メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -
17章:極光蚕白の涙 - 3 -
濃霧のなかから、異様な怪物が飛びだしてきたのを見て、甲板は騒然となった。
それは、狂暴無比な恐るべき三つ頭の猛獣、ケルベロスなのである。この世のものとも思われぬ漆黒の巨躯。がっと開けた口からは火を吐き、双眼は欄と輝き、叩きつけるようにして地面に焔を吐いている。凶悪とも残忍ともたとえようのないこんな妖魔がまたとあるだろうか?
全員が悪夢を見ているかのように沈黙するなか、いち早く我に返った兵士が叫んだ。
「逃げろッ!」
双眼 は月光を受けて銀色に光っている。と思った瞬間、ぐわっと口を開いて鋭い牙を覗かせた。
「怯むなッ! 撃て!」
隊長らしき男が号令をかけると、はっとしたように兵士たちは重火器を構え、一斉に火を噴いた。弾丸がババババッと獣に集中し、火花を散らして木屑や塵を舞いあげた。しかし、その肉体は鋼でできているのか、獣は鉛弾をものともせず暴れまくる。手榴弾すらも効かなかった。
「ぎゃああああッ」
鋭い牙の餌食となり、生きたまま貪られる凄惨さに、屈強な兵士たちも怖気づいた。
「ひぃ――ッ!」
戦意喪失し、もはや転がるようにして逃げていくばかりの無防備な背中に、獣は容赦なく襲いかかる。その殺戮は残虐極まり、現場は悲惨な地獄絵図と化した。倒れている者は、胸部や腹部を切り裂かれ、血の池に次々と沈んだ。
ロザリオも身を潜めて様子をうかがっていたが、ティカの救出に向かったヴィヴィアンたちが、やがて甲板にあがってくることを想像し、面倒くさそうに舌打ちをした。
「……しょうがねぇな、始末しとくか」
億劫そうにぼやくと、拳銃を抜いて立ちあがった。
「邪魔だお前ら、さがってろ」
遮蔽物の奥から姿を表したロザリオは、臆することなく獣の前に立ちふさがった。
「ロザリオさんっ!?」
戦艦へ乗り移ろうとしていたヘルジャッジ号の船員たちは、目玉が飛びだしかねない勢いで我らが総隊長を見た。
「無茶だ! 銃が効かない化け物ですぜ! いくらロザリオさんでも……っ」
いつもは屈強な無頼漢たちが蒼白な顔で叫んだが、ロザリオは顔色を変えず、
「でかいニャンコだろ」
しごく呑気にいった。
((ニャンコじゃねぇ――ッ!!!))
その場にいた全員が心中で叫んだ。そして、どちらかといえば犬なのである。
自分の船にいるかのように寛いだ様子でいるが、蒼い瞳に宿るのは猛々しいと呼べる戦意だ。
こてしらべとばかりに、ロザリオは怪物の眉間を狙って、引き金を絞った。弾は真っすぐに飛んでいったが、分厚い毛皮に阻まれ、獣に血を流させはしなかった。続けて改造散弾銃を発砲したが、今度も結果は同じだった。
「おいおい……高密度の鉛弾だぜ?」
ロザリオは首を一つひねり、腰から刃渡りの長い短剣を抜いて構えた。甲板を巧みに走り、光の煌きと速度をもって旋回する、彗星と化した。
管制室の側面を蹴りあげ、三角蹴りをしてカトラスをキメラの背中に鱶の背鰭よろしく突き刺したが、恐るべき魔獣はうなり声を発するだけで少しも弱った風ではなかった。
「チッ」
ロザリオは悪態をつきながら、火炎熱波を躱し、今度は獣の腹下に滑りこんだ。柔らかな皮膚があると期待したが、内側もびっしりと剛毛に覆われていた。
(無敵か、こいつは?)
