メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

7章:ニーレンベルギア邸襲撃 - 1 -

 翌朝。柔らかな光を頬に感じて、ティカは目を覚ました。陽はとうに昇っている。いつもより、大分寝過ごしてしまったようだ。
 気だるさを感じながら身体を起こすと、絹が滑り落ちて素肌が露わになる。ぼうっとしていると、浴室からヴィヴィアンが出てきた。

「お早う、ティカ」

「お早うございます……」

 朝の陽光を浴びて、ヴィヴィアンの肌は淡く煌めいて見える。一糸纏わぬ神々しい裸体に、ティカは顔を赤らめた。
 非常に目のやり場に困る。視線を彷徨わせるうちに、彼は下だけ履いて傍へやってきた。
 仰がずとも、彼の視線がこちらにあると判る。形の良い爪先を見つめながら、顔を上げられずにいると、彼はベッドに腰掛け、ティカを増々緊張させる。
 ごく自然な仕草で、あちこち撥ねたティカの髪を撫でて、頭のてっぺんにちゅっとキスを落とした。
 なぜだろう、一つ一つの仕草をとても甘く感じる……

「シャワーを浴びる?」

「えっと……」

 どうしよう。普段は朝から入浴しない。けれど今朝は、昨夜の名残りを洗い流したい気もする。
 そう考えたところで、あらためて昨夜の行為を思い出し、赤面した。よく見れば、身体のあちこちにヴィヴィアンのつけた跡が残っている。これでは気軽に上半身裸になって甲板をうろつけない。
 何も言えずにいると、こめかみに口づけられた。

「ティカ?」

 窺うような呼びかけに、恐る恐る顔を上げると、すごく優しい眼差しで見つめられていた。

「キャプテン……」

 面映ゆい気持ちで呟くと、ヴィヴィアンは首を傾け、ヴィーと呟いた。

「え?」

「ヴィーって呼んでよ」

 流れ出る声には、甘さが含まれている。その声に聴き入るあまり、咄嗟に反応できずにいると、扉をノックする音が聞こえた。

「おい、いつまで寝てるんだ。そろそろ出掛けるぞ」

 扉の外からシルヴィーの声が聞こえる。ヴィヴィアンはゆっくりティカから視線を外すと、ベッドを離れて扉を開けた。
 完璧に隙のない装いのシルヴィーは、髪の濡れたヴィヴィアンを呆れたように見やる。次いでベッドの上のティカに気付き、たちまち表情を強張らせた。
 針のような視線が、ティカの肌に突き刺さる。彼は険しい表情のまま、ヴィヴィアンに視線を戻すと、掴みかからんばかりの勢いで睨みあげた。

「アンタ……っ、まさか」

「まだ全てを奪ってはいない。でも宣言しておく。俺はいつか、ティカを抱くよ」

 剣呑な口調にも怯まず、ヴィヴィアンは極めて理性的に告げた。静かな迫力すら感じる。怯んだように息を呑んだのは、シルヴィーの方だ。ティカは呆気に取られて二人を見つめた。

「……本気なのか?」

「本気だよ」

 押し黙るシルヴィーを、ヴィヴィアンは真っ直ぐに見つめる。

「止めたい?」

「当たり前だ! 手を出さないってあれほど――」

 我に返るなり、強く批判するシルヴィーの肩を、ヴィヴィアンは抱き寄せた。

「ティカを傷つけたりしない。それだけは約束する」

 彼にしては、真剣な口調で告げる。決して大きな声ではないのに、その響きは、ティカの耳にも確かに届いた。

「――ふん、それこそ当たり前だ。ティカに無体な真似をしてみろ、四肢に砲弾をぶら下げて海へ沈めてやる」

 ようやく、いつもの調子でシルヴィーは、冷ややかな口調と眼差しでヴィヴィアンの肩を突き放した。

「判ってるよ。だから昨夜も必死に我慢して……俺って、健気だと思うんだけど」

「はぁ? もういい……それで、どうする? 俺達はそろそろエルメス市場に行くぞ」

「ティカ、行きたい?」

 突然話を振られて、ティカは不自然なほど肩を跳ねさせた。反射的に頷くと、ヴィヴィアンは微笑んでからシルヴィーに視線を戻した。

「少し待ってて。すぐ支度するから」

「判った。食堂で待ってる」

「アイ」

 扉を閉めると、ヴィヴィアンは未だベッドの上にいるティカの傍までやってきた。緊張を解けずにいると、頭部に羽が触れるようなキスが落ちる。

「……ヴィー」

 キャプテンと言いそうになりかけたが、どうにか呼べた。

「ん?」

「シルヴィーは怒ってる……?」

 彼は虚を突かれた顔をした後、すぐに微苦笑を浮かべた。

「怒ってないよ……衝撃は与えちゃったけど」

 言いながら、考え込むように顎に手をやるが、まぁ、勝手に消化するだろう、とすぐに自己完結させた。

「さ、本当にシャワーを浴びておいで。すぐ行くよ」

「アイッ、キャプテン」

 命令されて、条件反射で返事が口を突いた。勢いよくベッドを下りたものの、裸であることを忘れていた。肌にヴィヴィアンの視線を感じながら、逃げるように浴室へ飛び込んだ。
 ティカにとってヴィヴィアンは、敬愛するキャプテンであり、心を寄せる想い人だ。昨夜ついに想いは通じて……恋人になったと思っていいのだろうか? キャプテンであり、恋人……
 考えるうちに、訳が判らなくなってきた。誰よりも衝撃を受けているのは、ティカかもしれない。