HALEGAIA

6章:悪魔トランス - 9 -

 十一月二四日。文化祭当日。十四時。
 体育館は超満員。全校生徒と、ほぼ全ての教師が見学にきていて、軽音部の出番をいまかいまかと待ち構えていた。
 客席にスモークが焚かれて、暗転。
 二階の歩廊から差し向けられた強力なサーチライトが、ゆっくりと、天井から垂れさがる直径九〇センチの特性ミラーボールに向かって折れながら照射すると、ざわざわ、ざわざわと観客に波紋が広がり始めた。
 プロジェクトマッピングが左右の壁を彩り、期待に満ちた幾つもの顔を照らしていく。
 分厚い緞帳の内側で、陽一たちバンドメンバーは準備万端。いや、悪魔たちは緊張していないかもしれないが、陽一の心臓は烈しく動悸していた。頭のなかは真っ白だ。
 司会進行役の副生徒会長が「次は軽音部です」とアナウンスすると、チーン、チーン……ルネが開幕を告げるトライアングルを鳴らした。
 一拍、二拍。
 緞帳がゆっくりと巻きあがるにつれて、歓声も大きくなっていく。バンドメンバーの全員が姿を見せると、高柳はメンバーを代表してマイクを持った。
「軽音部、文化祭メドレーいきます!」
 ギターのイントロが流れて、ワアァッ!! 大きな歓声があがった。
 ミラが歌いだした瞬間、観客号泣。
 いきなりクライマックスだ。感涙してむせび泣く生徒が続出している。
 その様子をステージから見ている陽一は、興奮と感動で、鳥肌が立った。思わず指が震えそうになるが、センターで大注目を浴びて演奏して歌っているミラは、信じられないほど堂々としている。まるで大物スターだ。
 JPOPメドレーは、皆が知っている曲を繋いでいるので、しょっぱなから手拍子がきた。応援うちわにサイリウムを揺らして、曲が変わる度に沸き起こる悲鳴、喝采。夢みたいだ。
 全部で六曲のメドレーが終わると、転調。
 ミラが手をあげると、無数の小さな火が灯った。ぱっと美しい火花を散らして、興奮に充ちた歓声があがる。その通り、種も仕掛けもない文字通りの魔法である。
 陽一が横眼でミラを見ると、ミラの瞳が悪戯っぽく煌くのが判った。共犯者の気分で、陽一も笑み返した。今日は特別だ。
 高柳オリジナルのBPM爆あげ変態楽曲にフレーズをつなげて、ダダダダダダ! ドラムがビートを刻むと、ステージにスポットライトがあたり、左右の袖から金色の紙吹雪がぱっと舞いあがった。
 ワアァッッ!!
 観客席から、興奮にみちた歓声があがる。
 ツー・ギターとベースによる超絶スラップ&テクニカル演奏で、手拍子のギアも一段あがる。
 超難関のイントロから、ミラのアイディアによる魔術的コードで転調する。
 そしてミラが歌いだすと、観客絶頂。指笛を鳴らす、脚を踏み鳴らす生徒がいて、手拍子と音楽と、すべてが渾然一体となって体育館を轟かせた。
 これだけ大勢の観客がいても、ミラの絶対音感は崩れない。彼こそは天衣無縫てんいむほうの、奔放で悪戯、見るものを魅了せずにはいられない大悪魔だ。
 盛りあがりは最高潮に達している。メンバーも緊張が抜けて足並みがそろってきた。
 音を見ながら、ミラはアドリブをいれてきた。絶妙のタイミングで、キーボードの跳躍! するとマリンバが高速・低音トレモロを入れてきて、ドラムもあわせる。ギターとベースもパーカッション風のスラップであわせて打楽器四重奏だ。これは気分があがる。
 そして、皆大好きボカロ・メドレー。
 曲が変わるよ! という合図に、メジャー(明るめ)からマイナー(寂しめ)の転調で繋いで、暗めのラップパートを不協和音で入れると、期待に満ちた歓声があがった。
 鬼畜高音高速の人間の声帯では不可能なボカロ曲でも、ミラは原曲キーで歌えてしまう。彼の声量、声域は凄まじかった。低音から高音に跳ねあがり、自在に転換して、一音も外さずに完璧に歌いあげる。
 セクシーな裏声ファルセットが響くと、絶頂する生徒が相次いだ。
 失神者の救出に向かう文化祭運営陣も、聞き惚れるあまり放心状態に陥っている。
