メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

5章:カルタ・コラッロ - 1 -

 期号ダナ・ロカ、一五〇三年。精霊オズの祝福する一月。
 ティカ達がロアノスの王都、パージ・トゥランを出港してから約五ヵ月。
 その間にヘルジャッジ号は海上で年を越し、新年と共に年を数えるティカは、十五歳を迎えた。
 今からおよそ四ヵ月前。
 ティカ達、エステリ・ヴァラモン海賊団は、無限幻海に眠る古代神器を求めて、魔境と呼ばれる海域を航海していた。
 航海は波乱に富み、吹き荒ぶ嵐や、敵国のビスメイル大艦隊、ブラッキング・ホークス海賊団に襲撃されるが、危機一髪で脱出。
 ティカとヴィヴィアンは、前人未到の地――伝説の“星明かりの島”に到着。人智を超えた古代神器の魔法を手に入れた。
 無事に生還したヘルジャッジ号は、リダ島に錨泊びょうはくすると、束の間の休息と補給を行う。
 しかし――
 無限幻海から生還した、ジョー・スパーナ率いるブラッキング・ホークス海賊団は、密かにヘルジャッジ号の後を追い駆け、リダ島に上陸した。
 仲間と別行動していたティカは、忍び寄る魔の手に落ち、オリバーは腿に銃創を負ってしまう。
 期号ダナ・ロカ、一五〇二年。九月五日。
 リダ沖合海戦。
 ヴィヴィアン達、エステリ・ヴァラモン海賊団の一味は、攫われたティカを追い駆け、リダ沖合でブラッキング・ホークス海賊団と一戦交える。
 かくしてティカはヴィヴィアン達に救出され、無事に仲間と合流し、オリバーとも再会を果たしたのであった。
 世界大陸史には載らない、この小さな戦いこそ、ティカにとってジョー・スパーナとの初めての邂逅かいこうであり、互いの海賊団を巻き込む闘いの幕開けでもあった。
 なぜ、ティカが狙われたのか……
 エステリ・ヴァラモン海賊団が古代神器の魔法を手に入れた噂話は、万里の波濤はとうを越えて広まり、名だたる海賊達の間に知れ渡った。
 彼等が存在もあやふやな古代神器を狙うには、理由がある。
 この魔法を手にすれば“世界を制する大いなる力”を手に入れられるという……あまりにも魅力的な伝説のせいだ。
 実際――
 魔法の力は凄まじいものがあった。
 一つは、未だ計り知れない、あらゆる世界を渡る力。
 一つは、心を手に入れる魔法――メル・アン・エディール。
 魔法を手に入れたティカを狙う海賊は、ジョー・スパーナだけに限らない。
 大海賊として名を馳せるヴィヴィアンに挑むつわものは少ないとはいえ、以前と比べてヘルジャッジ号の航海は、格段に物騒なものになっていた。
 そして今――
 リダ島を出港したティカ達、エステリ・ヴァラモン海賊団は四ヶ月の航海の果てに、ダリヤ国に上陸しようとしていた。

 +

 朝の当直を終えて、ティカは第四甲板の工房を訪れた。
 龍涎香りゅうぜんこうの漂う室内は、まじないの館のように色彩に溢れ、また多種多様な物で溢れかえっている。
 海中を拝めるよう設計されたはずの大きな窓には、よく判らない瓶や雑貨が山と積まれ、本来の役目を果たしていない。
 この工房は、乗船当時は出入りを禁止されていた。
 今では時間に余裕があれば、顔を出すようヴィヴィアンに命じられている。
 無限幻海の航海を終えた後、ヴィヴィアンは用済みとなった羅針盤を、細部に至るまで分解した。
 その結果、部品の一部にサファイアと同じ鉱石性質――鋼玉コランダムの石版が使用されていると判明。このことから彼は、ティカに宿る不思議は、宝石質に反応する可能性があると考えた。
 そこで、宝石を取扱う工房に出入りして、ティカは石に触れたり、身に着けてみたり、時に口に含んでみたり……様々な反応を見ては、数字を取られている。
 ティカの潜在能力も、後天的に手にした古代神器の力も、まだまだ未知数ではあるが、地道な調査が功を奏して、数ヶ月に及ぶ航海の間に成果もあった。
 ティカがしばらく身に着けた宝石には、エーテルが宿るという現象を発見したのだ。これは非常に利用価値があるらしく、ヴィヴィアンは初雪を見てはしゃぐ子供のように喜んだ。

「こんにちは、アマディウス」

「いらっしゃい」

 アメシスト色の瞳と頭髪を持つ、玲瓏れいろうとした美貌の青年――アマディウスは海泡石かいほうせきのパイプを吹かしながら、気だるげに応えた。
 一途な視線は、手元の雑誌から剥がれることはない。
 彼はヴィヴィアンに、ティカと石の関係を調査するよう命じられているのだが、目先の興味に夢中になるあまり、しばしば工房を訪れるティカを放置する。
 そんな扱いに慣れたティカは怯まず傍に寄り、彼の手元を覗きこんだ。細かな文字と、何やら複雑な記号で埋め尽くされている……

「何て書いてあるんですか?」

 沈黙。
 ヘルジャッジ号に変わり者は大勢乗っているが、彼も相当変わっている。船に乗っているのに、工房から全く出てこない引きこもりで、肌は病的に青白い。
 日がな宝石に触れることを好む、根っからの宝石職人だ。美しいものをこよなく愛でる性質たちで、ティカのだいだいの瞳も、一目見るなりいたくお気に召した。“くりぬきたい”と言われた時はぞっとしたが、基本的には仕事熱心で気のいい青年である。
 しばらく沈黙を堪能してから、聞いていますか? と尋ねると、聞いてない、と応えつつ彼はようやく顔を上げた。

「ロアノス海洋研究局の最新の調査報告書……ナプトラ諸島沖のブルーホールについてだよ」

「ブルーホール?」

 聞きなれない言葉にティカが首を傾けると、アメシストの青年は、器用に輪の形の紫煙を口から吐いた。

「良質のエメラルドが採れる、円環の海底渓谷のこと。この記事面白いな。後でヴィー達にも見せてあげよう」

「エメラルド……あ、緑色の宝石ですか?」

 閃きを口にすると、彼は視線で肯定した。おもむろに宝石標本に手を伸ばすと、無数に並ぶ石の中から、小粒のエメラルドを摘まんでティカに見せる。

「これは人工のエメラルドだけどね」

「人工? この宝石、手作りなんですか?」

「そう。特殊原料と融剤ゆうざいを混ぜて熱して溶かし、冷やして結晶を成長させれば、傷一つないエメラルドを作れる」

 思わず、すごいなぁと感嘆のため息を吐いた。宝石も人工で造れる時代になったらしい。

「人工製造を否定はしないけど、僕は天然が好き。人に性格があるように、石にも性格がある。時には傷だって個性だ」

 相変わらず、アマディウスの説明は難解だ。物言わぬ石に、性格? ティカは不得要領に頷いた。