メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -
17章:極光蚕白の涙 - 5 -
「魔法……?」
ティカは茫然と呟いた。
誰もが、不思議な情景に目を奪われていた。眩い光のなか、オデッサの横たわる床板の上に、草花が芽吹いて拡がってゆく。
失われた世界、精霊界 の魔法だ。
一同が息をのんで見守るなか、やがてオデッサの閉じた瞼がぴくりと震え、ゆっくりともちあがった。世にも稀な極光蚕白 の瞳から光が零れだす。
「……ティカ?」
ティカは感極まって、オデッサの首にかじりついた。
「オデッサ!!」
「あれ? 私……?」
オデッサは戸惑ったように手を伸ばし、ティカのぼさぼさの黒髪を撫でた。
「……生きてる?」
「うえぇんっ、よかった、オデッサ! 生きてる! オデッサ!!」
頬に色のさしたオデッサの顔を見つめて、橙 の双眸に、新たな涙がもりあがった。
「また会えたね、ティカ」
こぼれ落ちるティカの涙を指で拭いながら、オデッサも潤んだ瞳でいった。ティカはオデッサの手を両手で掴むと、何度も、何度も頷いた。
「ティカ、ありがとう……あなたのおかげ、私を見つけてくれて、ありがとう……っ」
美しいオデッサの声。海のように澄んでいて、何人も奪うことのできぬ聖者の声。時を超え、現世のしがらみから解放された、穢れなき声だ。
その時、オデッサの後ろに女神が見えた。
海青水色の髪と瞳をもつ女神――アトラスがほほえむのを見た瞬間に、ティカは天啓を悟った。
オデッサ。命が芽吹くように、人の手で造られしもの。アトラスに愛されし海の化身。彼女もまた、地上 と精霊界 の架け橋なのだ。
奇跡の瞬間を間のあたりにして、海賊たちは畏怖の念を覚えずにはいられなかった。お互いに抱き合い、口笛に指笛、割れんばかりの拍手喝采を二人へ贈った。
「良かったなぁ、ティカ、オデッサ!」
「女神様の思し召しだ!」
ヴィヴィアンはティカの黒髪を撫でていった。
「オデッサは天から贈り物を授かったんだね。女神の祝福を受けて、人魚として生き返ったんだ」
超現実主義のシルヴィーも、奇跡の光景を疑うことはできなかった。戸惑いながらも笑みを浮かべ、オデッサの生還を言祝 いだ。
「お帰り、オデッサ」
ティカは笑顔でいった。その瞬間、オデッサは目頭が熱くなるのを感じて、激しく瞬きをした。どんな恐怖の時にも、泣くことはなかったのに、今この瞬間、どうしても涙をこらえることができなかった。
「うん……もう、だめだと思った……っ」
顔を俯けるオデッサを、ティカは両腕で抱きしめた。彼女も強い力でしがみついてきた。この時二人は、姿はまるで違うお互いのことを、まるで家族のように感じていた。
「ありがとう、オデッサ。生きていてくれて」
「ティカのおかげだよ! ありがとう……っ」
二人はひとしきり抱き合い、慰めあい、ようやく満足すると体を離した。泣きすぎてお互いに目が真っ赤だ。
「……ティカ、大好き」
オデッサは小声で囁いた。いったあとで照れたらしく、目を瞬くティカから、視線をそらした。
「僕も大好きだよ!」
ティカはにっこりしていった。オデッサは真っ赤になり、少女らしく恥ずかしそうに髪をいじり、にこにこしているティカをちらっと見たあと、首を伸ばしてティカの頬にキスをした。
「またね」
そういって逃げるようにして海のなかへ潜った。ティカが慌てて腕を伸ばすと、ヴィヴィアンが後ろから抱きしめてきた。
「大丈夫だよ。またね、っていってただろう?」
「あ、そうか……」
ティカはふぅと息を吐いて、振り向いた。一部始終を見ていた兄弟たちは、にやにやしていた。ティカは照れ臭げにそっぽを向こうとし、甲板に這いつくばっているアマディウスに目を留めた。
「……どうしたんですか?」
「信じられない。蚕白 だよ」
「蚕白 ?」
ティカは首を傾げた。
「人魚の涙、極光蚕白 だよ!」
彼は興奮気味に叫ぶと、摘まんだ石を掌にのせ、皆に見えるようにした。どれどれ、とヴィヴィアンたちは顔を寄せて覗きこむ。
それは、誰もお目にかかったことのない、奇跡の宝石だった。
半透明乳白色の石のなかで、色彩が躍っている。暖炉の焔、或いは黄昏、海水青色、新緑といった遊色効果が目まぐるしく現われ、まるで精霊たちが魔法で戯れているようだ。
「これは美しい……」
ユヴェールは感心したように呟いた。目を奪われている面々を見て、ティカは少し心配になった。
「お願い、その宝石がオデッサの涙だってことは、誰にもいわないで」
「もちろんですよ、カーヴァンクル商会の入手経路は企業秘密ですから」