 陽一も背筋がゾクゾクするのを感じながら、アレグロで音階をかけおりた。ここまで指が動くのは初めてかもしれない。覚醒しているのが自分でもわかる。〇.コンマのリズムに反応できるレベルに意識が達している。
 嗚呼、観衆の表情がよく視える。
 笑顔。感動して泣いている顔。
 色とりどりのサイリウムを揺らして、ノリノリで聴いてくれている。ビートにあわせて踊って、踏み鳴らした足音が、音楽が、体育館の壁に反響している。まるで神の宴、否、悪魔の宴だ。
 アドレナリンが大放出されている。
 ギター、ベース、ドラム、マリンバ。かなり気持ちよくあっていて、お互いにギアがあがってきた。茂木のドラムはいつもよりパワフルだし、高柳のギターもよりハードで、陽一のスラップもキレッキレだ。音のひとつひとつが光っている。演奏のキラキラ感がすごい。
「「魔王様――ッ」」
 最前列中央から、学園のマドンナ、栗原ひなのが叫んだ。両隣に宇佐美と星もいて、応援うちわを振っている。
 ミラが珍しく、というか初めてファンサした。手をあげて歓声に応えると、キャ――ッ!!! と尋常じゃない歓声が沸き起こり、最前列にいた栗原は卒倒した。両隣の宇佐美と星が慌てている。
 思わず陽一は笑みをこぼした。
 高校の文化祭だけど、まるで伝説のライブみたいだ。
 気分爽快で、心拍数があがり、全身に勢いよく血がめぐる。
 さらに終盤に向けてテンポをあげていく。ハードなセットリストなのに、ミラの声量は少しも衰えない。さすが悪魔、体力が尋常じゃない。
 目と目があった。菫色の瞳が煌めいている。ふだんより紅潮した顔で、ミラが素晴らしい笑顔をみせた。
 悪魔のほほえみを最前列で見てしまった生徒が、またしてもバタバタッと倒れた。救護班が慌ててかけてくる。
 そしてクライマックス。
 ボーカルは神がかっている。いや、悪魔がかっている。変人奇人というか、世界を滅ぼす悪魔なのに、どうしてここまで美しい声をだせるのか不思議でならない。しかも歌いながら、キーボードで超絶指遣いをスルッとやっちゃうのがミラだ。
 大歓声、盛大な拍手を博して、緞帳がおりていく。
 しかし、緞帳がおりたあとも興奮冷めやらず、当然アンコールの嵐。
「魔王様――ッ」
「ミラ様――ッ」
「アンコール!」
「〇$#☆!!!」
 もう、なにがなんだか、わからないことをわめきちらしながらも、しだいに、ひとつのものへと統制されてゆく。
「「魔王様サタン万歳!! 魔王様サタン万歳!!」」
 サバトか?
 事態を収束しようと注意喚起する教師の声を圧倒し、生徒のSprechchorシュプレヒコールを熱狂的な祝福に染めあげた。
「アレやっていい!? “マッド☆ナイト”」
 高柳がオリジナルの曲名をあげると、全員が、ミラやルネ、オデュッセロまでもが頷いた。彼が今日この日の為に、誰よりも努力して、膨大な時間を費やしてきたことは皆が知っていた。
 五分後。
 アンコールの嵐に応えて、緞帳があがり、バンドメンバーが姿を見せると大歓声。
「1、2、3、4!」
 茂木がバチを鳴らし、イントロが始まる。
 十六ビートの軽快なラップ調の曲で、男子高校生の日常を韻を踏みまくってアジり倒している。日本語も英語も、ミラの発音は完璧だ。こんなにカッコイイ男子高校生がいるのかって思うけど、目の前で歌っている。文句なしにカッコイイ。
 Aサビまで譜面通りにやると、やっぱりミラが仕掛けてきた。
 Fの7th=Eb(フラット)。Amに対してb5、不協和音気味に響く、その悪魔的邪悪な響きに、背筋がゾクゾクする。
 どうやったら、そんなコード進行を思いつくのだろう?
 高柳も讃嘆をこめて眼差しで、ミラを見て笑っている。けれどもさすが作曲者、すぐに音をあわせてきた。Am-F7-Am-F7……陽一も高柳の音を聴きながら、小指で三弦を押さえて細かく刻んでいく。
 いまこの瞬間の音を、全員でつくっていた。高柳が目配せしてきたので、陽一は頷いた。ツー・ギターによる難関高速アドリブソロ!
