メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

12章:ブルーホール - 2 -

 更に三日が経過した。
 凪いだ海上で、ヘルジャッジ号は休暇を楽しんでいる。
 といっても、甲板作業も当直もあるが、錨泊びょうはく中なので、普段に比べれば仕事は断然少ない。
 日中の航行業務から解放された甲板部員、兄弟達は暇潰しをしている。
 ちなみにロザリオは、ヴィヴィアンの下船許可も取らず、勝手に島へ繰り出してしまった。流石である。
 甲板部員達は呑気に寛いでいるが、潜水準備に関わる航海士や水夫達は別だ。勤勉な彼等は、普段と変わらずに忙しそうにしている。
 音響探査の影響で、海洋の生き物達はいつになくヘルジャッジ号の傍へ集まってくる。姿を見せるのは、海の生き物とは限らない。多くの陸上の鳥もヘルジャッジ号にやってくる。
 かもめ鶺鴒せきれい、鷲にコンドル。中にはロアノスを出港してから、ずっと棲みついている古株もいる。
 そういえば、真っ白い濃霧を抜けたら、方向を失ったらしいふくろうが羽を休めていたこともあった。羽を痛めた彼に、兄弟達は代わる代わる水と生肉を与え、そのうちに飛びたっていったらしい。
 余談だが、寄港先で愛玩用の可憐な金糸雀かなりあ、色鮮やかな鸚鵡おうむ、手乗り猿を連れ込む兄弟もいる。
 この間、結構な大きさの謎の爬虫類が甲板を這っていた際には、サディールが監督不届きだと叱っていた。
 各自で面倒を見る分には、生き物の飼育について船の規律は、概ね煩くは言わない。
 うららかな午後――
 上甲板に配備された緑に萌ゆるプラムの木から、実をもぎ取ろうとする兄弟を見かけて、ティカは慌てて駆け寄った。

「駄目! 取ったら駄目!」

「だって、うまそーだしよぉ」

 言い訳する兄弟を、諫めるようにティカは睨み上げた。
 確かに、色艶の良いプラムの実は非常に美味しそうではあるが、プラムの木はダリヤ国でわざわざヴィヴィアンが入荷してくれたものだ。以来、ティカは滅多に実を取ったりせず、大切に世話をしている。

「暇なら、釣りをしようよ」

 甲板に並べられた釣り具を差すと、兄弟は気の抜けた返事をしつつ、釣り具を手にとった。舷側へ向かい、釣りをしている兄弟達の横に並ぶ。
 中には、小舟を出して釣りに興じる者もいる。
 豊かな海は、釣り糸を垂らせば入れ食い状態だ。誰もが好調に釣果ちょうかを上げている。
 風に吹かれながら、ティカとオリバーは彼等の様子を甲板から眺めていた。
 釣りの得意なドゥーガルは、セーファスと小船を操り、ヘルジャッジ号から少し離れて、巨大魚に挑んでいる。

「あれは、でけぇぞ!!」

「ひけーっ」

 よく晴れた日なので、水はどこまでも澄んで見える。大きな魚影が船下に映りこみ、兄弟達は声を張り上げた。ティカも思わず眼を瞠る。確かに大きい!

「やっべぇぞ! 十メートル級だァッ!!」

「ぎゃあぁあぁぁっ!!」

「ひょ――っ!!」

 ありえないほど大きい、鋭いくちばしを持つ魚は、釣り上げた兄弟を突き刺さんと飛び上がった。
 阿鼻叫喚。甲板は騒然となった。
 眼にも止まらぬ、しなやかな身のこなしで、誰かが船縁を蹴った。いつの間にか乗船し、銛を手にしたドゥーガルだ。
 巨大魚との一騎打ちだ!
 凄まじい水飛沫を上げて、合間に血が飛び散る。ドゥーガルの黒い肌も、ひれや尾で裂かれ、血が噴き出した。

「ドゥーガルッ!!」

 兄弟の怒号に混じって、ティカも声を張り上げた。激戦はしばらく続いたが、長い嘴を持つ魚は、やがて動かなくなった。
 拍手喝采の雨あられ!
 巨大魚の上で腕を掲げる彼の雄姿は、甲板に立つ全員から、熱狂的な賛辞と歓呼に迎えられた。間違いなく、彼こそは今日一番の英雄だ。

「すごいや、ドゥーガル!」

 惜しみない賛辞を贈りながら、ティカも傍へ駆け寄った。寡黙な彼は言葉にせず、しかし、青い瞳を喜びに輝かせ、白い歯を見せて笑った。

「あの、虹鱗! 天上の珍味が食えるぞ」

 味を知っているらしい兄弟は、嬉しそうに吠えた。どんな味なのだろう?
 晩餐にすべく、調理部隊が出刃包丁を片手に甲板に現れた。美味しくいただく為とはいえ、巨体をばらす光景は凄惨に尽きる……
 処刑場と化した甲板から眼を逸らし、海面を眺めていると、ふと漂流物に気がついた。

「オリバー、あれなんだろう?」

「……なんだろ。瓶みたいだけど」

 かいでどうにか取ろうと苦戦していると、偶々傍にいた兄弟が、網で掬い上げてくれた。
 薄い水色の瓶は、硬いコルク栓で封じられ、中に紙が一枚入っている。どうにか開けようとしたが、コルク栓の硬いこと。

「割っちまおうぜ」

「わー待って待って」

 いきなり振り上げようとするオリバーの腕を、ティカは慌てて掴んだ。

「でも、割った方が早いしよ」

 偶々通りかかった兄弟が、何も言わずに瓶を取り上げ、開けてくれた。瓶を手渡すなり、どこかへ消えてゆく。
 細い口から、苦労して紙を引っ張り出すと、オリバーと二人で中を覗き込んだ。
 黄ばんだ用紙には、鉛筆で見知らぬ地形と“宝”という文字が描かれている。

「……落描きか」

「こ、これ……っ、宝の地図だよっ!!」

 親友は興味を失くしたように、三角の耳を倒したが、ティカは眼を輝かせた。

「いや、落描きだろ」

「キャプテンに見せてくる!」

「落ち着けって」

 呼び止めるオリバーの声も無視して、ティカは甲板を弾丸のように走った。