そういってユヴェールはほほえんだ。さらにアマディウスが、満悦そうにこうつけ加えた。
「世界に二つとない、貴重な宝石だよ? 当面は僕のコレクションにするさ」
船は制圧したが――
戦闘のあとの甲板は悲惨だ。銀色の月光が、血と砂利の入り混じった甲板を、黒々と照らしている。
三つ首の巨大な怪物、その獣にやられた海賊たち。ティカの仲間も何人かやられている。
負傷者も多く、医師のキーラを筆頭に、ユヴェールやプリシラたちが看護に奔走しており、ヴィヴィアンやシルヴィーたちも、休むことなく人員被害や船の状態、航路の確認をして回っている。
アダムの快速帆船は港を目指して既に転舵しているが、見るからに満身創痍で、望み通りの風が吹いていても、受ける帆には穴が空いている有様だ。
もはや逃げ道はない――堅牢な軍艦に牽引され、強制的に進路を湾に固定されている。
アダムは手当を受けたものの、枷をつけられた状態で、個室に隔離されている。これからパージ軍港の拘置所に捕らえられ、尋問を受けることになるだろう。
ティカは夜空のした、船縁に背をあずけて甲板に座りこんでいた。疲れてへとへとではあるが、オデッサが心配で、海が見える場所にいたかった。それに、騒がしい甲板にいると心が落ち着く。
甲板では、キーラが脳の切開手術の真っ最中で、その様子を、兄弟たちが悲鳴をあげたりしながら眺めている。
ヘルジャッジ号の日常を連想しながら、ぼんやり夜の海を眺めていると、海面からオデッサがひょっこり顔をだした。
「オデッサ!」
ティカは弾かれたように手を振った。オデッサも白い手を振って応えてくれる。
(もしかして、呼んでくれた? ごめんね、泳ぐのに夢中だったの)
オデッサはすまなそうにいった。ティカは思わず笑顔になり、
(そう、良かった……)
海に囁き返した。互いを案じる、暖かな気持ちが行き交う。
(お休みなさい、ティカ。また明日)
(うん! お休み、オデッサ……)
オデッサが寝床を探しに海にもぐると、ティカは深い安堵を覚えると共に、今日一番の疲労感に襲われた。
もう目を開けていられない。瞼が勝手におりてくる……だけど、ちょっと煩い。おお、喋ったぞ!? と、興奮気味に兄弟が叫んでいる。
どうやら、脳手術がうまくいったようだ。陥没した頭蓋を、どのようにして治すのだろう? 一体、どんなことを喋ったのだろう?
夢現 に考えていると、心地良い浮遊感に包まれた。優しい温もり、大好きなシトラスの匂い……ヴィヴィアンが傍にいる。
「お休み、ティカ」
穏やかな声を聴きながら、ティカは眠りへと誘われた。
ティカは茫然と呟いた。
誰もが、不思議な情景に目を奪われていた。眩い光のなか、オデッサの横たわる床板の上に、草花が芽吹いて拡がってゆく。
失われた世界、
一同が息をのんで見守るなか、やがてオデッサの閉じた瞼がぴくりと震え、ゆっくりともちあがった。世にも稀な
「……ティカ?」
ティカは感極まって、オデッサの首にかじりついた。
「オデッサ!!」
「あれ? 私……?」
オデッサは戸惑ったように手を伸ばし、ティカのぼさぼさの黒髪を撫でた。
「……生きてる?」
「うえぇんっ、よかった、オデッサ! 生きてる! オデッサ!!」
頬に色のさしたオデッサの顔を見つめて、
「また会えたね、ティカ」
こぼれ落ちるティカの涙を指で拭いながら、オデッサも潤んだ瞳でいった。ティカはオデッサの手を両手で掴むと、何度も、何度も頷いた。
「ティカ、ありがとう……あなたのおかげ、私を見つけてくれて、ありがとう……っ」
美しいオデッサの声。海のように澄んでいて、何人も奪うことのできぬ聖者の声。時を超え、現世のしがらみから解放された、穢れなき声だ。
その時、オデッサの後ろに女神が見えた。
海青水色の髪と瞳をもつ女神――アトラスがほほえむのを見た瞬間に、ティカは天啓を悟った。
オデッサ。命が芽吹くように、人の手で造られしもの。アトラスに愛されし海の化身。彼女もまた、
奇跡の瞬間を間のあたりにして、海賊たちは畏怖の念を覚えずにはいられなかった。お互いに抱き合い、口笛に指笛、割れんばかりの拍手喝采を二人へ贈った。
「良かったなぁ、ティカ、オデッサ!」
「女神様の思し召しだ!」
ヴィヴィアンはティカの黒髪を撫でていった。
「オデッサは天から贈り物を授かったんだね。女神の祝福を受けて、人魚として生き返ったんだ」
超現実主義のシルヴィーも、奇跡の光景を疑うことはできなかった。戸惑いながらも笑みを浮かべ、オデッサの生還を
「お帰り、オデッサ」
