メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

12章:ブルーホール - 5 -

 海賊船とは思えぬ、上品な麝香薔薇じゃこうばらの香る異次元空間。
 宝石工房を訪れたティカの前には、大きく珍妙な白い衣装が置かれている。アマディウスお手製の潜水服だ。
 先日、ブルーホールには、ヴィヴィアンとサディール、そしてティカの三人で潜ることに決まった。
 潜水服を設計から手掛けるアマディウスは、成人男性の着用を想定して造っていた。ティカも潜ると聞いて、面倒そうな顔をしたが、海難が減るやもとヴィヴィアンから聞くと、非常に協力的な姿勢に転じた。

「これ……着るんですか?」

「勿論」

「着ないといけない?」

 胡乱げに尋ねると、アメシストの青年は、器用に片眉を上げてみせた。

「水中では、大気圧に加えて、水の重さ――水圧がかかる。水深十メートルにつき一気圧の割合で増える。真水換算で、水深六五〇〇メートルなら六八〇気圧だ。一平方センチメートルあたり六八〇キログラムの重さがかかるんだよ?」

 表情を変えないティカを見て、彼は更に口を開いた。

「……ティカの指先に、四輪馬車を乗せたほどの圧力だよ」

「そんなにっ!?」

 驚愕を叫ぶティカを見て、アマディウスは薄笑いを浮かべた。

「生身で潜れば、面白い死に方ができるよ」

 ちっとも面白くない。ティカは苦笑いを浮かべ……ふと思いついた。

「なんで深海魚は、そんなところで生きていられるんだろう?」

「地上の生物が、気圧に押し潰されず生きているのと同様に、彼等は身体の中から外に向かって押し出す力が働いて、水圧との均衡が取れているから」

「じゃあ……浅い海では生きていけないの?」

「やってみればいい。深海魚をそのまま引き上げると、圧の均衡が崩れて、眼や内臓が飛び出すよ」

 遠慮の欠片もない、えげつない説明に、ティカは顔をしかめた。

「というわけで、潜水服の説明をするよ」

 いかにも重たげな潜水服を、ティカは胡乱げに見つめた。

「海底で受ける圧から身を守る為に、服の外側にエーテル防壁を張る仕組みになっている。服自体もエーテル合金繊維で造られた、超強化服だよ」

「こんなに重たそうな服、水の中で動けるかなぁ……」

 不安そうにティカが呟くと、アマディウスはにやりと笑った。

「ところが、水に入れば驚くほど軽い。浮くように設計されているからね。潜水時は重りを積むくらいだ」

「この服、浮くんですか?」

「浮くよ。服の中はエーテル制御で地上の大気圧とほぼ同じに保たれる。ただし、毎秒あたり結構なエーテル消費量で、潜れば補給はできない。一度の深海活動は五時間が限度だ」

「アイ」

 彼はつなぎ目一つない、球形の透明なメットを手にとってティカに見せた。これはもしや……

「ダリヤで仕入れたサファイアで作った、素晴らしい透明度のメットだよ。頭部に投光器を付けてある。視程は驚きの五〇メートル。暗闇の中も快適に潜航できるよ」

 これなら確かに、メットの中で首を巡らすだけで、あらゆる方向を確認できる。ふんふんと感心しながら、服のあちこちを触っていると、

「一着あたり二千万ルーヴかかっているから。壊さないでね」

 恐ろしい金額を申し渡されて、ティカは音速で手を引っ込めた。

「メットの中に音声器も付いている。水中でもヴィーと会話できるし、船橋ブリッジとも連絡を取れるようにしてあるから」

「そんなことできるんですか?」

「まぁね。最新軍事にも引けを取らない技術だよ。僕の才能と、この船の財力のおかげ」

「すごいなぁ」

 感心していると、両肩を掴まれた。研ぎ澄まされた、紫水晶の眼差しに見下ろされる。

「なんとしても、エメラルドを採ってくるんだよ。僕はね、とても欲しいんだ」

「あ、アイ……」

 身勝手だが鬼気迫る口調に、ティカはおののきつつ返事をした。