メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

3章:古代神器の魔法 - 2 -

 ティカは泣きそうな顔でヴィヴィアンを見上げた。

「……冗談だよ」

 ヴィヴィアンはすぐに手を離して微笑んだが、ティカには冗談に聞こえなかった。
 しかし、火傷は怖いが、ヴィヴィアンの期待に応えたい気持ちもある。
 そもそもヘルジャッジ号に乗せてもらえたのは、ティカの眼の前で、無限幻海の“鍵”、羅針盤の針が振れたからだ。
 ヴィヴィアンは行き場のないティカに、居場所をくれた。ここまで連れてきてくれた。今こそ役に立つ時かもしれない……
 覚悟を決めると、淡い光に向かって手を伸ばした。

「ティカッ」

 あと少しというところで、後ろからヴィヴィアンに肩を抱かれ、引きずり離された。

「危ないだろっ!?」

 ヴィヴィアンは珍しく慌てたように怒鳴った。

「僕、触ってみます」

「駄目、危ないから。ちゃんと調べてからだ」

 ティカは微笑んだ。

「ちょっと火傷するくらい」

 ヴィヴィアンの隙をついて、素早く腕を伸ばした。彼の為というよりも、なぜか光に触れたくてたまらなくなっていた。
 触れた途端、光は急速に膨れ上がり、ティカの全身を包み込んだ。身体は金色に光り、燃えるように熱くなったが、痛みはない。
 唐突に、膨大な量の情報が、頭の中に洪水のように流れ込んできた。

「うわ……」

「ティカ!?」

 眼を開いているはずなのに、ヴィヴィアンの姿も、海の絶壁も何も見えない。その代わり、太古の精霊の世界――美しい精霊の姿が見える。
 顔のよく似た、対の男女……
 白に近い銀色の髪、金色の星屑を散らした青い瞳、陶器のような肌……この世にあらざる美貌だ。
 背には、透き通った六枚の羽を持っている。
 彼等こそ、宇宙を創り給う唯一無二の天上始祖精霊マナ・ネス・リール――アンフルラージュの子供達、天下始祖精霊マナ・マク・リール。精霊界を治める双子の精霊王だ。
 時代の節目に立ち、二人はとある決断を下そうとしていた。

“アンジェラ、私はもう人間を許せません”

“そうね……仕方ないわ。今は、精霊界ハーレイスフィアの扉を閉じましょう……”

“――今は? いいえ、アンジェラ。未来永劫、私は開くつもりはありません”

“アシュレイ、そんなことを言わないで。地上ハロビアンの世界もとても素敵よ……私は、彼に出会えて、とても幸せだったもの……いつかまた、彼等と笑える日がくる”

“愚かなことを……諦めなさい、アンジェラ。私も二度はありませんよ”

“いいえ、アシュレイ。いつかきっと”

“無駄です、アンジェラ”

“信じて、アシュレイ。一滴の希望を地上に残すわ……界渡りのを開く魔法。怨嗟の輪から外れた者が、この魔法に触れた時、可能性は生まれるのよ”

 穢れをそそいでも、すぐにまた、空は濁り、海は穢れていく……
 果てのない人間の争いを治めることに、精霊王は限界を感じていた。
 この未熟な世界を守る為に――
 哀しげに瞑目したアンジェラは、再び瞳を開けると、世界を賄えるほどの霊気を振り絞り、巨大な魔法を生み出さんとした。

“アンジェラ! 霊気を使い果たすつもりですか? そんなことをしても無駄ですよ、怨嗟に染まらぬ人間がいるものですか”

 人間に心を寄せ、無謀な真似をする双子姉のことを、アシュレイは心から心配していた。

“判らないわ……いつか、時が流れて……きっと誰かが気付いてくれる”

“たとえ聖者が手にしても、よこしまな者に引き裂かれてしまう”

“そうね……魔法を手にする者を、守る魔法も必要だわ。こうしましょう。相手の名前を呼んで、メル・アン・エディール――貴方は私のもの――と囁けば、その者の心を手に入れられるの。この魔法を、無限に続く空と海に分けた二つの世界、それぞれに落とすわ。一つは空の上に、一つは海の底に……”

“どうして、そこまで地上を気にかけるのです……”

 悲しそうな顔をするアシュレイを見て、アンジェラもまた表情を曇らせた。

“アシュレイがそんなにも人間を嫌ってしまったのは、私のせいね……ここにも、一滴の希望が必要だわ”

 つと繊手を伸ばし、アンジェラはアシュレイの胸を指で突いた。

“ここって、精霊界に?”

“そうよ。一つは地上の空に、一つは地上の海に、一つは精霊界に……三つの世界に魔法を落とすわ”

“アンジェラ……私は救って欲しいだなんて、思っていませんよ”

“いいえ、必要だわ。どれだけ時間がかかっても、変えたいのよ”

 強い意志を秘めた瞳を向けられて、アシュレイも口を閉ざした。せめて、少しでも彼女の負担が和らぐように、霊気を放出して魔法の創造に力を貸す。
 かくして、恐いほど純粋な霊気、高圧凝縮された魔法が誕生する。
 三つの強大な魔法を、アンジェラはそれぞれの世界に落とした。

“あぁ……疲れたわね。私も貴方も、休暇が必要だと思わない?”

“全く、無茶をする……”

“アンフルラージュも待っているわ……少し休みましょう”

 くずおれるアンジェラの身体を、労わるようにアシュレイは支えた。
 そこで一方的な映像は途切れた。美しい精霊の姿はもう見えない。

 ティカは、呆然と小島の上で立ち尽くしていた――