メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -
3章:古代神器の魔法 - 8 -
簡易ベッドにティカを寝かせながら、シルヴィーは己に起きた変化を、信じられない気持ちで噛みしめていた。
誰かを愛する気持ち。
そんな暖かい感情は、十六歳の頃に失くしたと思っていた。
しかし――
眼を閉じて、深い眠りについているティカを見ていると、かつて失くした暖かな感情がとめどなく溢れてくる。こうして寝顔を見つめているだけで癒される。
今まで何とも思っていなかった少年が、今ではシルヴィーの世界の中心で燦然 と輝いている。
ティカが望むのなら、どんな小さな願いでも叶えてやりたい。
この小さな少年の、ありとあらゆる不安を排除し、傍で守ってやりたい。ティカが愛しい。
果たして、この感情に名前をつけるとすれば、何がふさわしいのだろう?
兄弟愛、友愛、師弟愛……
そのどれもが当てはまり、また決定的ではないような気もする。
しかし――恋愛。それだけはないはずだ。異性愛主義者ではないが、過去に同性、それも子供に欲情したことなどない。
ティカを傷つけたくない。慈しみ、優しさだけを与えたい。
とはいえ、ティカにキスして欲しいと言われた時、つい唇を見つめてしまった。ティカがあからさまに震えたから、その考えをすぐに捨てたけれど……
ティカがもし視線を逸らさなければ、唇に口づけることを躊躇わなかっただろう。
魔法にかけた他の二人は、ティカのことをどう思っているのだろう……彼等は何度かティカの面会を求めて船橋 にやってきた。ティカを案じる気持ちはよく判る。静かにすることを約束させた上で、一度だけ入室を許可したが、二人は寝ているティカの傍をなかなか離れたがらなかった。
理屈抜きに心を奪われる。凄まじい酩酊感。
これがもし、万人に通用するのなら、忽 ちティカに夢中になるだろう……中にはシルヴィーと違って、自制を知らない人間もいるかもしれない。無垢なティカを穢そうとする人間もいるかもしれない。
むやみに使うような魔法ではない。なぜこんな魔法が、無限幻海に眠っていたのだろう。一体誰が、どんな意図で……
ティカを愛する一方で、シルヴィーは冷静に状況分析していた。
まだ子供らしい、柔らかな頬を手の甲で撫でながら、己の気持ちの変化を客観的に見つめ、無限幻海の魔法について考え、また航行にも注意を怠らない。
懸念事項を同時にいくつも処理している。いつものように。
それでも圧倒的に心を占めるのは、やはりティカの存在だ。殆ど無意識に、閉じられた瞼の上にキスを落とした。
「シルヴィー……」
よりによってその光景を、ヴィヴィアンに見られたが、シルヴィーは表情を変えずに振り向いた。
「静かに。ティカが眼を覚ます」
「友よ。お前、本当にシルヴィーか?」
「あぁ」
ヴィヴィアンはわざとらしく眼を擦って見せた。
「俺の眼には、シルヴィーがティカを愛しているように見えるんだが……」
「愛している」
真顔で応えると、ヴィヴィアンは沈黙した。美しい親友を眺めやり、この男にも救いが必要なのかもしれない……ふと、そんな気持ちにさせられた。
「ヴィーも魔法をかけてもらえばいい。そうすれば俺の気持ちが判る」
「俺もティカを愛してしまったら、俺達はライバルになるのか?」
シルヴィーは噴き出した。とんだ茶番だ。
「もしそうなったら、俺はアンタの魔の手から、ティカを守るだろう」
ヴィヴィアンは憮然とした。
「あのね……子供に手ぇ出すわけないだろ」
「信用できない」
「失礼な奴め。未成年なんて抱いたことない。興味もない」
「ほう」
「なぜ疑う。事実だ」
「日頃の行いのせいだな」
ヴィヴィアンはふて腐れたように肩を竦めてみせた。
「すいませんね。どうせ俺は、シルヴィーと違って愛すらお金で買いますよ」
ティカは毎晩、こんな男と同じ部屋で寝ているのか。危険極まりない。
「頼むから、ティカには手を出さないでくれ」
「あのね……子供には手ぇ出さないって言ったろ」
「絶対だな?」
「くどい。しかし友よ、きっかけが何であれ、愛する気持ちを思い出してくれて嬉しく思うよ」
シルヴィーは意表を突かれて、ふいと視線を逸らした。この幼馴染も同然の親友は、シルヴィーの暗い過去を知っている。
互いに抑圧された子供時代を送ってきたが、内に籠るシルヴィーの方が人間不信ぶりは重傷だった。ヴィヴィアンと無限海に飛び出して五年経った今も、基本的に船の仲間以外は誰にも心を許せない。
航海と共に心身は癒されても、氷ついた奥深い心の片隅までは溶けなかった。
それなのに……
魔法にかけられた途端、翳った心の隅にまで、暖かな日射しが降り注いだ。ティカのおかげで、ゆっくりと、氷塊し始めたのだ。
誰かを愛する気持ち。
そんな暖かい感情は、十六歳の頃に失くしたと思っていた。
しかし――
眼を閉じて、深い眠りについているティカを見ていると、かつて失くした暖かな感情がとめどなく溢れてくる。こうして寝顔を見つめているだけで癒される。
今まで何とも思っていなかった少年が、今ではシルヴィーの世界の中心で
ティカが望むのなら、どんな小さな願いでも叶えてやりたい。
この小さな少年の、ありとあらゆる不安を排除し、傍で守ってやりたい。ティカが愛しい。
果たして、この感情に名前をつけるとすれば、何がふさわしいのだろう?