ティカは笑顔でいった。その瞬間、オデッサは目頭が熱くなるのを感じて、激しく瞬きをした。どんな恐怖の時にも、泣くことはなかったのに、今この瞬間、どうしても涙をこらえることができなかった。
「うん……もう、だめだと思った……っ」
顔を俯けるオデッサを、ティカは両腕で抱きしめた。彼女も強い力でしがみついてきた。この時二人は、姿はまるで違うお互いのことを、まるで家族のように感じていた。
「ありがとう、オデッサ。生きていてくれて」
「ティカのおかげだよ! ありがとう……っ」
二人はひとしきり抱き合い、慰めあい、ようやく満足すると体を離した。泣きすぎてお互いに目が真っ赤だ。
「……ティカ、大好き」
オデッサは小声で囁いた。いったあとで照れたらしく、目を瞬くティカから、視線をそらした。
「僕も大好きだよ!」
ティカはにっこりしていった。オデッサは真っ赤になり、少女らしく恥ずかしそうに髪をいじり、にこにこしているティカをちらっと見たあと、首を伸ばしてティカの頬にキスをした。
「またね」
そういって逃げるようにして海のなかへ潜った。ティカが慌てて腕を伸ばすと、ヴィヴィアンが後ろから抱きしめてきた。
「大丈夫だよ。またね、っていってただろう?」
「あ、そうか……」
ティカはふぅと息を吐いて、振り向いた。一部始終を見ていた兄弟たちは、にやにやしていた。ティカは照れ臭げにそっぽを向こうとし、甲板に這いつくばっているアマディウスに目を留めた。
「……どうしたんですか?」
「信じられない。
「
ティカは首を傾げた。
「人魚の涙、
彼は興奮気味に叫ぶと、摘まんだ石を掌にのせ、皆に見えるようにした。どれどれ、とヴィヴィアンたちは顔を寄せて覗きこむ。
それは、誰もお目にかかったことのない、奇跡の宝石だった。
半透明乳白色の石のなかで、色彩が躍っている。暖炉の焔、或いは黄昏、海水青色、新緑といった遊色効果が目まぐるしく現われ、まるで精霊たちが魔法で戯れているようだ。
「これは美しい……」
ユヴェールは感心したように呟いた。目を奪われている面々を見て、ティカは少し心配になった。
「お願い、その宝石がオデッサの涙だってことは、誰にもいわないで」
「もちろんですよ、カーヴァンクル商会の入手経路は企業秘密ですから」
そういってユヴェールはほほえんだ。さらにアマディウスが、満悦そうにこうつけ加えた。
「世界に二つとない、貴重な宝石だよ? 当面は僕のコレクションにするさ」
船は制圧したが――
戦闘のあとの甲板は悲惨だ。銀色の月光が、血と砂利の入り混じった甲板を、黒々と照らしている。
三つ首の巨大な怪物、その獣にやられた海賊たち。ティカの仲間も何人かやられている。
負傷者も多く、医師のキーラを筆頭に、ユヴェールやプリシラたちが看護に奔走しており、ヴィヴィアンやシルヴィーたちも、休むことなく人員被害や船の状態、航路の確認をして回っている。
アダムの快速帆船は港を目指して既に転舵しているが、見るからに満身創痍で、望み通りの風が吹いていても、受ける帆には穴が空いている有様だ。
もはや逃げ道はない――堅牢な軍艦に牽引され、強制的に進路を湾に固定されている。
アダムは手当を受けたものの、枷をつけられた状態で、個室に隔離されている。これからパージ軍港の拘置所に捕らえられ、尋問を受けることになるだろう。
ティカは夜空のした、船縁に背をあずけて甲板に座りこんでいた。疲れてへとへとではあるが、オデッサが心配で、海が見える場所にいたかった。それに、騒がしい甲板にいると心が落ち着く。
甲板では、キーラが脳の切開手術の真っ最中で、その様子を、兄弟たちが悲鳴をあげたりしながら眺めている。
ヘルジャッジ号の日常を連想しながら、ぼんやり夜の海を眺めていると、海面からオデッサがひょっこり顔をだした。
「オデッサ!」
ティカは弾かれたように手を振った。オデッサも白い手を振って応えてくれる。
(もしかして、呼んでくれた? ごめんね、泳ぐのに夢中だったの)
オデッサはすまなそうにいった。ティカは思わず笑顔になり、
(そう、良かった……)
海に囁き返した。互いを案じる、暖かな気持ちが行き交う。
(お休みなさい、ティカ。また明日)
(うん! お休み、オデッサ……)
オデッサが寝床を探しに海にもぐると、ティカは深い安堵を覚えると共に、今日一番の疲労感に襲われた。
もう目を開けていられない。瞼が勝手におりてくる……だけど、ちょっと煩い。おお、喋ったぞ!? と、興奮気味に兄弟が叫んでいる。
どうやら、脳手術がうまくいったようだ。陥没した頭蓋を、どのようにして治すのだろう? 一体、どんなことを喋ったのだろう?
「お休み、ティカ」
穏やかな声を聴きながら、ティカは眠りへと誘われた。