メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -

2章:まほろばの楽園と、泡沫の寵愛 - 15 -

 気まずい沈黙が、二人の間に流れた。
 言葉を探して視線を彷徨わせていると、自嘲めいた溜息が頭上から聞こえた。

「ここには、いたくない?」

「そのようなことは……」

 おずおずと顔を上げると、青い双眸と視線がぶつかる。

「もう少しだけ、ここにいてくださいませんか?」

 その寂しげな表情を見たら、一瞬、彼が魔法にかけられていることを忘れてしまいそうになった。

「……はい」

 小さく頷くと、アシュレイに手を引かれて立ち上った。もう手を引く必要はないのに、彼はそのまま動こうとせず、オフィーリアを見下ろし続けている。
 視線を上げられずにいると、肩を両手に包まれた。恐る恐る視線を上げると、寂しげな視線はどこにもなく、強い視線に変わっていた。激情を押し殺し、冷静を装った強い視線でオフィーリアを射抜く。

「私を追い払おうと考えても、無駄ですよ」

「そ、んなことは……」

「ない?」

 責めるような眼差しから逃げるように、オフィーリアは視線を泳がせた。

「今だって、私を疎ましく思っているのに? 私がその気になれば、貴方を捕まえることなど、造作もありません」

「……ッ」

 放出された覇気に、オフィーリアは即時に全身の肌が総毛立つのを感じた。

「いえ……今のは忘れてください。どうか、恐がらないで」

 そろりと視線を戻した途端に、視線が絡む。垂れた両手をアシュレイに取られた。優しい触れ方だが、手を引き抜けぬほどしっかりと握りしめられている。

「少し水辺を歩きましょう」

 つれない態度をとりきれず、オフィーリアは仕方なしにアシュレイの手に応えた。
 浮かない顔をしていたオフィーリアだが、水辺の鳥小屋によると、珍しく顔を上げて、海水青色の瞳を煌めかせた。
 その様子を密かに横目で盗み見ながら、アシュレイは口元を綻ばせた。澄んだ海水青色の瞳に光が映り込み、とても綺麗だ。
 彼女は己の容姿を卑下するが、控えめながら典雅な所作、瞳の輝きは、数多の美姫を見てきたアシュレイの視線を釘づけにする。
 知らぬは、本人だけだ。
 ずっと見ていたかったが、離れたところでロザリアがそわそわしているし、オフィーリアも気にするように視線を向けている。

(久しぶりに会えたのだから、無理もないか……)

 名残り惜しくはあったが、しばらく並んで歩いた後、アシュレイはロザリアに場所を譲ることにした。屈託なく笑う二人の様子を、離れた所からそっと見守る。
 悔しいが、ロザリアといるとオフィーリアはいい顔をする。
 微笑を浮かべる主の様子を、シェヘラザードが眼を瞬いて見ていることには、気付いていない。

「……お変わりになりましたね。我が君」

 感慨深い呟きに沈黙を破られ、我に返ったように、アシュレイは鷹揚に頷いた。
 互いに気心の知れた仲だ。魔法にかけられたことを知らなければ、アシュレイの態度は摩訶不思議であろう。

「彼女を見ていると、心が安らぐ」

「……とても内気な方ですから、あのように笑う姿を見ると、思わず和みますね」

 面白くなさそうにしているアシュレイを見て、シェヘラザードは小さく吹き出した。
 まさか、精霊王に嫉妬される日がこようとは、夢にも思わなかったのだ。

「あの人を、幸せにしてさしあげたい」

 静かな呟きを聞いて、シェヘラザードは眼を瞠った。
 人間嫌いの主がどうしたことか、一途な眼差しには、慈しみが浮いている。
 この変わりようは、恐らく双子姉が関係しているのだろう。
 人間の血を引く娘を愛でる様子を見ていると、在りし日の姉君の姿を思い出させる。
 けれど――
 穏やかな表情を見ていると、今の状態が悪いとは決して思えない。
 娘と添い遂げたいと主が願うのなら、御心のままに従おう。今度こそ。
 シェヘラザードは頭を垂れると、万感の思いを込めて呟いた。

「……我が君の仰せの通りに」