メル・アン・エディール - まほろばの精霊 -
2章:まほろばの楽園と、泡沫の寵愛 - 12 -
午睡の微睡から醒めると、陽はとうに沈んでいた。
目深にフードを被ると、オフィーリアは密かに私室を抜け出した。
中庭の隅を渡る途中、気配を感じて木陰に身を隠すと、蔦の絡まる回廊を美しい古代精霊 達とアシュレイが並んで歩いていた。
気品と自信に満ちた、美しい薔薇の精霊達……
素顔を晒して、アシュレイの隣に並べる彼女達を、ほんの少し羨ましく感じてしまう。
静かな森へ帰りたい……
何も知らなければ、誰かを羨むこともなかった。我が身の醜さに、再び傷つくこともなかったのに。
天空に向けて小さな溜息をつくと、音も立てぬよう、その場を去った。
青苔青花 に覆われた、美しい草木の海原。
人気のない泉までやってくると、水面に足をひたして、岸部にかけた。いつもしていたように、背中を倒して寝転がってみる。
「はぁ……帰りたい」
「相変わらず、陰気くさいなぁ」
「アスティー!」
慌てて起き上がると、朱色の髪に金瞳のかわいらしい少年、ハニーサックルの妖精が傍に立っていた。あいの子のオフィーリアにも、気兼ねなく声をかけてくる、変わり者である。
「もう、びっくりした……」
「僕は、気まぐれな放浪者なのさ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、少年は陽が咲いたような笑顔を浮かべた。
以前、ここで歌声を聞きつけたアスティーに声をかけられて以来、二人は友達になったのだ。
悪戯が大好きで、時に迷惑を振り撒く困り者ではあるが、愛すべきお調子者である。
「フィーも薔薇祭に出るんだろ?」
当然といわんばかりに訊ねられて、うっとオフィーリアは返事に詰まった。
「……出たくない」
「えぇ? 黄昏の君を一目見たい連中が聞いたら、がっかりするぞ」
「やめて」
「なんで、死にそうな顔をしているのさ? 我が君の寵愛を頂いているのに」
「そうじゃないのよ……」
「どう見ても、我が君はフィーにぞっこんラブだ」
「やめてったら」
その変テコな言葉は、精霊界で流行っているのだろうか? 不服気に腕を組むオフィーリアを見て、アスティーは不思議そうに首を傾げた。
「変なの。誰もが、我が君の心を射止めたいと願っているのに」
「私は望んでいない」
「相当変わっているよね。フィーって」
「……アスティーにいわれたくない」
ふて腐れたように告げると、ぽんぽん、と気安く肩を叩かれた。
「なんで暗いのか意味不明だけど、まぁ、いっておいでよ」
ぷいと顔を背けるオフィーリアを見て、アスティーは愉快そうに笑った。
「楽しみが一つ増えたなぁ。我が君と並んで歩く姿を、見物してやろう」
「やめてちょうだい。アスティーも薔薇祭にいくの?」
「もちろん! 賑やかな音楽、それに天上の珍味が味わえるんだぜ? 僕、果実酒を全種類制覇するんだー」
陽気に笑うアスティーを見て、オフィーリアは眼を和ませた。
「……私も一緒にいていい?」
「えぇ?」
「いけない?」
「君の隣に立つのは、恐れ多くも、我が君なんだぜ! 僕が近付けるわけないだろ」
「アスティーと一緒にいた方が、気が楽なんだけど……」
「罰当たりだなぁ」
「視線が怖いの。誰にも見られたくないのに、我が君の隣に立てば、きっと皆が見るわ」
表情を曇らせるオフィーリアを見て、アスティーは溜息をついた。
「君は悲嘆し過ぎなんだよ。いうほど酷くないぜ。斑の肌も個性的で、僕はイケてると思うけど」
「そういってくれるのは、アスティーだけよ。自分でも気味が悪いと思うもの。こんな姿、大嫌い」
「いいかい、君は羨望の的なんだぜ? 天上の貴婦人だって、君のことが羨ましくて仕方ないのさ」
「嬉しくないわ。この状況を、喜んでいるわけじゃないのよ……今すぐにでも、ロゼと一緒に帰りたいくらい」
「まぁまぁ、薔薇祭に出ないわけにはいかないんだから、もっと楽しもうぜ!」
「他人事だと思って」
「綺麗な衣装を着て、美しい精霊に傅かれて、美貌の精霊王の隣で、お妃気分を味わえると思えばいいじゃないか!」
恐怖に悶えそうになり、オフィーリアは両腕を摩った。軽く応えるアスティーを睨みつける。
「いっそ、アスティーが私の代わりに、我が君の隣に立てばいいんだわ」
「馬鹿いえって! できっこないだろぉー」
馬鹿笑いをしたと思ったら、アスティーはぎょっとしたように眼を瞠った。次の瞬間、唐突に姿を消してしまう。呆気に取られていると、
「随分と楽しそうですね」
冷ややかな声に、ぎくりと肩が撥ねた。
