メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

2章:まほろばの楽園と、泡沫の寵愛 - 8 -

 同じ水の属性同士、穏やかな気質のシェヘラザードであれば、臆病なオフィーリアも話しやすかろうと、二人を引き合わせたのは他ならぬアシュレイだ。
 それなのに、木陰で寄り添い、小声で話す二人を見ていると、胸の内がざわついた。アシュレイの隣では、あのように気を許してはくれないのに……

「オフィーリア」

 名を呼ぶと、愛する娘は、肩を撥ねさせてこちらを振り向いた。眼が合った途端に、委縮するのが判る。

「ごきげんよう、我が君」

 想い人は、ぎこちなく頭を下げた。
 世界樹宮へ連れてきてしばらく経つが、オフィーリアの頑なさは一向に軟化しない。
 贈り物も殆ど受け取ってくれず、贅沢にもてなそうとしても、委縮するばかりで笑顔を見せてくれない。
 浴場だけは使ってくれるようになったが、衣装棚には見向きもしない。相変わらず、ここへきた時と同じ外套だけを着用している。
 悠久にあまねく精霊界を掌握していても、彼女に限ってはうまくいかない。

「楽しそうに、何を話していたのですか?」

 優しく笑いかけたつもりだが、オフィーリアは怯えたように喉を鳴らした。

「水辺の青い鳥を、瞳で楽しんでおりました。澄んだ青は、我が君の瞳のようだと話していたところですよ」

 俯くオフィーリアの代わりに、シェヘラザードが流暢に応えた。アシュレイの面白くない心中を察して、気遣いまでみせる。
 彼は悪くないと知っていても、苛立ちが湧いてしまう。
 真にほほえみが欲しくて、心を砕くアシュレイよりも、オフィーリアはシェヘラザードに懐いているのだ。
 何遍も悔いてきたが、オフィーリアとの出会いを一からやり直したい。
 あの時、非情に投げつけた言葉を取り消させて欲しい。涙ながらに訴えた、彼女の精一杯の言葉に改めて応えたい。 
 後悔の念を告げ、許しを請えば、オフィーリアは形ばかりに謝罪を受け取ってはくれる。
 けれど、それは表面上に過ぎないという証拠に、今も凍りついた彼女の心は解けない……

「……」

 固く頬を引き締めて、沈黙を保つオフィーリア。伏せられた瞳に、親愛は欠片も浮いていない。熱い眼差しを向けるアシュレイとは、実に対照的だ。

「こんにちは、オフィーリア。ご一緒しても構いませんか?」

「……はい」

 気のない返事は、アシュレイの胸を抉ったが、笑みを顔に貼り付けて傍へ寄った。
 想うほどに、伝えるほどに、気持ちが離れていく気がしてしまう。
 大切に想っていることを、いつかは判ってくれると期待していたが、オフィーリアの態度は少しも変わらない。
 世界樹宮に馴染もうとせず、ロザリアの帰還だけを日々の励みにしている。何かにつけて怯える様子は、見ていて痛ましい。慰めてあげたいが、アシュレイと共にいることは、彼女にとって苦行でしかないのかと思うと、心は沈む……
 報われない辛さを、アシュレイは初めて知った。
 各々複雑な胸中を伏せて、無言で庭を歩く。
 沈黙を恐れたのか、オフィーリアはそっと顔を上げた。
 瞳が合うことを期待したが、それを恐れるように、彼女は隣に立つシェヘラザードを少しだけ仰いだ。

(私を見て欲しいのに……)

 胸が痛い。どれだけ想っても、欠片も届かない。どうしようもないほど、遣る瀬ない念に駆られた。

「……オフィーリア、我が君に案内していただくと良いでしょう。夢幻の君の為に、この庭園を創ったのは我が君なのですから」

「え?」

 いかにも、頼りげない声をあげた。そんなにも、アシュレイと二人になることが不安なのだろうか?
 自分が、これほど狭量とは知らなかった。
 下降していく機嫌を読み取り、シェヘラザードは困ったように苦笑を浮かべた。

「このままでは、本当に叱られてしまいそうです。退散するといたしましょう」

 背中を向けるシェヘラザードを、オフィーリアは視線で追い駆けた。

「あ……」

 細腰に腕を回すと、オフィーリアは小さく息を呑んだ。彼女の反応は、アシュレイの知るどの精霊とも違う。
 このように触れれば、期待に瞳を輝かせ、すり寄ってくるのが常であった。何もかもが、彼女に限っては当てはまらない。

「鳥小屋へ行ってみますか?」

 断りたい――フードの奥から瞳が囁いている。それを無視して、アシュレイはオフィーリアを見つめ続けた。
 迷ったように視線を揺らし、オフィーリアは委縮したように小さく頷くのだった。