メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -
12章:ブルーホール - 7 -
水深五〇メートル――
白い皿のような珊瑚がいくつも重なり、海の中に賑やかな花壇を見ているようだ。
太陽光はまだはっきりと届いている!
珊瑚も岩肌も、揺らめく海月 までも、輪郭は目にも彩 な太陽スペクトルの淡い七色に染まっている。
なんという、驚嘆の視界だろう。
尖った白い岩肌は太陽光を反射し、水深五〇メートルの世界は、甲板で過ごす真昼のように明るいのだ!
鱶避けを服に仕込んであるおかげで、巨大な鋸刃の殺戮者達は、遠くに魚影を見せるだけで、傍へはやってこない。
海洋の不思議、イソギンチャクや海月にティカは度々見惚れ、音声器で何度もヴィヴィアンに呼ばれた。
水深三〇〇メートル――
既に太陽光は殆ど届かない。色の祭典は幕を閉じ、青い世界は終わりは告げる。四方 は闇に包まれた。
立ち昇る気泡がなければ、ヴィヴィアンやサディールの居場所すらあやふやになる。既にティカは視界に頼らず、特別な聴覚に耳を澄ませていた。
“こっち……下りて行ったよ……”
海に住まう、あらゆる生き物が囁いて教えてくれる。
揺らめく硝子のような海月の神秘に、眼を奪われながら、まだ下へと下りてゆく……
水深一〇〇〇メートル――深海のトワイライトゾーン
辺り一面、闇に塗りつぶされた。
深海に潜む生き物達の、奇妙奇抜なこと。
中層に棲む魚達は、下方にできる影を消すために全身に発光器官を持つ生き物が多い。
水の中を滑りゆく途中、青白い光が無数に輝くマリンスターを眼にした。なんて美しいのだろう……
この現象は、マリンスノー――微細な有機物――に付着した微生物や発光生物が、ティカ達との接触に驚いて発光することにより起こる。
仄かな光が無数にこぼれ落ちてゆく光景は、信じられないほど神秘的だ。
「綺麗だね……」
感嘆の声を漏らすと、ヴィヴィアンもサディールも同意の声を漏らした。三人とも、しばし立ち止まって揺らめく淡い光芒に眼を奪われた。
水深三〇〇〇メートル――
世界は暗闇だが、意外と音に富んでいる。鯨や海洋生物、地層の発する地響き音……低周波が劣化もせずに、音速で伝わってくる。
およそ四倍速で伝播 すると教わった通り、音は空中よりも水中の方がよく伝わるようだ。
ただ、壁に棲む貝や蟹達はとても静かだ。
歌の上手な鯨や、噂好きなイルカや鴎 達とはまるで違う。あまりにも小声で、耳を澄まさないと聞こえない。
この深さになると、彼等の眼はとても退化していて、どこに眼があるのか不明な生き物も多い。
それにしても、この潜水服の優秀さに感服せずにはいられない。
一条の光も届かぬ水の中、身体は地上の大気圧と同じに保たれている。視覚的な水の重たさに反して、水中を泳ぐ身体の負担は無きに等しい。
あれほど重く感じた装備の、なんと軽いことか。
地上では背中を押してもらわないと、ボートにも乗れなかったが、ここでは水の抵抗をまるで感じない。
浮力――重たい船が海に浮かぶように、水中に沈む全ては、押し退けた水の重さに等しいだけ軽くなる。アマディウスから、そのような物理法則を聞いた気がする。
ともかく、微塵も重たさを感じないことはありがたい。難なく潜水してゆける。
深くて昏い水の中、ヴィヴィアンとサディールは、注意深く壁面の観察を始めた。宝石質の鉱石を探っているのだ。
「この辺りで、緑色の石を見かけた?」
“あっち……あっち……あっち……”
海に問いかけると、貝達の声が細波 のように耳に届いた。
「あっちと言われても、判らないよ」
親切は嬉しいが、あちこちから“あっち”と言われても、場所を特定できない。
すると、声は自重するように減ってゆき、やがて“あっち”と繰り返す声に方向が生まれた。
「こっち?」
泳ぐ軌道を見せると、彼等は“そうそう”と応える。ようやく確信を得て、ティカは微笑んだ。
「ヴィー、こっちみたい」
『判るの?』
「貝が教えてくれました」
誇らしい気持ちを抑えて告げると、ヴィヴィアンとサディールはティカの傍へやってきた。
高揚した気分のまま、彼等を先導してティカは深海を泳いだ。貝達の導きに従い、やがて絶壁に大きく走る亀裂の前に辿り着いた。
六角柱状の結晶が、亀裂の狭間にびっしりと生えている。あれぞエメラルドの原石――緑柱石 だ。
『すごいな……!』
感嘆したようにヴィヴィアンが呟く。
名前の通り、柱状の結晶は原石のままでも、深い緑色の煌めきを放つ。明らかに稀少価値の高い鉱物だ。
白い皿のような珊瑚がいくつも重なり、海の中に賑やかな花壇を見ているようだ。
太陽光はまだはっきりと届いている!