この清廉な冷気は……ぎこちなく振り向くと、思った通り、美貌の精霊王がいた。冬の湖水を思わせる瞳で、こちらを見つめている。
目深にフードを被ると、オフィーリアは密かに私室を抜け出した。
中庭の隅を渡る途中、気配を感じて木陰に身を隠すと、蔦の絡まる回廊を美しい
気品と自信に満ちた、美しい薔薇の精霊達……
素顔を晒して、アシュレイの隣に並べる彼女達を、ほんの少し羨ましく感じてしまう。
静かな森へ帰りたい……
何も知らなければ、誰かを羨むこともなかった。我が身の醜さに、再び傷つくこともなかったのに。
天空に向けて小さな溜息をつくと、音も立てぬよう、その場を去った。
人気のない泉までやってくると、水面に足をひたして、岸部にかけた。いつもしていたように、背中を倒して寝転がってみる。
「はぁ……帰りたい」
「相変わらず、陰気くさいなぁ」
「アスティー!」
慌てて起き上がると、朱色の髪に金瞳のかわいらしい少年、ハニーサックルの妖精が傍に立っていた。あいの子のオフィーリアにも、気兼ねなく声をかけてくる、変わり者である。
「もう、びっくりした……」
「僕は、気まぐれな放浪者なのさ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、少年は陽が咲いたような笑顔を浮かべた。
以前、ここで歌声を聞きつけたアスティーに声をかけられて以来、二人は友達になったのだ。
悪戯が大好きで、時に迷惑を振り撒く困り者ではあるが、愛すべきお調子者である。
「フィーも薔薇祭に出るんだろ?」
当然といわんばかりに訊ねられて、うっとオフィーリアは返事に詰まった。
「……出たくない」
「えぇ? 黄昏の君を一目見たい連中が聞いたら、がっかりするぞ」
「やめて」
「なんで、死にそうな顔をしているのさ? 我が君の寵愛を頂いているのに」
「そうじゃないのよ……」
「どう見ても、我が君はフィーにぞっこんラブだ」
「やめてったら」
その変テコな言葉は、精霊界で流行っているのだろうか? 不服気に腕を組むオフィーリアを見て、アスティーは不思議そうに首を傾げた。
「変なの。誰もが、我が君の心を射止めたいと願っているのに」
「私は望んでいない」
「相当変わっているよね。フィーって」
「……アスティーにいわれたくない」
ふて腐れたように告げると、ぽんぽん、と気安く肩を叩かれた。
「なんで暗いのか意味不明だけど、まぁ、いっておいでよ」
ぷいと顔を背けるオフィーリアを見て、アスティーは愉快そうに笑った。
「楽しみが一つ増えたなぁ。我が君と並んで歩く姿を、見物してやろう」
「やめてちょうだい。アスティーも薔薇祭にいくの?」
「もちろん! 賑やかな音楽、それに天上の珍味が味わえるんだぜ? 僕、果実酒を全種類制覇するんだー」
陽気に笑うアスティーを見て、オフィーリアは眼を和ませた。
「……私も一緒にいていい?」
「えぇ?」
「いけない?」
「君の隣に立つのは、恐れ多くも、我が君なんだぜ! 僕が近付けるわけないだろ」
「アスティーと一緒にいた方が、気が楽なんだけど……」
「罰当たりだなぁ」
「視線が怖いの。誰にも見られたくないのに、我が君の隣に立てば、きっと皆が見るわ」
表情を曇らせるオフィーリアを見て、アスティーは溜息をついた。
「君は悲嘆し過ぎなんだよ。いうほど酷くないぜ。斑の肌も個性的で、僕はイケてると思うけど」
「そういってくれるのは、アスティーだけよ。自分でも気味が悪いと思うもの。こんな姿、大嫌い」
「いいかい、君は羨望の的なんだぜ? 天上の貴婦人だって、君のことが羨ましくて仕方ないのさ」
「嬉しくないわ。この状況を、喜んでいるわけじゃないのよ……今すぐにでも、ロゼと一緒に帰りたいくらい」
「まぁまぁ、薔薇祭に出ないわけにはいかないんだから、もっと楽しもうぜ!」
「他人事だと思って」
「綺麗な衣装を着て、美しい精霊に傅かれて、美貌の精霊王の隣で、お妃気分を味わえると思えばいいじゃないか!」
恐怖に悶えそうになり、オフィーリアは両腕を摩った。軽く応えるアスティーを睨みつける。
「いっそ、アスティーが私の代わりに、我が君の隣に立てばいいんだわ」
「馬鹿いえって! できっこないだろぉー」
馬鹿笑いをしたと思ったら、アスティーはぎょっとしたように眼を瞠った。次の瞬間、唐突に姿を消してしまう。呆気に取られていると、
「随分と楽しそうですね」
冷ややかな声に、ぎくりと肩が撥ねた。
この清廉な冷気は……ぎこちなく振り向くと、思った通り、美貌の精霊王がいた。冬の湖水を思わせる瞳で、こちらを見つめている。