兄弟愛、友愛、師弟愛……
そのどれもが当てはまり、また決定的ではないような気もする。
しかし――恋愛。それだけはないはずだ。異性愛主義者ではないが、過去に同性、それも子供に欲情したことなどない。
ティカを傷つけたくない。慈しみ、優しさだけを与えたい。
とはいえ、ティカにキスして欲しいと言われた時、つい唇を見つめてしまった。ティカがあからさまに震えたから、その考えをすぐに捨てたけれど……
ティカがもし視線を逸らさなければ、唇に口づけることを躊躇わなかっただろう。
魔法にかけた他の二人は、ティカのことをどう思っているのだろう……彼等は何度かティカの面会を求めて
理屈抜きに心を奪われる。凄まじい酩酊感。
これがもし、万人に通用するのなら、
むやみに使うような魔法ではない。なぜこんな魔法が、無限幻海に眠っていたのだろう。一体誰が、どんな意図で……
ティカを愛する一方で、シルヴィーは冷静に状況分析していた。
まだ子供らしい、柔らかな頬を手の甲で撫でながら、己の気持ちの変化を客観的に見つめ、無限幻海の魔法について考え、また航行にも注意を怠らない。
懸念事項を同時にいくつも処理している。いつものように。
それでも圧倒的に心を占めるのは、やはりティカの存在だ。殆ど無意識に、閉じられた瞼の上にキスを落とした。
「シルヴィー……」
よりによってその光景を、ヴィヴィアンに見られたが、シルヴィーは表情を変えずに振り向いた。
「静かに。ティカが眼を覚ます」
「友よ。お前、本当にシルヴィーか?」
「あぁ」
ヴィヴィアンはわざとらしく眼を擦って見せた。
「俺の眼には、シルヴィーがティカを愛しているように見えるんだが……」
「愛している」
真顔で応えると、ヴィヴィアンは沈黙した。美しい親友を眺めやり、この男にも救いが必要なのかもしれない……ふと、そんな気持ちにさせられた。
「ヴィーも魔法をかけてもらえばいい。そうすれば俺の気持ちが判る」
「俺もティカを愛してしまったら、俺達はライバルになるのか?」
シルヴィーは噴き出した。とんだ茶番だ。
「もしそうなったら、俺はアンタの魔の手から、ティカを守るだろう」
ヴィヴィアンは憮然とした。
「あのね……子供に手ぇ出すわけないだろ」
「信用できない」
「失礼な奴め。未成年なんて抱いたことない。興味もない」
「ほう」
「なぜ疑う。事実だ」
「日頃の行いのせいだな」
ヴィヴィアンはふて腐れたように肩を竦めてみせた。
「すいませんね。どうせ俺は、シルヴィーと違って愛すらお金で買いますよ」
ティカは毎晩、こんな男と同じ部屋で寝ているのか。危険極まりない。
「頼むから、ティカには手を出さないでくれ」
「あのね……子供には手ぇ出さないって言ったろ」
「絶対だな?」
「くどい。しかし友よ、きっかけが何であれ、愛する気持ちを思い出してくれて嬉しく思うよ」
シルヴィーは意表を突かれて、ふいと視線を逸らした。この幼馴染も同然の親友は、シルヴィーの暗い過去を知っている。
互いに抑圧された子供時代を送ってきたが、内に籠るシルヴィーの方が人間不信ぶりは重傷だった。ヴィヴィアンと無限海に飛び出して五年経った今も、基本的に船の仲間以外は誰にも心を許せない。
航海と共に心身は癒されても、氷ついた奥深い心の片隅までは溶けなかった。
それなのに……
魔法にかけられた途端、翳った心の隅にまで、暖かな日射しが降り注いだ。ティカのおかげで、ゆっくりと、氷塊し始めたのだ。