メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

4章:夢の終わりと、始まりし恋の詩 - 2 -

 金色の光が霧散した後、オフィーリアはすぐに膝をついた。
 この後に続く罵倒を覚悟して、出会った時のように、深く頭を下げる。

「オフィーリア、立ってください」

 意外にも、穏やかな声が頭上に降る。早鐘を打つ心臓を意識しながら、オフィーリアは口を開いた。

「数々の無礼を働いたことを、深くお詫び申し上げます」

 固い声で告げると、密やかなため息が聞こえた。身を固くして、続く言葉に備えていると、微かに空気が動いた。
 アシュレイはゆっくり跪くと、地についたオフィーリアの手に、自分の手を被せた。

(え……?)

 思考を停止させたまま、恐る恐る顔を上げると、宝石のような青い瞳に囚われた。美しい眼差しに、怒りは浮いていない。

「謝るのは私の方です。出会った時の非礼を、どうか許してください」

「……」

 震える腕を取り、手の甲に唇を押し当てた。予想外の事態に、オフィーリアは言葉も忘れてアシュレイを凝視した。
 言葉の浸透を待つように、アシュレイは黙して見つめていたが、しばらくすると再び口を開いた。

「魔法にかけられて、アンジェラの意図を知っていても幸せでした。今も――」

「お待ちください」

「オフィーリア?」

「本当に解けたのですか?」

「ええ。確かに」

「では、どうして跪いたりするのですか?」

 狼狽えるオフィーリアを見つめて、アシュレイは花が綻ぶようにほほえんだ。

「いったではありませんか。魔法が解けても、想いは少しも変わらないと」

「――……」

 そんなこと、あるわけない。
 出会った時の、蔑みの瞳を忘れない。
 魔法が解けたのに、思いが変わらないというのなら、魔法が何らかの傷を彼にもたらしてしまったのでは?
 目まぐるしく考えている間に、アシュレイはオフィーリアの手の甲に唇を寄せようとする。
 音がたつほど、激しい動作で手を引き抜いた。

「オフィーリア?」

 高貴な青い双眸に映りながら、胸にこみ上げてくるものがあった。

「……本当に、思い出せまんせか? 初めて出会った時、我が君はお顔を歪めたのです。この世で最も醜いものを前にしたような瞳で、私を見下ろしました」

 いつになくはっきりと告げるオフィーリアの顔に、アシュレイは悲しげな視線を投げかけた。二人の出会いを心底悔いるように、愁眉を寄せて緩く首を振ってみせる。

「私の浅慮な態度が、そんなにも、貴方を傷つけてしまったのですね」

「魔法にかけられる前の我が君であれば、私に跪くことなど、ありえませんでした。今のご様子を見る限り、魔法が解けていないとしか思えません」

「いいえ、確かに解けました。かけられていた身だからこそ、判ります」

「では、どうして? 私の姿を見て、どう思いますか?」

 醜いだろう。
 鱗の混ざり合った、異形の姿だ。忘れもしない――この醜い肌に触れた同じ唇で、あいの子、そう蔑んだのだ。

「他の誰が何といおうと、私にとって貴方は、この上なく神秘的で、星のように煌めいている。青い瞳も、流れる髪も、貴方は肌を気にするけれど、頬や肩に散った鱗は美しい」

「……私の血は穢れている、そう蔑んだのに?」

 美辞麗句を聞き流し、苦悶の表情を浮かべてオフィーリアは呟いた。

「どうか、許してください。あの時の私は、地上の呪詛に捕らわれて、愚かで偏った感情を抱いていました」

 揺るがぬ真摯な双眸に、唖然とするオフィーリアが映っている。
 想像していた譴責けんせきも罵倒もない。
 喜んでいいはずなのに、なぜか、自分という存在が消滅していくかのような心許無さに襲われた。

(どうなっているの?)

 初めて会った時の、アシュレイの態度……冷たい言葉に、オフィーリアは思った以上に傷ついていたのかもしれない。
 あいの子が忌避されるのは、愚かな人間が海を穢して、精霊王の逆鱗に触れたから。そうと知っていても、聖霊界を統べる精霊王ならば、オフィーリアを認めてくれるのではないかと期待していた……
 冷たくあしらわれたあの時、裏切られたという念が、心の深いところでずっと燻っていたのか。
 魔法が解けて、彼の内で怒りと憎しみが再燃しないことに、喜びよりも疑問が先立ってしまう。
 苦しげに煩悶するオフィーリアを見て、次第にアシュレイは表情を曇らせた。

「貴方は、魔法が解けても、この想いを否定するのですか……」

 落胆しきった声が、二人の間に落ちた。