メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

3章:古代神器の魔法 - 9 -

「ところで、魔法について考えてみたんだ」

「聞こう」

 シルヴィーはティカの眠るベッドから離れると、肘掛椅子に腰かけた。ヴィヴィアンも空いている椅子に座る。

「……あれは、本当に精霊王の魔法かもしれない。“星明かりの島”で眼にした魔法は、圧縮された古代エーテルの塊だった。とうに失われたはずの、太古の力だ。俺は指先で触れることすら叶わなかったものに、ティカは全身を包まれたんだ。金色に輝いていたよ」

「ヴィーの下心が、透けて見えてたんじゃないのか?」

 嫌味のつもりであったが、その通り、とヴィヴィアンは肯定した。

「思うに魔法を手にするには、純潔、無垢、聖者……といったあたりの資格がいるんじゃないかな」

「なるほど、ヴィーは全滅だ」

 ヴィヴィアンは優雅に微笑んだ。

「優しいね。どうもありがとう」

「精霊王の説が本当なら、どうやってバビロンの扉を開くんだ?」

「ティカに聞いてみるしかないな……」

「――待て。起こすんじゃない。可哀相だろ」

 ヴィヴィアンは浮かした腰を元に戻した。

「アイ……ねぇシルヴィー、別人みたいだよ。知ってた?」

「知ってる。それにしても、どうして、こんな魔法が存在するんだろうな」

「堅物のシルヴィーすらメロメロにしてしまう、恐るべき魔法……思うんだけどさ、この魔法――メル・アン・エディールは、魔法を手にした者を助けるために在るんじゃないかな」

「助ける?」

「もしもだよ、バビロンの扉を本当に開けるなら、無限海中の人間があの子を欲しがるよ。ティカにしてみれば、そんなの地獄だろ? だから、身を守る為に相手の心を奪うんだよ」

「なるほど。つまり――ヴィーから、身を守る為の魔法というわけか」

「あのね……」

「その仮説だと、精霊王は、バビロンの扉を開く魔法の他に、わざわざ身を守る魔法を用意し、念入りに海の底へ封印したというわけか。見つけて欲しかったのか、欲しくなかったのか……どっちなんだろうな」

「そう、そこに行きつくよね。考えてみたんだけど……仮説その一、精霊王は太古の昔、戦争を続ける人間にぶち切れて“審判の日”に世界を無限空と無限海に二分した。けれどもし、世界の橋渡しに情熱を燃やす若者が現れた時、彼の希望をくじかぬよう、困難の果てに手にする魔法を残した」

「……民衆の喜びそうな待望論だな。バビロンの信奉するロギオン教会を全否定しているが」

 シルヴィーが適当に応えると、ヴィヴィアンは吹き出した。
 偉大なる女神、始祖精霊アンフルラージュの降臨する聖地こそ、空中都市バビロンと謳うロギオン教会にしてみれば、実は神の裁きによってバビロンは空に追放されたのだと言われても、到底認められないのである。

「言っておくけど、俺のことじゃないよ。創世神話について語り始めると、話がぶっとぶな。でも、メル・アン・エディールの威力は認めるだろ?」

「まぁな……」

 シルヴィーは渋面で応えた。魔法に関しては、身を持って体験しているので、頷かないわけにもいかない。

「仮説その二。やっぱりロギオン教会を全否定するけど……精霊王は人間を試している。そうまでして力が欲しいのか、欲深い愚かな人間めーってね。手に入れようとする者は、片っ端から呪われる」

「ほう」

「実際、海は割れて何隻も沈んだろ? 沈んだのはジョー・スパーナに、ビスメイル艦隊だから、俺は助かったけど。でも、俺とティカも魔法を手にした途端、海の壁が狭まって危うく潰されかけたんだ」