 最高の気分でミラを見ると、もっと遊びたいっていう顔をしていた。
 バンッ! 鍵盤を叩きつける音が炸裂した。
 思わず陽一は目を丸くした。曲が濁らないギリギリの台パンアレンジ。お洒落!
 ミラは菫色の瞳を煌めかせ、陽一を見ている。手元も見ずに超絶アレンジをいれてきた。神業、否、悪魔業だ。
 陽一は笑いながら応えた。コードはAm。美しい響きのアルペジオで駆けあがると、茂木は一瞬抑え気味なシンバルに変えて、だけどルネが遠慮なくマリンバを叩いたので、茂木もすぐに応戦してきた。
 もう皆、自由に弾いた。
 ミラがアドリブでJazzアレンジを入れて、ルネが見せ場はもらったとばかりにマリンバ&ヴィヴラフォンを鳴らし、ドラムソロに繋いで、陽一と高柳はメロディとリズムパートを交代して演奏した。
 夢のようなひとときは、Bb9の複雑で美しい響きで終わった。
 緞帳がおりきるまで、メンバーは手を振っていた。そして鳴りやまない拍手を聴きながら、裏口から外にでた。
「うぉ――ッ! もっとやりてぇ~~~っ、カラオケいきて――」
 扉を閉めた途端に、高柳が吠えた。茂木もめずらしく満面の笑みを浮かべている。
 陽一も額にびっしり汗をかいて、冷めやらぬ興奮に浸されていた。
 解放感。脱力感。達成感。爽快感。日常では先ず味わえない興奮に浸されている。
 アンコール含めて十二曲を演奏した時間は一時間にも満たないが、異様なまでに熱を帯びた、濃密な時間だった。今日のステージを、一生忘れないだろう。
「最高だ!!」
 興奮のままに陽一が叫ぶと、ルネはくるっと陽一を振り向いてサムズアップした。
「陽一のギター良かったよ☆ ハ・ト・サブレー!!」
 彼独特のねぎらい方に、陽一は笑った。
「ありがと。いつも思うんだけど、区切り方おかしくない? ハト・サブレじゃない?」
「正しくは“鳩サブレー”だ」
 厳格な声と表情で、オデュッセロが指摘した。いつもなら萎縮する陽一だが、このときは違った。
「オデュッセロ先生、ありがとうございました。ベース最高でした」
 陽一が笑顔でいうと、オデュッセロは冷静な顔で頷くのみだったが、
「ふたりとも、ご苦労様。なかなか良かったですよ」
 ミラが労った途端に瞳を輝かせた。
「はっ!! ありがたき幸せにございます。魔王様の素晴らしい演奏の足元にも及びませんが、共に奏でられたことは恐悦至極でございます。人間共を圧倒する見事な演奏、感服いたしました。音の洪水に飲みこまれて、まるで魔界ヘイルガイア楽園コペリオンにいるかのような心地がいたしました」
 オデュッセロは涙を流しながら、あたう限りの美辞麗句でミラを褒めちぎる。レネも両手を胸の前で組みながら、歓喜いっぱいの胸中を語った。
「魔王様! ありがとうございます! 僕も魔王様と演奏できて嬉しいです。感激です」
 美少年がぽろぽろと涙をこぼしている。ミラは鷹揚に頷き、オデュッセロはルネの涙を綺麗に畳まれたハンカチでふいてあげている。
「ミラ、ありがとう。すっげー楽しかった! マジでかっこよかった!」
 へへっと笑う陽一を見て、ミラは、思わずといった風に、掌を胸に押し当てた。
「僕も楽しかったです。陽一の迸るような生命エネルギーを感じながら演奏するのは、最高で極上のエクスタシーでした。嗚呼、この不可解な胸の高鳴り。癖になりそうです。愛しています。結婚してください」
 両手をぎゅっと握られ、真剣な表情で愛の告白を受けた陽一は、赤くなった。
 ぶるぶる震えているオデュッセロを、まぁまぁとルネが眺めて、口笛を吹く高柳の隣で茂木はにやにやしている。
「高柳翔、カラオケは遠慮しておきます。早く陽一とふたりきりになりたい」
 正直すぎるミラの言葉に、高柳は笑った。
「いってらっしゃ~い」
 面白がるように手を振る高柳たちに見送られながら、陽一はミラに腰を抱かれたまま、人気のない方へと誘導された。
 どこにいくの? そう聞こうとしたところで、いきなり視界が変わった。