メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

7章:ニーレンベルギア邸襲撃 - 7 -

「ビスメイルでは、ティカにも賞金が懸けられましたよ」

「えっ」

「うちのキャプテンときたら、古代神器の秘密はティカが握っていると信じて疑わないのですから」

 ぎくりとして思わず口を閉ざすと、ユリアンは不思議そうにティカを見た。

「まさか、心当たりがあるんですか?」

「ないよ」

 変わらぬ口調で応えたつもりだが、ユリアンは訝しげに眉根を寄せた。

「眉唾と思っていたのですが……急に信憑性が出てきましたね」

 誤魔化す自信がなくて、ティカは視線を彷徨わせた。下手に口を利かない方がいい気がする。
 穏やかだが、鋭いユリアンの追及に苦戦するうちに、やがて大きな屋敷の前で車は停まった。
 常春藤きづたのからまる正門奥には、視界を覆う青い青い花が繚乱りょうらんと一面に咲いている。合間に菫や黄水仙きずいせんが色を添えており、風と共に澄んだ芳香が流れた。異国情緒に富む、上品な屋敷だ。
 車を降りた途端、ティカは門番達に囲まれた。
 後ろから羽交い絞めにされるや、ティカは右足を思いきり真上に振り上げ、背後の男の顎に強烈な一撃を入れた。

「ぐぁっ」

 呻き声を上げて男はティカから手を離した。
 機を逃さず、ティカは今こそ腰のベルトに挟んでいた短剣を抜いた。腰を落として、油断なく取り囲む男達と対峙する。

「意外と闘い慣れしています。侮るとやられますよ」

 場にそぐわぬ、ユリアンの穏やかな声が降る。応えるように、男達の双眸はぎらりと不気味に光った。

「子虎狩だ」

 あざけるように、誰かが嗤った。熊のような巨躯の一人が、突出してティカに腕を振り上げた。
 プラムを齧ってサディールに殴られそうになった時は、手も足も出なかったけれど――もう、あの頃のティカではない。
 電光石火。
 男の拳をかわしてふところに飛び込み、勢いのつけた右脚の膝蹴りを鳩尾みぞおちに入れる。男は巨躯を二つに折って、腹を抱えくずおれた。
 背後を襲う別の男には、軸足を変えて左脚で回し蹴りをお見舞いする。胸のど真ん中を力いっぱい蹴り上げた。
 更にカトラスを抜いた別の男が、死角から襲い掛かる。呼気を読んで、今度もすぐさま振り向いたが、ティカが応戦するよりも早く、瞬閃で男を沈めたのはユリアンだった。

「傷つけずに、連れてこいと命令されています。早く縛ってください」

 少年の静かな呟きに、空気が引き締まる。包囲する男達の眼から、ティカへの嘲りが消えた。
 屋敷の前には左右に続く一本道。正面には深い茂み。ティカは逃走経路を計算して、瞬時に動いた。後ろに下がると見せかけ、助走をつけて地を蹴ると、大きく跳躍し、背中に拡がる壁を斜めに駆け上がる!

「く……っ」

 あと少しで壁のてっぺんに辿り着く――突然、足首に巻き付いた鎖鞭くさりべんに引きずり下ろされた。
 初めて見る武器だ。鋼で編まれた鞭は、蛇のように足首にまとわりつき、機動の自由を奪う。
 咄嗟にナイフを、鎖鞭を操るユリアンに向かって構えた。
 宝石のような翠瞳すいとうと視線がぶつかる。彼を、傷つけるのか?
 躊躇した。一瞬の躊躇は命取り。ロザリオに教えられた通り――逡巡はティカの不利に働いた。

「離せっ」

 地面に這いつくばる間に、男達は機敏に動く。ティカは上から身体を押えつけられ、首の後ろに衝撃を感じると共に、意識を手放した――

 +

 再び意識が戻ると、身体の自由は完全に奪われていた。
 どっしりとした椅子に座した状態で、椅子ごと縄で縛られている。足は椅子にくくりつけられており、身体を揺らしても身動き一つ取れない。

「はへっ!?」

 おまけに猿ぐつわを噛ませられ、言葉を発することもままならない。完全に無力だ。
 己の状態を把握すると、ティカは首をめぐらして室内を眺めた。
 何も聞こえない……静かだ。
 側面に大きく穿うがたれた窓から、外光が斜めに降り注いでいる。
 時間の経過はあまり感じられない。昏倒していた時間は、僅かであったのか。
 ヴィヴィアンは今頃どうしているだろう。ユリアンに気をつけろと、忠告をされたのに……勝手な行動を取り、揚句、捕まってしまった。
 今頃、ティカを探しているだろうか……
 悄然としていると、部屋にユリアンが入ってきた。眼が合うなり、済まなそうに柳眉をひそめる。

「苦しそうですね」

「ひゃなして」

「ここはマスターの私邸の一つです。ダリヤ特有のニーレンベルギアは、圧倒的な青色でしょう? 美しく咲く庭があるのに、きちんとお迎えできず私も残念です」

 初めて出会った時と変わらぬ穏やかさで、歌うように囁く。
 けれど、ユリアンはか弱い旅人でも詩人でもなく、ジョー・スパーナの手先だ。

「すぐにマスターがきます。従順であれば、助けてくださいますよ」

 またあの男と対峙しなくてはいけないのか……
 じわじわと、緊張感が込み上げてきた。眉をしかめるティカを見て、ユリアンは微笑を消すと、真剣な眼をした。

「ティカ、賢明な判断をすることです」

 それだけ言うと、ユリアンは静かに部屋を出ていった。