メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

3章:古代神器の魔法 - 3 -

「ティカ……?」

 ヴィヴィアンの声で我に返った。
 さっきまで在った、淡い光はどこにも見当たらない。淡い光の正体、古い魔法は、ティカの身体の中に入り込んでしまったのだ。
 外見は同じだけれど、以前とは何かが違う。あの淡い光――魔法と融合して、ティカは新しく生まれ変わったのだ。
 頭の中に、十四年間生きてきたティカの記憶と、古い魔法のもたらす記憶が混在している。

「どうした?」

「僕、すごい魔法を手に入れたのかも……」

「うん?」

 手に入れた魔法のおかげで、秘されたこの世界の真実がおぼろながら判る。
 遠い昔、偉大な双子の精霊――アシュレイとアンジェラは、仲違いする二つの大国を海と空に分けた。
 すなわち――
 無限海に浮かぶティカの母国、ガロ=セルヴァ・クロウ連合王国――通称ロアノスと、無限空に浮かぶ、バビロン帝国だ。
 二つの世界は、エーテルが大気に満ちて、巨大な光のを成した時にだけ、繋がると言われている。発生する場所や時間の特定は難しく、限られた者しか通れないとも。
 しかし、ティカは二つの魔法を手に入れた。
 一つは全ての界に繋がる光の環を自由に開くことのできる魔法。バビロンも然り。自由にバビロンへ行き来できるのなら、この魔法を皆が欲しがるのではないだろうか。
 そしてもう一つの魔法、心を手に入れる魔法――メル・アン・エディール……

「どうしよう」

 ティカは泣きそうな顔でヴィヴィアンを見上げた。

「どうした? 大丈夫か?」

 ヴィヴィアンは強張った顔でティカを見下ろしている。

「本当に、すごい魔法を手に入れちゃったのかも……あぁぁ、でも僕、使い方判らない。やっぱりキャプテンが、あの光に触れるべきだったんだっ!」

 強大な魔法を手に入れても、使えなければ意味がない。頭の中に膨大な知識があるのに、有効活用する自信がない。きっとヴィヴィアンなら、瞬く間に使い方を導き出すだろうに。

「落ち着いて、ティカ。怪我はしてない?」

 ヴィヴィアンは宥めるようにティカの両肩に手を置いた。

「あ、アイ」

「どこも痛くない?」

「アイ」

「気分は? 平気?」

「アイ」

「よし。じゃあ、深呼吸して」

 言われた通り、何度か深呼吸を繰り返すうちに、いくらか頭は冷えた。ティカなりに、今起きた摩訶不思議な経験を、ヴィヴィアンに伝えようと口を開いた時――
 ゴォン、ゴォン……ッ
 不気味な地響きが聞こえてきた。
 嫌な予感がする……ティカは強張った顔でヴィヴィアンを見上げた。
 小島をぐるりと囲む分厚い海水の壁が、包囲圧迫するように迫ってきた。

「――まずい。無限幻海が閉じようとしている」

「水が迫ってきてるっ!」

「話は後だ」

 ヴィヴィアンは背を向けて「乗れ!」と叫んだ。ティカが慌てて飛びつくと、ロープで胴を固定するなり、ホバーボードに飛び乗る。
 海面は遥か頭上だ。
 あんな絶壁をホバーボードで駆け上がれるのだろうか? ティカは心配になったが、ヴィヴィアンは瞬く間にエーテルを燃やし、環を起こすと共に強烈な上昇気流を生み出した。

「しっかり掴まってな!」

 足元から突き上げるような風が吹く。風の弾丸に押し上げられて、ヴィヴィアンとティカは、勢いよく海の絶壁を駆け上がった。しかし海の壁もすごい速さで迫ってくる。
 ティカは必死に祈った。
 間一髪。ついに海面へ飛び出した瞬間、広い碧空が視界いっぱいに広がり、無限幻海に開いた巨大な口は閉じた。
 ドドォ――ッ!!
 膨大な量の海水がぶつかり合い、激しく重たい音が響き渡った。

「ふぅー……」

 流石のヴィヴィアンも、安堵の息を吐いている。ティカも激しく肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返した。本当に死ぬかと思った!

「ティカ、生きてる?」

「生きてます」

 まだ心臓がドキドキしている。ティカの激しい動悸とは裏腹に、無限幻海は穏やかに凪いでいる。今さっきの騒々しさは、既に欠片もない。
 ヘルジャッジ号も、ブラッキング・ホークス海賊団も、ビスメイル艦隊も、どこにも見当たらない。果てしなく続く大海原と、まろやかな水平線が彼方に見えるばかりだ。

「採取したんだ。あとで鑑定してみよっと」

 ヴィヴィアンは小瓶に詰めた砂を見て、嬉しそうに笑った。ティカもつられて笑う。じわじわと……無事に生還した喜びと達成感が胸にこみ上げてきた。

「僕、こんな冒険、生まれて初めてしました」

「自慢していいよ」

「キャプテンのおかげです」

「こっちの台詞だよ」

 ヴィヴィアンは振り向いて、背負ったティカを見上げた。青にも紫にも見える瞳が、喜びを灯して金色に煌めいている。