発砲しながら急所を探るが、獣はびくともしない。腹に向かって少なくとも二発は命中させたが、ケルベロスは痛覚が麻痺しているのか、高く跳躍してロザリオと距離を置いた。
「ぐるるッ!」
餓えた獣のように涎を垂らし、獲物を見据えて咆哮するや、恐るべき俊敏さで、弾丸のように駆けだした。
「でたらめな身体しやがって……大人しくしやがれッ!」
ロザリオも闘気に満ちた獅子吼 を咆えた。超人的な反射神経で鋭い爪を紙一重に躱し、三つ首の死角を捉えた。
引き金に指をかけ、首の下らへんを照準する――鋼の長毛が弾丸をからめとろうとも、同じ場所を狙い続けたら?
その答えを得るには、先ず曲芸にも等しい射撃の腕前が必要だが、彼ならば問題なかった。向かう所敵なしといわせしめる、竜殺し =鷹の眼 =走る長施条銃 =道拓人 =無限海の剣銃士=エステリ・ヴァラモン海賊団の総隊長の偉大さをもって、全部で五発、首のど真ん中に寸分たがわず撃ちこんだ!
「ギャアアアッ」
ついには魔獣も悲鳴をあげ、困惑したように自分の尾を追いかけて、ぐるぐると回り始めた。
ロザリオは止めをささんと、手榴弾のピンを抜きながら距離を詰め、牙を剥きだし悶える真ん中の頭めがけて力いっぱい投げた。
「がふっ」
それをかみ砕こうとしたのか、獣は大きく口を開き、そのまま飲みこんだ――
「伏せろッ!!」
ロザリオは叫ぶと同時に、飛びこむようにして地面に伏せた。様子をうかがっていた味方も慌てて飛びすさった。
ドンッ! 鈍い音が鳴り、獣の真ん中の首が歪に千切れた。
断末摩の悲鳴をあげて背をしならせると、ぐらりと巨体を地面に横たわらせた。苦しそうに、四肢をもがいていたが、やがてぴくりとも動かなくなった。
ロザリオは油断なく銃口を獣に向けていたが、もう引き金をひく必要はなかった。凶悪な三つ首の悪魔はもはや咆哮することなく、だらりと舌をこぼして沈黙するばかりだ。
「へっ……調教完了」
ロザリオは満足げにいうと、銃口にふっと息を吹きかけ、ベルトに納めた。
辺りが静けさを取り戻したのを見て、船員たちは、獅子奮迅の活躍を遂げた英雄にわっと群がり集まった。
「ロザリオさん、流石ッス!!」
目をきらきらさせて近寄ってくる船員たちに、ロザリオは情け容赦なく銃口を向けた。
「むさくるしい、近寄るんじゃねぇ」
冷たいっ! 酷い! やっぱりロザリオさんだった……賑やかな不平を零しつつ、船員は一様に安堵と畏敬のいりまじった表情を浮かべていた。
ヘルジャッジ号の面々ばかりか、生き残ったアダムの配下と、艦隊の制服を着た海兵までもが、ロザリオを畏敬の表情で見ていた。三つ首の悪魔を殺した、さらに凶悪な金髪の悪魔だ。しかし、今この場にいる全員にとって、彼は紛れもない救世主だった。
アダムの裏切り行為を目の当たりにし、もはや戦意喪失した彼の兵士たちは、甲板を制圧するべくやってきたユヴェールらに静かに投降した。
混沌と化していた甲板に、ようやく秩序が戻ってきた。
大仕事を終えて一服しているロザリオの傍に、サディールがきびきびした歩調でやってきた。
「死んでるのか?」
いぶかしげに訊ねる巨躯を見て、ロザリオはくわえていた細葉巻 を指に挟み、煙を吐きだした。
「安心しろ、もう死んでる」
倒れているケルベロスの傍に立ち、その大きさにサディールは改めて衝撃を受けた。
「……信じられん。一体、どんな奴がこんなものを造ったんだ?」
ロザリオは肩をすくめた。
「さぁな。味方にも見境なく襲いかかってぜ」
「こんなものを量産して、軍事組織に売りつけるのだとしたら、世界の破滅だな」
ロザリオはゆっくり煙を吐きだし、自ら屠った死骸を見下ろながら、こういった。
「戦争の仕方も変わってきたな」
それは、狂暴無比な恐るべき三つ頭の猛獣、ケルベロスなのである。この世のものとも思われぬ漆黒の巨躯。がっと開けた口からは火を吐き、双眼は欄と輝き、叩きつけるようにして地面に焔を吐いている。凶悪とも残忍ともたとえようのないこんな妖魔がまたとあるだろうか?
