは……)
発情期にこもった温治で、シェスラが話していた、例の岩窟に違いない。
ここは、ナガラ教徒狩りが横行していた時代に、迫害から逃れてきた人々が、教会や修道院に使っていた洞穴なのだ。
「ここでしのごう」
ラギスは声をかけたが、ヴィシャスは不明瞭な呻き声しか洩らさなかった。
今は使われていない無人の洞窟は、魔物でも住んでいそうな雰囲気を醸しているが、ラギスは躊躇なくなかへ入った。
どうやらここは、岩窟の修道院のようで、入り口に反して奥行のある空間が拡がっていた。祈祷部屋や寝室など、十五室ほどが迷路のようにひしめきあっている。
奥まった寝室の一つに、ラギスはヴィシャスを連れて入った。隙間風は仕方がないが、雪を凌ぐには十分だ。
古代の遺物だが、巧みな設計は目を瞠るものがあり、通気口や敵の侵入を防ぐ隠し扉など、現代の建築技術にもひけをとらぬ。
思えばネロアの地下都市も、信仰の黎明期に創られたものだ。
ラギスは石の寝台に外套を敷いて、ヴィシャスを横たえた。腰帯と襟を緩めてやると、
「おい、しっかりしろ」
声をかけると、ヴィシャスは呻いた。額は汗で濡れ、血の気の失せた頬をしている。
ラギスが靴を脱がせてやると、ヴィシャスがくぐもった声で呻いた。
足首を見て、ラギスは思わず顔をしかめた。酷い怪我だ。骨が折れて、肉を突き破っている。どう癒せばよいかも判らぬ重症だが、ともかく化膿を防ぐために、周囲を海綿で拭い、薬草を貼った。
「ぐぐっ……!」
鋭い激痛にヴィシャスは呻いた。ラギスが顔をあげると、苦悶を悟らせまいと細い唇を引き締め、頬を痙攣させている。
大の男だって喚きたい激痛のはずだ。根性を感心しながら、ラギスは処置を続けた。
「死ぬんじゃないぞ」
ラギスは自らの袖を裂いてヴィシャスの足と腕を止血すると、服を全て脱ぎ去り、月狼の姿に転じた。
「“しっかりしろ”」
声をかけ続けるが、ヴィシャスの息はもはや消えいる蝋燭のようにささやかだった。体温低下も然ることながら、流血し過ぎたのだ。
(まずいな――)
ラギスは再び
「飲め。俺の血の焔をわけてやる」
ヴィシャスは呻き、譫妄状態に陥りながら、血を啜り始めた。鉄の
「どうだ? 少しは落ち着いたか?」
ぐったり胸にもたれるヴィシャスの顔をのぞきこむと、呼吸は幾分ましになっていた。それにしても、普段は涼しげな貴公子の顔が、ラギスの血に塗れて修羅のようだ。
と、閉じていた瞳をあけた。蒼氷色の瞳は険しく、瞳孔が縦長にのびて、金色の筋が放射状に走っている。霊気が枯渇して、禁断症状がでているのだ。
「ぐ、ぁ……っ」
苦しげにヴィシャスは呻くと、ラギスの腕をきつく掴んだ。
「血か? 飲むか?」
ラギスは短剣に手を伸ばそうとしたが、ヴィシャスは何を思うたか、ラギスの胸に顔を寄せた。舌を伸ばして、開いた胸を舐めあげる。
「おいっ!?」
ぎょっとしたラギスは、思わずヴィシャスの頭を思い切り掴んだ。彼はやめるどころか、指で乳首をぐっと挟みこみんだ。ラギスは殴り飛ばそうかと思ったが、思い留まった。
「ったく、そっちかよ……血じゃなくていいのか?」
ヴィシャスは舌を伸ばし、滲んだ
「どうした?」
訝しげにラギスが問うと、ヴィシャスは愕然とした顔つきでラギスを見た。
「……いい、
しかし、
「飲め」
蒼氷色の瞳が苦悶に揺れる。ラギスが後頭部に手を添えて、吸飲を促すと、ヴィシャスの顔が胸に沈みこんだ。彼はそのまま、胸に唇をつけたまま動きを止めた。
「生きることだけを考えろ」
するとヴィシャスは、鼻をひくつかせ、観念したように唇を開いた。乳首を口に含んだ途端に、必死に、強い吸いつきになって、牙が突き刺さった。
「ぐっ……落ち着け、噛むんじゃねぇ」
ラギスは文句をいったが、ヴィシャスには聞こえていなかった。
血が滲むほどの荒々しは次第に落ち着いていき、赤子が吸うような、安定した吸いつきに変わっていった。
正しく救命行為のはずなのだが、
「……そろそろいいか?」
頃合いを見て、肩を掴んで離そうとしたが、ヴィシャスはラギスの腰にしがみついた。彼の行動は、完全にラギスの隙を突いたものだった。彼は躊躇ずに、半立ちの陰茎を咥えこんだ。
「正気か……っ」
ラギスは慌てて、吸飲しているヴィシャスの後頭部を掴むが、向こうも必死にしがみつていくる。
今度こそ殴り飛ばそうかと思ったが、ふと閃いた。
霊気は月狼の活力の源だ。
彼がこうも必死に摂取しようとしているのは、生きようとしている証拠ともいえる。
事実、蒼白だった顔に赤みがさし、血が通い始めているのが判る。今は獣性に支配されているようだが、落ち着けば、回復に向かうだろう。
「っ……仕方ねぇな」
ラギスは観念して、抵抗をやめた。咥えやすいように自ら足を開げ、ヴィシャスの気が済むまで与えることに専念した。
抵抗がなくなったので、ヴィシャスも必死の力を緩めて、陰茎に舌を這わせた。よこせといわんばかりの性急さで、激しく顔を前後させて舐めしゃぶる。
「ん……っ」
射殺しそうな目で睨んできた男が――誇り高い四騎士の一柱が、目元を朱く染め、恍惚に、必死な様子でラギスを頬張っている。
目のやり場に困って視線をはずせば、今度はシェスラの顔が思い浮かんでしまい、後ろめたい。
熱い舌の感触。鼓膜を嬲る淫靡な水音。
背徳感が余計にそうさせるのか、股間は、はちきれんばかりに昂ぶった。
「ん、はぁ……っ」
必死の荒々しい吸飲は、かえってシェスラを連想させた。この事態を知って罰するように、彼にしかもたらされぬ、ぞっと総毛だつような、快楽の戦慄が突きぬてゆく。
「っ、でる……っ……だすぞ」
意思確認のつもりでヴィシャスを見ると、密生した白金のまつ毛が震えた。目元を朱く染めて、いっそう激しく吸飲をせがむ。
「あぁッ」
放出する瞬間は、シェスラの口内に吐きだしたような錯覚に囚われた。