珊瑚も岩肌も、揺らめく
なんという、驚嘆の視界だろう。
尖った白い岩肌は太陽光を反射し、水深五〇メートルの世界は、甲板で過ごす真昼のように明るいのだ!
鱶避けを服に仕込んであるおかげで、巨大な鋸刃の殺戮者達は、遠くに魚影を見せるだけで、傍へはやってこない。
海洋の不思議、イソギンチャクや海月にティカは度々見惚れ、音声器で何度もヴィヴィアンに呼ばれた。
水深三〇〇メートル――
既に太陽光は殆ど届かない。色の祭典は幕を閉じ、青い世界は終わりは告げる。
立ち昇る気泡がなければ、ヴィヴィアンやサディールの居場所すらあやふやになる。既にティカは視界に頼らず、特別な聴覚に耳を澄ませていた。
“こっち……下りて行ったよ……”
海に住まう、あらゆる生き物が囁いて教えてくれる。
揺らめく硝子のような海月の神秘に、眼を奪われながら、まだ下へと下りてゆく……
水深一〇〇〇メートル――深海のトワイライトゾーン
辺り一面、闇に塗りつぶされた。
深海に潜む生き物達の、奇妙奇抜なこと。
中層に棲む魚達は、下方にできる影を消すために全身に発光器官を持つ生き物が多い。
水の中を滑りゆく途中、青白い光が無数に輝くマリンスターを眼にした。なんて美しいのだろう……
この現象は、マリンスノー――微細な有機物――に付着した微生物や発光生物が、ティカ達との接触に驚いて発光することにより起こる。
仄かな光が無数にこぼれ落ちてゆく光景は、信じられないほど神秘的だ。
「綺麗だね……」
感嘆の声を漏らすと、ヴィヴィアンもサディールも同意の声を漏らした。三人とも、しばし立ち止まって揺らめく淡い光芒に眼を奪われた。
水深三〇〇〇メートル――
世界は暗闇だが、意外と音に富んでいる。鯨や海洋生物、地層の発する地響き音……低周波が劣化もせずに、音速で伝わってくる。
およそ四倍速で
ただ、壁に棲む貝や蟹達はとても静かだ。
歌の上手な鯨や、噂好きなイルカや
この深さになると、彼等の眼はとても退化していて、どこに眼があるのか不明な生き物も多い。
それにしても、この潜水服の優秀さに感服せずにはいられない。
一条の光も届かぬ水の中、身体は地上の大気圧と同じに保たれている。視覚的な水の重たさに反して、水中を泳ぐ身体の負担は無きに等しい。
あれほど重く感じた装備の、なんと軽いことか。
地上では背中を押してもらわないと、ボートにも乗れなかったが、ここでは水の抵抗をまるで感じない。
浮力――重たい船が海に浮かぶように、水中に沈む全ては、押し退けた水の重さに等しいだけ軽くなる。アマディウスから、そのような物理法則を聞いた気がする。
ともかく、微塵も重たさを感じないことはありがたい。難なく潜水してゆける。
深くて昏い水の中、ヴィヴィアンとサディールは、注意深く壁面の観察を始めた。宝石質の鉱石を探っているのだ。
「この辺りで、緑色の石を見かけた?」
“あっち……あっち……あっち……”
海に問いかけると、貝達の声が
「あっちと言われても、判らないよ」
親切は嬉しいが、あちこちから“あっち”と言われても、場所を特定できない。
すると、声は自重するように減ってゆき、やがて“あっち”と繰り返す声に方向が生まれた。
「こっち?」
泳ぐ軌道を見せると、彼等は“そうそう”と応える。ようやく確信を得て、ティカは微笑んだ。
「ヴィー、こっちみたい」
『判るの?』
「貝が教えてくれました」
誇らしい気持ちを抑えて告げると、ヴィヴィアンとサディールはティカの傍へやってきた。
高揚した気分のまま、彼等を先導してティカは深海を泳いだ。貝達の導きに従い、やがて絶壁に大きく走る亀裂の前に辿り着いた。
六角柱状の結晶が、亀裂の狭間にびっしりと生えている。あれぞエメラルドの原石――
『すごいな……!』
感嘆したようにヴィヴィアンが呟く。
名前の通り、柱状の結晶は原石のままでも、深い緑色の煌めきを放つ。明らかに稀少価値の高い鉱物だ。