メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

17章:極光蚕白の涙 - 6 -

 騒動の二日後、ヴィヴィアンたちは再び隠れ家に集まった。
「アダムは更迭された」
 シルヴィーの報告に、ヴィヴィアンは頷いた。
 王室の一大不祥事である。対応を余儀なくされた権威者たちが、アダムという謀反の芽もろとも摘み取った可能性は十分に考えられた。
 押し黙るティカの頭を、ヴィヴィアンは優しく撫でた。
「アプリティカで人身売買は、もうできないよ。この件に関して、セルヴァ王と取引をしたからね」
 今回、最小限の被害で事件を収めることができたのは、ヴィヴィアンの名声と権威が功を奏したこともあるが、優秀な幹部乗組員たち、とりわけシルヴィーとユヴェールの活躍に因るところが大きかった。彼等は、行政当局や王室関係者の間を奔走し、事件が公にならぬよう最大限に取り計らったのだ。
 セルヴァ国の権威者、アダム・バッスクール商会とも長時間対談し、お互いの利益と主張をどうにか融和させ、妥協点を見つけるに至った。
 その労力たるや尋常ならざるもので、シルヴィーの表情は少々、いや大分疲れて見える。
 ティカは感謝と尊敬の目で彼等を順番に見たあと、最後にじっとヴィヴィアンを見つめた。一時はどうなることかと思ったが、最後は円満解決である。裏競売会の件で、彼に英雄崇拝の念を抱き、勝手に落胆する身勝手さを嫌悪したばかりだというのに、やはり彼は万能の魔法遣いではないかしらと思ってしまう。
「ん?」
 青金石色ラピスラズリの瞳と遭うと、ティカは表情を改めた。
「ありがとうございます、キャプテン。アダムのこと……迂闊に手をだせる相手じゃない、喧嘩を売ったら、国同士の戦争になりかねないっていっていたのに……」
 ヴィヴィアンはほほえみ、ティカの頭を撫でた。
「向こうから喧嘩を売ってくるなら、話は別さ。俺は面倒事は嫌いだけど、撃鉄を起こすのが嫌なわけじゃない」
 ティカは眉間に皺を寄せ、難しげな顔で頷いた。しかめ面の眉間をヴィヴィアンが指でつつくと、
「僕、もうお給料はいりません」
 ティカは眉間を手で押さえながらいった。唐突な宣言に、皆が目を丸くする。
「なんでだよ?」
 ロザリオが面白がるように突っこむと、ティカは悄然しょうぜんと肩を落とし、
「この船のお金を、いっぱい使わせちゃったから……」
 思わず、その場にいた全員が和んだ。
「いいから、もらっておけよ」
 ロザリオが笑っていうと、
「じゃあ貯金して、シルヴィーに渡します」
 と、大真面目にティカ。シルヴィーは声にだして笑った。
「気にする必要はないが、まぁ、倹約家を心がけるのは悪いことじゃない。頑張れよ」
「アイ!」
 ヴィヴィアンはティカを抱きしめて、黒髪にキスを落とした。
「ああもう、なんてかわいいんだろう! 本当にもう……ティカは俺の癒しだよ……」
「ヴィー」
 キスされそうになり、ティカは慌てて腕のなかから逃げようとした。ヴィヴィアンはかわいくて仕方ないというように、ティカを構ってくる。
 シルヴィーは大きな音で咳払いをし、調査書類をテーブルに広げた。
「これを見てくれ。アマディウスのおかげで有力な情報を掴んだ」
「何?」
 ヴィヴィアンはティカの肩に両腕を搦めつつ、紙面に目を注いだ。
「リバーテンプル国でクーデターを起こし、十日で国家転覆した国がある。情報によると、国衛軍は火炎を吹く三つ頭の獣・・・・・に襲われたそうだ」
 シルヴィーの説明に、全員がはっとなった。
「そうだ。俺たちが見た合成獣キメラに、酷似していると思わないか?」
 ロザリオを含め、この場にいた誰もが、つい先日の壮絶な戦いを思いだしていた。
