メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

10章:ナプトラ諸島沖合海戦 - 8 -

「陸で正式に裁くこともあるけど、海上の面倒は、大抵は海上で片をつける。あの男は、生還したら放してやる」

「さっきのは、裁判だったんですか?」

 怪訝な顔でティカが仰ぐと、いかにも、とヴィヴィアンは首肯した。

「血の気に溢れてたけどね、まぁ。最終的な判断は俺が下したけど、どんな処罰が相応しいか、全員に考えさせた後での判断だよ」

「沈めろっていうのが、皆の意見だったの?」

「いかにも。重石をつけて沈めろってね。だから、試験も兼ねて潜水服を着させた。自己弁護ってわけじゃないけど……俺の煽りは冷酷に聞こえたろ? 皆の溜飲を下げる目的もあった」

「じゃあ……助けてあげようって、ヴィーは思ってた?」

さいを海へ投げたのさ。あの男の命運は海が決めるんだ……残酷と思うかい?」

 凪いだ眼差しを仰ぎながら、ティカは弱々しく首を左右に振って応えた。

「あいつは敵だ。兄弟を傷つけた。僕は、怒らないといけない。でも、さっきの光景を見ていたら、胸が痛くて……」

 後ろめたい心地で視線を彷徨わせると、くすりと微笑する気配を感じた。

「俺は、それを甘い感傷だって諫めるべきなんだろうなぁ。でも、そんな風なティカを好きなんだよな……果たして甘いのはどちらか。惚れたが負けか?」

「僕が間違っているんだね……」

 床に眼を落として独りごちると、おとがいを掬われて、唇に触れるだけのキスが与えられた。

「正解は一つじゃない」

「……どういうこと?」

海賊旗ジョリー・ロジャーを掲げる船に乗る以上、命を張る覚悟は必須だ。俺は非情に徹してでも、船と乗組員を優先しなくてはいけない……ただ、これは俺の考えであって、ティカの考えは別にあってもいいよ」

「え?」

「万事、柔軟であれ。一昔前の軍隊じゃあるまいし、上意下達じょういかたつに拘り過ぎては、誰も自分で考えなくなる」

 難しい言葉にティカが首を捻ると、ヴィヴィアンは苦笑を漏らし、軽く肩をすくめてみせた。

「といって、俺はたくさん命令もするけど……ともかく、裁判は公平だ。その時はティカも考えて、違うと思ったら意見していいんだよ。たとえ俺が相手でも」

「キャプテンに、意見……」

 想像がつかず、ティカはまじまじと美貌を見つめた。
 真顔で黙す少年を見下ろして、ヴィヴィアンは口元を緩めた。垂れ下がったティカの両手を取り、優しく包みこむ。

「素直で可愛いティカ。もっと自信を持っていいんだよ。考える面に置いて、ティカは引け目を感じているだろう? 劣等感と言ってもいい」

「……」

「俺がキャプテンで、年の差もあるから、尚更なんだろうけど……俺がティカに教わることも、救われることも、数えきれないほどあるんだ」

 そんなことあるのだろうか……信じられずにいると、ヴィヴィアンは腕を伸ばして、ティカを抱きしめた。

「俺の可愛い小さな恋人、君は素晴らしいんだよ」

 自分がなぜ照れているのか判らないままに、ティカは小さく頷いた。その様子を見下ろすヴィヴィアンは、愛でるようにあちこち撥ねた黒髪を撫でる。

「自由な航海も、楽しいばかりじゃない。面倒事だって起きるし、さっきまで一緒にいた仲間が死ぬこともある。これまでだって乗り切ってきたけど、ティカが一緒にいる方がずっと気分がいい」

「でも、僕あんまり役に立ってない――ふがっ」

 しょげたようにティカが呟くと、鼻を指で摘まれた。子豚みたいな鳴き声を聞いて、ヴィヴィアンは楽しそうに笑っている。

「立っているとも、この上なく。くるくる甲板を走る姿を見ているだけで、俺の心を明るくしてくれる。ティカの為なら、どんな大船団が襲ってきても蹴散らせてみせるよ」

「僕も、ヴィーを守りたい!」

 毅然と顔を上げて告げると、ヴィヴィアンは面映ゆそうに微笑んだ。腰を屈めて、額に優しく口づける。

「僕も闘わせてっ!」

 懸命に訴えるティカの頬を両手に包みこみ、瞼や、眦にも唇を落とした。

「大丈夫、僕は、もっともっと強くなる。僕にも、貴方を守らせて」

 大きな手に自分の手を重ねて、ティカは青い双眸を下から覗きこんだ。

「ティカ……」

「ヴィーが僕を心配してくれるように、僕も船室で一人、無力を噛みしめて皆の無事を祈ってる。辛いんだ。僕も闘わせてください!」

 凛と燃えるだいだいの瞳を見つめながら、ヴィヴィアンは感慨深いものを感じた。
 いつだってティカは真っ直ぐだ。出会った時から、少しも変わらない。

“この船がいい! 絶対にこの船じゃないと駄目なんです! どうか僕を、この船に乗せてください!”

 小気味いい啖呵を思い出して、ふと笑みが零れた。
 外の世界を知らず、海を見たこともなかった少年が、ヘルジャッジ号の二度の航海を乗り切ってみせた。
 荒事も知らなかった少年が、剣を覚えて、甲板に立ちたいと訴えてみせる。ヴィヴィアンを守りたいのだと。
 嬉しいことを、言ってくれるではないか。
 腕の中の少年の成長を、眩しく感じる。もう雛鳥ではないのだ。羽ばたこうとする気概を手折るような真似は、恋人であるのなら尚更、してはいけないだろう。

「場馴れしないと、強くならないしな……少しずつね。無理はさせないから」

「アイッ!!」

 喜びに眼を輝かせて、ティカは満面の笑みを浮かべた。