 シルヴィーは白々とした眼差しで、ヴィヴィアンを睨みつけた。

「ほら見ろ! 何が“絶対に帰ってくる自信があったよ”だ。危機一髪だったんじゃないか」

「あー、はいはい……多少はね」

 痛いところを突かれたのか、ヴィヴィアンはわざとらしく視線を逸らした。

「ふん。仮説一の通りだとしたら、精霊王もがっかりだろうな。アンタみたいな欲深い男に、見つかってしまって……ティカも可哀相に」

「誰が手にしたって、戦争は無くならないよ。それに魔法が無くたって、いつの日かバビロンにも手が届く。欲がなけりゃ日進月歩だってないんだぞ」

「魔導学かぶれしている割に、バビロンを否定するんだな」

「してないよ。ロギオン教会の神秘主義を否定しているだけ。神秘主義なんてものは、知ることを放棄しているのと同じだ。魔導学は金属とエーテルの調和、神の啓示だよ。いしずえたるバビロン魔導学校があるのに、空の帝国は矛盾だらけだ」

「魔導学は軍事の骨頂だろ。戦争なんかなければいいのに、って聞こえたけど?」

 ヴィヴィアンは軽く首を左右に振った。

「戦争はね、政治の失敗が引き金を引く、諸刃の弾丸だよ。撃った本人も、当たった相手も大参事さ。更に火力の張り合いで被害は増大。そんな悪循環を何度も繰り返す生き物と書いて、人間と読むんだよ。もしくは救いようがないと書いて、人間と読む」

「アンタがそれを言うのか。ガロの――」

「シルヴィー」

 低めた声で、ヴィヴィアンは威圧的にめつけた。

「――ふん。知性ある動物と書いて、人間と読むんだ。時に病んでいることもあるが。ヴィーこそ、魔法をかけてもらって、歪みを矯正してもらったらどうなんだ? 真実ほんとうの愛が判るかもしれないぞ」

「気が向いたらね」

 どうでもよさそうに、ヴィヴィアンは薄笑いを浮かべた。この手の話題で、彼の本音を引きずり出すのは不可能に等しい。

「それで、ヴィーはどっちの説を押してるんだ?」

「二つ目の方がシンプルだよね。文字通り“呪われた秘宝”なんだよ」

「じゃ、ヴィーは呪われたんだな?」

「俺、人間じゃないしね。呪いは効かないってことで、美味しく魔法だけいただいてお終い。めでたし、めでたし……」

「いいや、呪われたね。言っておくが、ジョー・スパーナは死んじゃいない。傘下を何隻か沈めただけだ」

「あいつも、なんだかんだで悪運のある……」

 ヴィヴィアンはうんざりしたように、ため息をついた。その気持ちは、シルヴィーにもよく判った。

「今度こそ、ジョー・スパーナが俺達の後を追ってきてる……リダ島でのんびりする暇はなさそうだが、どうする?」

「うーん……船の状態を見たいし、寄港しよう。その後の行先は約束通り、シルヴィーに任せる」

 シルヴィーは笑みを浮かべた。

「よし。なら、針路は変えないぞ。明け方にはリダ島に着く」

「アイ。飯にしよう」

「ティカが……」

 シルヴィーがティカを気にかけると、ヴィヴィアンもちらりとティカを見た。

「よく眠ってる。そっとしておけよ」

 +

 シルヴィーとヴィヴィアンが出ていった後、ティカはゆっくり眼を開けた。
 本当は、二人が話し始めたあたりから眼覚めていたのだが、なんとなく気まずくて、起き上がれずにいたのだ。
 耳朶の奥で、ヴィヴィアンの言葉が蘇る――

“失礼な奴め。未成年なんて抱いたことない。興味もない……”

 どういう意味なのかおぼろにしか理解していないが、傷ついたことだけは確かだ。
 ヴィヴィアンにしてみれば、ティカは取るに足らない存在。眼中にない。そう言われた気がした。

“もしもだよ、バビロンの扉を本当に開けるなら、無限海中の人間があの子を欲しがるよ……”

 それは、ヴィヴィアンも同じだろうか……
 もしティカが魔法を使いこなせるようになったら、見直してくれるのだろうか。

 ティカは自分がそうであるように、ヴィヴィアンにもティカを特別に想って欲しかった。
 その感情に名前はまだない。
 ただティカの中で、とても大きな感情であることに違いはなかった。