RAVEN

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 時計の針は零時を過ぎようとしていたが、二人は夢中でいろいろなことを話した。
 レイヴンは子供の頃、両親と共に世界中を旅して回ったこと。アフリカの大自然で野生動物と寝起きを共にしたこともあるという。十二歳の時に、危険な冒険にでかける両親を涙を呑んで見送り、祖父の家に預けられたこと。冒険家で考古学者の両親、そして登山家の祖父の影響を受けて、鉱石に強い興味を持ち、ジオラマ創作作家として自立するまでの波乱万丈な経緯。
 彼の本名は、アレクシス・レイン・ゴッドウィンという。ミドルネームのレインは、祖父の名前である礼二からつけられたそうで、家族にはレインと呼ばれているそうだ。アーティスト名のレイヴンも、ミドルネームから考えたらしい。
 驚くべきごとに、レイヴンはゲイであることを明かした。正確にはバイのようだが、過去に男性ともおつきあいした経験があるという。
 流星はゲイであることを自覚して以来、誰かと正直な恋愛話というものを殆どしたことがなかった。けれども、レイヴンがゲイであると知り、酒の勢いもあって、普段は明かさない身の上話をぽつぽつと話し始めた。
 高校生の頃には自分がゲイであることを自覚し、長崎の実家にい辛くなってしまい、上京して大阪の大学に通ったこと。
 就職して何年か経ってから、家族に自分がゲイであることを打ち明けたが、両親、特に父親に受け入れてもらえなかったこと。顔が血まみれになるほど殴られたこと。
 以来、家族と疎遠になり、かれこれ七年ほど帰っていないこと。
 カミングアウトの延長で、休職している事情についても、少しだけ触れた。同じ会社の先輩を好きになってしまい、い辛くなってしまった……そう説明した。城嶋から虐待されていたことは、明かさなかった。
「……頼りがいがあって、仕事のできる人でさ、最初は純粋な尊敬の気持ちだったんだ。気持ちを自覚してからも、告白するつもりはなかったんだ……まさか、うまくいくとは思っていなくて……」
 レイヴンが静かに耳を傾けているので、流星はさらに続けた。
「傍にいたらだめなんだ。俺は何もできなくなる。だから辞表を書いたんだけど、受理されなくて、休職を命じられてさ……そろそろ一年になるよ。いい加減、社会復帰しないと」
「元の会社に戻るんですか?」
 レイヴンは強張った声で訊ねた。
「いや、それは無理。辞表も送った。だから今、十年ぶりに就職活動しているんだ」
「そうっだんですね」
「色々と大変だけど、大阪で燻っていた時より、気持ちは楽になったよ」
 そういって流星が笑うと、レイヴンも柔らかな笑みをこぼした。
 城嶋から離れて、流星は久しぶりに息ができるようになった。視野が広がり、少しずつ前向きな心を取り戻しつつある。
「もっと早く決断すべきだったよ。うじうじと悩んで、無為に時間を過ごしてしまった……もう当分、恋愛はこりごりだ」
 流星は、自嘲気味に笑った。
 初恋は十六歳だった。二つ年上の放送部の先輩で、彼には美人な彼女がいて、恋を自覚すると同時に失恋した。
 そのあとも、何度か恋をしたけれど、告白は一度もしなかった。城嶋にも、彼からってこなければ、自分から明かすつもりはなかったのだ。
 流星の恋は、いつも秘めた恋だ。人知れず始まって、誰にも気づかれないうちに、最後の花火がパッと散るようにして、儚く消えていく……その繰り返し。
 幸せな恋愛は諦めてきた。城嶋とはもしかしたら……淡い期待を抱いた時期もあったが、結局は悪夢に終わった。そのせいか、三十二歳になった今も、優しい恋の感情に憧れがある。
「……なんだか愚痴になっちまったな。ごめんな」
 レイヴンは顔をあげた。きらめく瞳は、群青に縁取られた青碧の虹彩に、海の宝石アクアマリンを溶かしたようだ。
「いいえ、流星さんのことが知れて嬉しいです。話してくれてありがとうございます」
 柔らかくて思い遣りのこもった笑みにつられて、流星も照れたように笑った。
「こんな風に、自分のことを話せたのは初めてだ……ちょっと心が軽くなったよ。ありがとう、レイヴンのおかげだ」
「お礼をいうのは僕の方ですよ。流星さんに会えて良かった……」
 絨毯に無造作に置いている流星の手の上に、レイヴンは自分の手をそっと重ねた。流星は目を丸くして彼を見た。
「個展にいくたびに、いつの間にか、貴方の姿を探すようになりました。見つけると嬉しくて、声をかけてみようかなって思うんですけど、なかなか勇気がでなくて」
「……そうだったの?」
 レイヴンは恥ずかしそうにはにかんだ。
「はい。ずっと気になっていたんです。どんな声なんだろう、名前はなんていうんだろう、どうして熱心に見てくれるんだろう……今日、声をかけて良かった。流星さんと話せて、嬉しい」
 そんな台詞を、目を見つめながらいわれて、流星の心臓は壊れてしまいそうなほど高鳴った。動けずにいる流星の手を、レイヴンはぎゅっと握りしめた。
「流星さん……恋愛はこりごりといっていたけれど、僕と恋をしてみませんか?」
 熱っぽく見つめてくる青碧せいへきの瞳を、流星は意味深長に見返した。冗談で済ませてしまうには、眼差しが真剣すぎる。真に受けることはできないが、二人の間に流れているように感じる電流は、どうしたことだろう?
「はは……光栄だよ」
 やっとのことで、流星は返事をした。さりげなく引き抜こうとした手を、レイヴンは掴んで両手で包みこんだ。
「レイヴン?」
 彼は、何かをいおうと唇を薄く開き、躊躇った。流星は辛抱強く彼の言葉を待ったが、ハート型の官能的な唇をじっと見つめていることに気がついて、急に息ができなくなってしまった。
「俺、そろそろ帰るよ」
 ぱっと弾みをつけて立ちあがった。そうでもしないと、なんだかよく判らない罠に捕まって、二度と抜けだせなくなりそうな予感がした。
 レイヴンは寛いだ様子で、だが警戒したような目で流星を見つめている。
「もう零時を過ぎていますよ。部屋はたくさん余っているから、泊まっていけばいいと思います」
「ありがとう。でも、明日は家を探そうと思っているから、やっぱり帰るよ」
「家探し?」
「そう、心機一転。環境を変えたくてね」
 苦笑気味に答える流星を、レイヴンは愕然とした表情で見つめた。
「仕事を探しながら?」
「うん、時間を見つけて探しているんだけど、いい賃貸がなかなか見つからなくて」
 流星は決まり悪げに頭を掻いた。
「仕事も家も同時に探すなんて、大変でしょう。倒れてしまいますよ」
「大丈夫、身体は頑丈な方だから」
 不満そうな顔で聞いていたレイヴンの瞳に、いいことを思いついたとでもいうように、ぱっと閃きが灯った。
「流星さん、この家に住みませんか?」