全員が悪夢を見ているかのように沈黙するなか、いち早く我に返った兵士が叫んだ。
「逃げろッ!」
「怯むなッ! 撃て!」
隊長らしき男が号令をかけると、はっとしたように兵士たちは重火器を構え、一斉に火を噴いた。弾丸がババババッと獣に集中し、火花を散らして木屑や塵を舞いあげた。しかし、その肉体は鋼でできているのか、獣は鉛弾をものともせず暴れまくる。手榴弾すらも効かなかった。
「ぎゃああああッ」
鋭い牙の餌食となり、生きたまま貪られる凄惨さに、屈強な兵士たちも怖気づいた。
「ひぃ――ッ!」
戦意喪失し、もはや転がるようにして逃げていくばかりの無防備な背中に、獣は容赦なく襲いかかる。その殺戮は残虐極まり、現場は悲惨な地獄絵図と化した。倒れている者は、胸部や腹部を切り裂かれ、血の池に次々と沈んだ。
ロザリオも身を潜めて様子をうかがっていたが、ティカの救出に向かったヴィヴィアンたちが、やがて甲板にあがってくることを想像し、面倒くさそうに舌打ちをした。
「……しょうがねぇな、始末しとくか」
億劫そうにぼやくと、拳銃を抜いて立ちあがった。
「邪魔だお前ら、さがってろ」
遮蔽物の奥から姿を表したロザリオは、臆することなく獣の前に立ちふさがった。
「ロザリオさんっ!?」
戦艦へ乗り移ろうとしていたヘルジャッジ号の船員たちは、目玉が飛びだしかねない勢いで我らが総隊長を見た。
「無茶だ! 銃が効かない化け物ですぜ! いくらロザリオさんでも……っ」
いつもは屈強な無頼漢たちが蒼白な顔で叫んだが、ロザリオは顔色を変えず、
「でかいニャンコだろ」
しごく呑気にいった。
((ニャンコじゃねぇ――ッ!!!))
その場にいた全員が心中で叫んだ。そして、どちらかといえば犬なのである。
自分の船にいるかのように寛いだ様子でいるが、蒼い瞳に宿るのは猛々しいと呼べる戦意だ。
こてしらべとばかりに、ロザリオは怪物の眉間を狙って、引き金を絞った。弾は真っすぐに飛んでいったが、分厚い毛皮に阻まれ、獣に血を流させはしなかった。続けて改造散弾銃を発砲したが、今度も結果は同じだった。
「おいおい……高密度の鉛弾だぜ?」
ロザリオは首を一つひねり、腰から刃渡りの長い短剣を抜いて構えた。甲板を巧みに走り、光の煌きと速度をもって旋回する、彗星と化した。
管制室の側面を蹴りあげ、三角蹴りをしてカトラスをキメラの背中に鱶の背鰭よろしく突き刺したが、恐るべき魔獣はうなり声を発するだけで少しも弱った風ではなかった。
「チッ」
ロザリオは悪態をつきながら、火炎熱波を躱し、今度は獣の腹下に滑りこんだ。柔らかな皮膚があると期待したが、内側もびっしりと剛毛に覆われていた。
(無敵か、こいつは?)
