メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

2章:まほろばの楽園と、泡沫の寵愛 - 14 -

 薔薇際がやってくる。
 間もなく催される薔薇祭を前に、世界樹宮には少しずつ薔薇の精霊が増えてきた。
 どこを見渡しても、美しい精霊達で溢れており、オフィーリアの気後れは増々酷いものになっていた。
 気晴らしに庭園を歩きたいが、外套を羽織っていても、遠慮のない視線が刺さるのだ。ほらあの方が……ひそひそとオフィーリアを話題にする。
 悪意があろうとなかろうと、注目を嫌うオフィーリアは、すっかり参っていた。
 少しも冷めない、アシュレイの恋情の眼差しも苦手だ。精霊王がそれほどまでに熱を上げる黄昏の君とは、果たしてどれほどの美貌の持ち主なのか、と皆が勘違いをする始末だ。
 鬱屈した日々を送る中、ロザリアの帰還の知らせが世界樹宮に届いた。

「もう間もなく姿を見せますよ」

 一緒に出迎えようと誘いにやってきたアシュレイに、この時ばかりはオフィーリアも素直に頷いた。
 中庭は人払いされており、オフィーリアとアシュレイ、シェヘラザードの他には、限られた召使しかいない。
 到着を今かと待ち望んでいると、空に綺羅星を見つけて、オフィーリアは瞳を輝かせた。
 懐かしい姿が、彗星のように庭園に舞い降りる。逸る心を抑えられず、裾を翻して駆け出すと、ロザリアも手を拡げて駆けてきた。

「フィー! ただいま」

「お帰りなさい!」

 間近でロザリアの姿を見て、オフィーリアは瞳を丸くした。
 少し見ない間に、ロザリアは随分と大人びていた。オフィーリアの胸までしかなかった背丈もぐんと伸びて、目線は大分近い。

「驚いた! うんと綺麗になったのね」

 まじまじと見つめていると、ロザリアは照れたように、えへへ、とはにかんだ。後ろを気にした素振りで、内緒話をするように顔を寄せる。

「……ところで、魔法を解く方法は判った?」

「それが、判らないの……夢幻の君はご存知らしいのだけれど、まだ一度もお会いになれていないわ」

 肩を落とすオフィーリアを見て、ロザリアも神妙な表情を浮かべた。

「会えそう?」

「薔薇際には、お見えになるそうよ。その時にきっと」

「なら、もうすぐ会えるんだね」

「そうね……ロゼは、どこも怪我はしていない?」

「平気だよ! 会いたかったぁ」

「私も」

 明るく笑うロザリアの顔を見たら、不意に郷愁を誘われた。
 地上で過ごした野生の森を思い出す。懐かしい、菩提樹や夏草、ビート、茴香ういきょうの匂い……胸がいっぱいになり、オフィーリアの視界は潤んだ。

「寂しかった。最近は、少しでも外を歩くと、そこら中から視線を感じるし……帰りたいな」

 掌に顔を沈めて、大分目線の近くなった少女の肩に、オフィーリアは頭を乗せた。

「どこへ帰りたいのですか?」

 しんみりとしていたオフィーリアは、不機嫌そうな声で我に返った。この場にアシュレイもいることを忘れていたなんて、どうかしている。

「申し訳ありません。御前で不作法を」

 蒼白な顔で、オフィーリアは跪いた。その様子を見て、アシュレイは溜息をつかずにはいられなかった。
 本当に、どれだけ想ってもオフィーリアの心は遥かに遠い。ロザリアの前でなければ、弱音も吐けないのかと思うと、胸が痛む……

「謝ることはありません。私に跪く必要はないと、申し上げたでしょう?」

 何遍も伝えているのに、オフィーリアはアシュレイとの距離を頑なに守ろうとする。

「は、はい……」

 それきり沈黙が流れて、オフィーリアは勇気を出して顔を上げた。感情の読めない端正な顔に怯みながら、口を開く。

「あの、部屋に下がってもよろしいでしょうか……?」

 早くロザリアと二人になりたかったのだが、落胆したアシュレイの表情を見て、己の言葉の拙さを呪った。彼を苦手に思っていても、傷つけたいわけではないのだ。