メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

1章:出会いと出航 - 4 -

 ティカは、叫んだあとに、サーシャに小舟にしろと注意されたことを思いだした。
 ヘルジャッジ号は小舟どころか、全長百十メートルもあるし、絶対に近づくなといわれた海賊船だ。
 だけど、この船にどうしても乗りたい!
 キャプテンはとびっきりお洒落だし、いい靴を履いているから、どうか許して欲しい。
 彼は、首から下げた懐中時計の蓋を開けて、穴があくほど凝視し……そのまま固まったと思ったら、勢いよく顔をあげた。
「針が動いた!」
「えっ!?」
 両肩を掴まれて、鬼気迫る表情に見下ろされ、ティカはふるあがった。
「名前は?」
「えっ、ティカ」
「俺はヴィヴィアン。よろしく、ティカ」
 なんということ――ティカは心臓のあたりを両手で押さえた。
「やっぱり! あなたがエステリ・ヴァラモン海賊団の、キャプテン・ヴィヴィアンッ!?」
「いかにも。いいよ、乗せてあげる」
 ヴィヴィアンは万人を魅了するであろう、世にも美しい笑みを浮かべた。
「「えっ」」
 何とも気安い返事に、ティカとサディールは同時に声をあげた。
「キャプテン、落ち着いてくださいよ。こんなガリガリの子供を乗せて、何をさせるつもりですか?」
「水夫はどう? 人手が欲しいといっていたよね」
「俺は今にも倒れそうなガキが欲しいわけじゃなくて、渡航慣れした即戦力が欲しいんです」
「この間乗せたオリバーだって、十四歳だよ」
「あいつは商船経験があったでしょう」
「ぼ、僕、十四歳です!」
 テンポよく弾む会話に、ティカは挙手して割りこんだ。どうか乗船させて欲しい。すがるように男達を見あげると、サディールは腰に手を当てて、じろじろとティカの全身を眺めまわした。
「坊主、船に乗った経験は?」
「ありません」
「どこに住んでるんだ?」
「山向こうの幸福館です」
「孤児院じゃねぇか。キャプテン、家出したガキなんか乗せたら、後々面倒ですよ」
「い、家出じゃない! サーシャにいわれて、今日は絶対に仕事をもらうつもりで、ここへきたんです! 幸福館にいても、恐い商業船に乗せられてしまう。だから、あなた達の船でどうか働かせてください!」
「――何の騒ぎだ?」
 また新しい男がやってきた。
 肌の白い、きりっとした碧眼の綺麗な男だ。柔らかそうな黒髪を後ろで一つに結わき、長めの前髪だけ両サイドに流している。
 上はシャツ一枚だけど、すごく清潔そうだし、立派なバックルと拍車のついたブーツを履いている。
 他の船に出入りする船乗り達は、もっとずっと薄汚れた格好をしているのに、彼もヴィヴィアンも大したものだ。
「シルヴィー、この子はティカ。今日から船に乗せるから」
「はぁ?」
 シルヴィーと呼ばれた男は目を剥いた。
「この子、すごいんだ」
「何が?」
 ヴィヴィアンはシルヴィーの首に腕を回して背を向けると、内緒話をするようにシルヴィーの耳にひそひそと何事か囁いた。
 どうも雲行きが怪しい……
 今のところ、ティカの乗船に賛成しているのはヴィヴィアンだけだ。この船で一番偉い人が、それも無限海の大海賊がティカを乗せようといっているのだから、上手くいくと信じたいけれど……
「ヴィー、寝ぼけているのか? こんな子供が何だっていうんだ。こんな……」
 シルヴィーのティカを見る眼差しは、孤児院の大人達にそっくりだった。憐みと蔑み。こういう目をされると、大抵よくないことが起きる。
 三人の大人に囲まれて、ティカはドキドキしながら身体を縮めた。
「おい坊主、高いところは登れるか?」
 サディールに声をかけられて、ティカはぶんぶんと首を縦に振った。
 ティカは足も速いが、高い所に登るのも得意だ。幸福館の庭にある大きな木なら、誰よりも速く登れる。
「お、自信ありそうだね。いつものやらせてみるか」
「そうしますか」
 サディールはティカの背中を小突いて、タラップを登るよう促した。さっきまで甲板かんぱんに誰もいなかったのに、今は数人の水夫達が、興味深そうにこちらを見つめていた。