「魔獣を提供したのは、オーディルニティなの?」
 ヴィヴィアンが訊ねると、シルヴィーは頷いた。
「恐らく。リバーテンプル国に多額の資金援助をしている“銀の糸紡ぎ”という組合があり、オーディルニティが関与していると思われる」
「他に情報は?」
「判らない。皇子もいっていただろう、鉄の戒律に守られた、機密管理の厳重な結社だと」
 シルヴィーは難しい表情でしめくくった。
「オーディルニティは、何の目的があってビスメイルと手を組むんだ?」
 ロザリオが口を挟んだ。ヴィヴィアンは彼を見、
「ビスメイルは、海の治安を名目に、海賊を粛清すると謳っているようだが、合成獣キメラの宣伝にちょうどいい舞台と思っているのだろう。威を見せつけて、世界規模で商売を始めるつもりだ」
「証拠があります」
 と、ユヴェールはさる文書の写しをさしだした。セルヴァ国からの提供によるものだ。王族の身内による不始末が外部に漏れぬよう、現国王は情報を差しだす代わりに、ガロに沈黙を迫ってきたのである。
 ユヴェールはさらにこう続けた。
「これは、さる最高の方面から入手した、秘密条約文の写しです。ここにビスメイル幹部の名前が記されているのです」
 ヴィヴィアンは頷き、
「アダムの不始末は隠し遂せたけど、合成獣キメラ製造の噂は、情報網のある権威者間には広まってしまったんだよね……偶然を装っているが、意図的な情報操作に見える。盗んでくださいといわんばかりに、ビスメイルが高額の資金移送をスナプラ島で行うという噂が、都合よく海底電信で傍受されたわけだ」
「これは罠だ」
 シルヴィーは断言した。
「だろうね。ビスメイル至上主義による、いつもの権力誇示だと思うよ。仮に粛清の話が本当だとして、ビスメイルが粗野磊落そやらいらくな海賊陣営につくとは思えない」
 ヴィヴィアンの見解に、誰も異を唱えなかった。
 ロアノス三国同盟を尊重するように見せかけて、ビスメイル帝国の立場を決定的なものしたいのだろう。海におけるビスメイル海軍が、ロアノス連合王国の率いる海賊団に比して優勢となれば、この先の制海権にも強く影響を及ぼすことは想像に難くない。
「海軍と一緒になって、ロアノス諸共、俺たちを沈めにきそうだよね」
「だな。手をとって協力しあうより、よほど現実的に聞こえる」
 シルヴィーが返す。
「ただ、ジョー・スパーナは異常なほどティカに執着しているから、行動が読めないところがある」
 ヴィヴィアンはティカの髪を撫でながらいった。
「もうすぐ船の修理が終わる。無視して、西海へいけばいいんじゃないか?」
 シルヴィーの言葉に、それがいい、とロザリオとサディールも同調したが、ヴィヴィアンは肩をすくめてみせた。
「そうしたいところだけど、兄さんには大きな借りができちゃったからなぁ……この国の海軍省や最高首脳者たちの憂慮を知っていて、正反対に舵を切ることはちょっと難しいな」
 海賊が軍艦をのっとり、勝手に動かすというのは前代未聞の珍事であり、ヴィヴィアンでなければ、厳罰を受けても文句はいえない暴挙である。
「やれやれ、アプリティカの買い物が高くついたな」
 いささかくたびれたように、シルヴィーは答えた。
「ま、仕方ない。シルヴィーだって、母君の故郷に愛着が全くないわけじゃないだろう?」
 不服そうに黙る親友の肩を、ヴィヴィアンは気安い仕草で叩いた。
「愛する祖国のためだ。ね、シルヴィー? 西海を渡る前に、ロアノスの心痛を慮って、一つ大きな貸しを作っておこうじゃないか」
 ヴィヴィアンは微笑を湛えてとりなす。
「あんたの突発的な行動のせいな気もするが……まぁ、いいさ。愛する祖国に、貸し一つだな」
 シルヴィーは諦めたように頷いた。