発砲しながら急所を探るが、獣はびくともしない。腹に向かって少なくとも二発は命中させたが、ケルベロスは痛覚が麻痺しているのか、高く跳躍してロザリオと距離を置いた。
「ぐるるッ!」
餓えた獣のように涎を垂らし、獲物を見据えて咆哮するや、恐るべき俊敏さで、弾丸のように駆けだした。
「でたらめな身体しやがって……大人しくしやがれッ!」
ロザリオも闘気に満ちた
引き金に指をかけ、首の下らへんを照準する――鋼の長毛が弾丸をからめとろうとも、同じ場所を狙い続けたら?
その答えを得るには、先ず曲芸にも等しい射撃の腕前が必要だが、彼ならば問題なかった。向かう所敵なしといわせしめる、
「ギャアアアッ」
ついには魔獣も悲鳴をあげ、困惑したように自分の尾を追いかけて、ぐるぐると回り始めた。
ロザリオは止めをささんと、手榴弾のピンを抜きながら距離を詰め、牙を剥きだし悶える真ん中の頭めがけて力いっぱい投げた。
「がふっ」
それをかみ砕こうとしたのか、獣は大きく口を開き、そのまま飲みこんだ――
「伏せろッ!!」
ロザリオは叫ぶと同時に、飛びこむようにして地面に伏せた。様子をうかがっていた味方も慌てて飛びすさった。
ドンッ! 鈍い音が鳴り、獣の真ん中の首が歪に千切れた。
断末摩の悲鳴をあげて背をしならせると、ぐらりと巨体を地面に横たわらせた。苦しそうに、四肢をもがいていたが、やがてぴくりとも動かなくなった。
ロザリオは油断なく銃口を獣に向けていたが、もう引き金をひく必要はなかった。凶悪な三つ首の悪魔はもはや咆哮することなく、だらりと舌をこぼして沈黙するばかりだ。
「へっ……調教完了」
ロザリオは満足げにいうと、銃口にふっと息を吹きかけ、ベルトに納めた。
辺りが静けさを取り戻したのを見て、船員たちは、獅子奮迅の活躍を遂げた英雄にわっと群がり集まった。
「ロザリオさん、流石ッス!!」
目をきらきらさせて近寄ってくる船員たちに、ロザリオは情け容赦なく銃口を向けた。
「むさくるしい、近寄るんじゃねぇ」
冷たいっ! 酷い! やっぱりロザリオさんだった……賑やかな不平を零しつつ、船員は一様に安堵と畏敬のいりまじった表情を浮かべていた。
ヘルジャッジ号の面々ばかりか、生き残ったアダムの配下と、艦隊の制服を着た海兵までもが、ロザリオを畏敬の表情で見ていた。三つ首の悪魔を殺した、さらに凶悪な金髪の悪魔だ。しかし、今この場にいる全員にとって、彼は紛れもない救世主だった。
アダムの裏切り行為を目の当たりにし、もはや戦意喪失した彼の兵士たちは、甲板を制圧するべくやってきたユヴェールらに静かに投降した。
混沌と化していた甲板に、ようやく秩序が戻ってきた。
大仕事を終えて一服しているロザリオの傍に、サディールがきびきびした歩調でやってきた。
「死んでるのか?」
いぶかしげに訊ねる巨躯を見て、ロザリオはくわえていた
「安心しろ、もう死んでる」
倒れているケルベロスの傍に立ち、その大きさにサディールは改めて衝撃を受けた。
「……信じられん。一体、どんな奴がこんなものを造ったんだ?」
ロザリオは肩をすくめた。
「さぁな。味方にも見境なく襲いかかってぜ」
「こんなものを量産して、軍事組織に売りつけるのだとしたら、世界の破滅だな」
ロザリオはゆっくり煙を吐きだし、自ら屠った死骸を見下ろながら、こういった。
「戦争の仕方も変わってきたな」