メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

3章:気まぐれな夜に、薔薇祭の調べ - 14 -

 夢を見た。

 心を奪う魔法と対を成す、言の葉――メル・サタナ――貴方を解放する。
 夢の中のオフィーリアは、知り得るはずもないいにしえの魔法を、どういうわけか知っていた。そのことを、誰にも知られまいとやましい心で隠している。
 けれど、フィリクスに看破され、強く詰られてしまう。

“信じられない。本当は知っているのではないか?”

 いいえ、いいえ――疑惑に満ちた言葉を否定しながら、心の奥底で疾しさがうずいていた。居心地悪さから瞳を背けて、純真無垢を演じている。
 浅ましい我が身よ。
 まやかしの愛に包まれているアシュレイは、オフィーリアを疑わない……変わらぬ慈しみで、夜毎オフィーリアを抱くのだ。

“魔法が解けても、この愛は変わらない”

 甘い毒のように、耳朶に囁く。
 疑惑と恋情が膨れ上がり、ついに我慢しきれずに唱えてしまう。

 アシュレイ――メル・サタナ!

 あぁ……たちまち凍える視線よ。青い瞳を覗いても、愛情の欠片も見いだせない。

“よくも欺いてくれましたね”

 愛を囁いた同じ唇で、オフィーリアを冷たく詰る。
 お許しください……涙を流して愛を乞うオフィーリアに、凍てついた湖水のような視線を投げてよこす。

 愛はまやかしだった。

 何もかも、魔法の生んだ都合の良い幻想でしかなかった。

 眼が覚めた時、オフィーリアは涙していた。
 隣には、美貌の精霊王が瞳を閉じて眠っている。月の光で編まれたような、銀糸の髪。同じ色の長い睫毛に、神秘的な陰翳を落として。

(判っていたことじゃない……)

 温もりに包まれながら、心が凍えていくのを感じた。救いようがない、深い絶望に突き落とされた。
 虹彩を欠いた夢の世界に惑わされるのは、愚か者の為すわざだろうか?
 けれど、只の夢だと退けられない。あれは、オフィーリアの疾しい心が見せたものに違いない。
 その証拠に、解呪の魔法をはっきりと覚えている。

 メル・サタナ。

 夢で見たように、もしかしたら、最初から知っていたのかもしれない。無意識の打算や、狡さが、都合よく解呪を忘れさせたのではなかろうか?
 やっきになって解呪を探していた己が、滑稽だ。

「……オフィーリア?」

 嗚咽を堪えるオフィーリアの様子に、アシュレイは気がついた。

「泣いて……?」

 微睡みから醒めたアシュレイは、オフィーリアの悲壮な顔を見て顔を強張らせた。

「……そんなに、嫌でしたか?」

「わ、私……」

 両手に顔を沈めて泣き伏すオフィーリアの体を、アシュレイは後ろからそっと抱きしめた。

「泣くほど、私が……」

「あぁ……」

 絶望の滲んだ声が、迸る。胸が張り裂けてしまいそうだった。拒絶と勘違いしたアシュレイは、増々強くオフィーリアを掻き抱いた。

「求めてくださったのに」

 惜しげなく差し出される愛は、嘘に塗れている。オフィーリアの罪……今こそ解呪を唱えて、灌がなければ……

「……お許しください」

 弱々しく呻くオフィーリアの声を拾い、アシュレイは苦しげに顔を歪めた。

「本当に、残酷な方だ。手を差し伸べてくれたかと思えば、絶望に突き落としてくれる。言葉がなくとも、答えをもらえた気でいたのは私だけですか」

「全て、魔法の――」

「そうやって、何度はぐらかすつもりです! 魔法と軽んじて、私の心をがらくたのように扱ってくれるなッ」

 低めた強い口調に、オフィーリアは慄いた。怯えを孕んだ眼差しを、勁烈けいれつな視線が射抜いた。